旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

海峡下の電機の系譜【Ⅷ】 新世代のマンモス機・EH500(2)

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9.新世代のマンモス機

9-2 重連が常態化していた東北本線の貨物列車

 JR貨物は線路使用料を旅客会社に支払うことで、貨物列車を運転できるのですが、その中でも重量のある機関車の料金は高めに設定されていました。

 そのため、同じ貨物列車を運転するのなら、機関車が1両である方がコストは少なく済みました。こうしたこともあって、東海道山陽本線で1,600t列車の構想が出たとき、1両で超重量級の貨物列車を牽くことができる性能を追求したEF200を開発し、その後、性能を最適化させたEF210を増備して、1,300t列車の単機牽引を実現させました。

 一方、東北本線を走行する貨物列車は、黒磯までは直流機が単機で牽いていましたが、黒磯以北は交流機が常に重連で牽いていました。これは、東北本線で運用される貨物用の交流機がD級機であるED75であることと、福島県の国見峠や最大23.8‰という勾配を擁する岩手県の十三本木峠があることで、重連での運転が常態化していました。

 また、青森と函館を結ぶ海峡線には青函トンネルがあり、こちらも連続12‰の勾配があることや、緊急時にトンネル内で停車しそこから重量のある貨物列車を引き出す能力が求められたことから、ED79重連による運転が原則となっていました。

 このように、東北本線の貨物列車は交流機による重連運転が主体となっていました。また、直流区間から乗り入れてくる列車は、黒磯駅で機関車の付け替えが必要であり、青森でも青函特殊仕様機との付け替えもあるなど、走行する区間ごとに異なる形式の機関車が使われていたため、途中駅で機関車の付け替えが必須でした。この付け替え作業があるために、これらの駅では全列車が停車しなければならず、また機関車の付け替えで生じる入換作業もあるたおめ、列車の到達時分が伸びることを避けられない状態でした。

 国鉄時代は機関車の入換や付け替え作業が生じ、列車の運転時分が伸びてもとりたてて問題にはなりませんでした。いえ、経営側にしてみれば問題意識があっても、極端に悪化した労使関係という課題を抱えていたがために、現場がそうした作業の削減や機関車の長距離運用を許さなかったので、結果的には見過ごさざるを得なかったのでしょう。

 しかし民間会社に移行したことによって、そのまま放置することは許されませんでした。もしも国鉄時代のままだとしたら、いくら景気がよくて貨物の量が増え、トラック運転手の不足で需要があったとしても、顧客は鉄道を利用する気にはならなかったかもしれません。

 民間会社になった以上、JR貨物国鉄時代のようなことをするわけにはいきませんでした。なによりコスト意識をもつことで、できる限り列車をスピードアップさせて、早く確実に輸送をしなければなりません。

 そこで考えられたのが、機関車の長距離運用を許容することでした。また、1つの列車を複数の機関車がバトンを繋ぐようにして運転する方法を改め、1両の機関車が始発から終着まで牽き続けることで、機関車の所要する鵜を削減し、付け替えなどの作業を減らすことで運転時分を短縮することでした。

 また、東北本線のように重連運転が常態化していることで、旅客会社に支払う線路使用料も削減することが考えられました。2両の機関車で牽いているのを、1両の機関車でまとめれば、当然線路使用料も1両分で済みます。そうすれば、収益性は高くなるのでJ経営的には好ましいことといえるのです。

 そこで、JR貨物日本海縦貫線で使われているEF81と、東北本線ED75、そして海峡線のED79を1つの形式で統一することを考えました。複数の形式を運用するより、1つの形式にまとめる方が補修用部品の調達や、検修陣の技術的な教育、機関士の運転取扱いといった教育も統一でき、必要に応じて車両の配置転換も容易になります。いわゆる標準化を図ることにより、コストの大幅な削減が期待できたのです。

 

f:id:norichika583:20200804230958j:plain(©The original uploader was Taisyo at Japanese Wikipedia. / CC BY-SA Wikipediaより引用)

 

 このような背景で、民営化直後から最新の技術をふんだんに使った強力機であるEF500が開発されました。定格出力6000kWという桁違いの出力は、列車の牽引定数を引き上げることを可能にし、多くの貨物を運ぶことを可能にします。さらにこれだけの出力があれば、重連で運転されていた列車を1両の機関車が牽くことを可能にできるでしょう。

 EF500はそんな期待を背負って誕生しますが、実際に試運転に入ってみると数々の問題が山積みになってしまいました。あまりにも高出力名ため、フルパワーを発揮すると地上設備が追いついていけないという致命的な問題が起こります。それだけではなく、直流機であったEF200では顕在化しなかった「誘導障害」という問題もありました。交直流機であるが故の問題で、これもまたEF500にとっては致命的ともいえました。

 結局、大きな期待とは裏腹に、EF500は問題山積の欠陥機のような扱いを受け、試運転も1992年頃にはほとんど行われなくなり*1新鶴見機関区の片隅で半ば放置されている状態になってしまいました。

 

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#EH500 #JR貨物 #交流電機機関車 #貨物列車 #青函トンネル

*1:試運転を行うたびに地上設備、特に変電所の機器に大きな負担を強いることになってしまったので、旅客会社からもEF500の運転を嫌がられていた。