旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

海峡下の電機の系譜【Ⅷ】 新世代のマンモス機・EH500(3)

広告

9.新世代のマンモス機

9-3 「重連」ではない「2車体で1両」・EH500の登場

 出力6000kWという空前のハイパワー機であるEF500の開発が事実上失敗したことで、単機で首都圏ー北海道と日本海縦貫線を往く貨物列車の牽引と、1列車あたりの連結両数を増やすという企みは潰えてしまいました。

 しかし、重連運転が常態化していることには変わらず、加えてED75の老朽化も進んでいたこともあって、後継機の開発は待ったなしの状態でした。

 一方、直流機であるEF200は取りあえずは量産されたものの、やはり6000kWという高出力は地上設備に与える影響も大きいことから、旅客会社にとっては歓迎できる機関車ではありませんでした。そのため、出力をEF66並に制限しながら運用せざるを得ず、高価な割には十分な性能を発揮できないという課題を抱えたままになってしまいます。

 そこで、出力を最適化させながら、運用コストを極力軽減できる最新鋭機として、EF210が開発されました。これは概ね成功を収め、量産も軌道に乗ってEF65の初期車やEF66を置き換えていくことになります。

 EF210の成功によって、交直流機にも後継機開発の道筋が見えてきました。

 このように紆余曲折を経て、1998年に開発されたのがEH500でしあ。

 EH500という形式名が示す通り、動輪軸は8本という日本の電気機関車史上、あまり例を見ない構造をもった機関車となりました。過去には国鉄時代にEH10がありましたが、これ以後もH級機というのはありません。その意味でも、EH500は特異な構造をもった車両だといえます。

 これは、動輪軸を6本もつF級機では、東北本線の隘路である国見峠や十三本木峠を超えることが難しいことや、青函トンネルの連続12‰勾配にも対応が難しいと考えられたからでした。

 これらの勾配をF級機で走行させるには、主電動機出力を自ずと上げざるを得なく、そのために新規に開発しなければなりませんでした。また、出力を上げることによって、EF500の時と同じ失敗を繰り返すかもしれないという懸念もあったといえるでしょう。

 一方、EF210が装備する出力565kWの主電動機であるFMT4は、すでに安定した性能をもつことは実証済でした。形式ごとに異なる主電動機を装備させるより、すでに実用化されて信頼性の高い主電動機を採用することで、搭載機器の標準化を図ることが可能であり、製造コストと運用コストの軽減も可能になります。

 EH500はこのFMT4を装備することを前提として設計されました。しかし、EF210と同じF級機とした場合、3390kWの出力ではED75ED79重連で出すことができる3800kWには及びません。これでは国見峠や十三本木峠を越えることも叶わず、青函トンネルでの走行も難しくなってしまいます。

 そこで、新型機はFMT4を8基装備することで、機関車の出力を4000kW(30分定格であれば4520kW)を出すことができます。この出力なら、ED75ED79の後継としては十分すぎる性能をもつことができます。

 しかし8軸となると、従来のF級機のような車体では対応が困難であることは明白でした。

 JR貨物は、過去に高出力機として活躍したEH10に倣って、2車体を永久接続させることにしました。見た目は「重連」に見えますが、「2つの車体で1両」という概念による設計なので、あくまでも「1両」ということなのです。

 

f:id:norichika583:20200804231507j:plain(©ttzshirasawa / CC BY Wikipediaより引用)

 

 EH500は直流区間ではVVVFインバーターによる制御で、三相かご形誘導電動機であるFMT4を主電動機として装備しました。これは、1990年代以降の鉄道車両では最もオーソドックスな方式でした。かつては直流電動機だったので、抵抗器と弱め界磁による制御でしたが、この方式では電圧制御の時に余分になる電流は、すべて抵抗器から熱として捨てていたので、経済的にも好ましいものではありませんでした。VVVFインバーター制御にすることで、抵抗制御のように余分な電流を捨てることもなくなり、経済的にも好ましい者となります。また、三相かご形誘導電動機の装備で、粘着性能も直流電動機よりもすぐれたものとなったのでした。

 交流区間では主変圧器で降圧された交流電流を、主変換装置で直流に変換されるとともに主電動機に最適な電圧に変え、直流区間と同じようにVVVFインバーターで主電動機を制御することにしました。

 また、保安装置はATS-SFとATS-PF、青函トンネル用のATC-Lに加えて仙台地区などで使われているATS-Psも装備するという、1両の機関車としては珍しく4種類を同時に装備していました。

 試作機である901号機が1997年に東芝府中事業所で落成すると、各種試験を行うために新鶴見機関区へと送られます。しかし、この時点では車籍をJR貨物には編入されませんでした。

 これは、国鉄時代を含めてH級機はあまり例がないことと、EF500の失敗から新型機の開発にはかなり慎重になっていたこと、そして新鶴見機関区には新型機を開発する本社の技術部門があったことが理由として挙げられます。

 直流区間での初期試験が終わると、翌1998年3月には長町機関区(後に廃止。仙台総合鉄道部を発足させて配置転換)に配置されました。とはいってもすぐに営業運転には入らず、しばらくは試験が続けられました。

 2年ほどにわたる試験は成功を収め、量産へと移行します。

 量産とはいっても、いわゆる「1次形」と呼ばれる1号機と2号機は、量産先行機としての意味合いがありました。やはり、2車体永久接続のH級機であることと、高出力のVVVFインバータ制御を採用した交直流機であることなどから、かなり慎重になっていたことが窺われます。

 また、量産先行機である1号機と2号機は、試作機である901号機とは塗装の色合いも、前面の意匠も変わっていました。塗装は901号機が鮮やかな赤色であったのに対し、量産先行機は小豆色といってもいい赤紫寄りの色になりました。また、前面も窓下のブラックアウトの幅も広がり、その下に白帯を巻き、前灯と尾灯を収めた角形のライトケースはその下に配置されるなど、印象を異にするものでした。

 量産先行機となる1号機と2号機に続いて、間を空けることなく本格的な量産へといこうしていきます。2000年3月からよく2001年1月にかけて製造された3号機から9号機は、いわゆる「二次型」と呼ばれるもので、塗装は「一次型」と同じでしたが、前面の前灯と尾灯の位置が白帯の下から白帯の中へと上に移動しました。この塗り分けパターンは直流機であるEF210に類似したものでした。

 2001年8月から製造されている10号機以降は、いわゆる「三次型」とよばれるもので、塗装も再び明るい赤色に変わりました。前面の塗装も替えられ、窓下にあったブラックアウトは省略され、ライトケース周りを白帯で塗られていました。ただし、側面に回り込むような意匠ではなく、ライトケースの間だけを白帯で塗装されるパターンへと変わり、再び大きく印象を変えることになりました。

 このように、民営化後初の量産交直流機で、しかもEH10以来のH級機は、幾度かの変化をしながら量産が続けられ、続々と仙台に配置されて東北本線と海峡線の貨物列車の牽引をしていくことになりました。

 

あわせてお読みいただきたい

 

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info

 

#EH500 #JR貨物 #交直流電気機関車 #青函トンネル #貨物列車