旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 東横線に「伊豆のなつ」が走った夏

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 ようやく長い梅雨が明けて、本格的な暑さの夏がやって来ました。

 夏になれば開放感でいっぱいになり、ついついお出かけもしたくなる気分になりますが、今年はやはり「コロナ」の影響で見合わせることもあると思います。ここ数日のことを考えると、やはり無理は禁物なのかも知れません。

 さて、その夏がやってくれば多くの旅行客を乗せる鉄道会社も、文字通り「書き入れ時」です。自社やグループ会社が保有するリゾート地などへ来てもらえれば、いろいろなところで増収につながります。

 自社線の沿線に集客できる施設や観光地があれば、当然、そこへは鉄道を利用してもらいたいものです。そして、そういったところにホテルなどの宿泊施設があれば、ここでも収入が見込めるでしょう。観光地に傘下のバス会社があれば、もちろんそのバスを利用してもらいたいものです。

 そうした「宣伝」は、過去も今も変わりません。

 例えば、東急電鉄であれば、自社の鉄道線沿線にはたくさんの余暇利用の施設を整備しています。田園都市線と言えば、朝夕の通勤ラッシュが首都圏でも五本の指に入る激しさで有名ですが、一方ではショッピングモールを建設したり、系列の会社が運営する映画館やシッピングセンターもあるので、休日もそれなりの利用者が見込めるでしょう。

 一方で、東急は傘下に伊豆と長野に鉄道会社を擁しています。特に伊豆は首都圏から手軽に行くことのできる著名なリゾート地なので、沿線に住む人々を呼び込まない手はありません。鉄道で出かけてもらえれば、伊東まではJR線ですが、そこから先は伊豆急線になるので、多くの利用が見込めるといえます。

 その伊豆急は、かつては100系と呼ばれる濃淡のブルーに塗装され、観光地を走る列車にふさわしいクロスシートを備えた電車が走っていました。開業以来、多くの人を乗せた100系も、1990年代に入ると老朽化・陳腐化が進んで交換の時期になりまひた。

 当初は親会社である東急電鉄から、オールステンレス車の8000系を譲り受けようとしましたが東急電鉄では8000系を廃車する計画がなかったため、残念ながらそれは叶いませんでした。

 代わりに乗り入れ先であるJR東日本から、E231系の増備によって置き換えが進んでいた113・115系の譲渡を提案されます。伊豆急にとって、113系は乗り入れてくる車両だったので、乗務員は特別な訓練をする必要もなく運転できるメリットがありました。とはいえ、普通鋼製の車体であることや、113・115系自体が経年が高くそれなりに老朽化も進んでいたため、長く使える車両ではありませんでした。それでも、小改造で導入できるメリットもあったので、本命の8000系が導入されるまでの「中継ぎ」としての登場だったのです。

 その200系が登場してから僅か8年後に、いよいよ「本命」といえる8000系が、東急電鉄での廃車が始まりました。もちろん、伊豆急は当初の計画通りに導入を進めました。

 

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 8000系を廃車して伊豆急に譲渡する側の東急電鉄も、この「一大イベント」を逃すはずがありませんでした。

 長らく自社の線路上を走り続け、多くの人に親しまれた車両が、手頃なリゾート地で第二の人生を歩み始めるということで、子会社である伊豆急と沿線の施設の宣伝も兼ねて、8000系を伊豆急塗装に変えてしまったのです。

 「伊豆のなつ」号と命名され、実際に譲渡後の「ハワイアンブルー」カラーのラッピングを施した8000系8007Fが、期間限定とはいえ東横線で走り始めたのでした。

 筆者にとって、8000系は「完成されすぎたステンレス車」という印象が強いものでした。というのも、オールステンレス車の元祖である7000系は、アメリカのバッド社のライセンスに基づいて設計製造されたため、全面の貫通扉付近の構造や、屋根のカーブなどアメリカらしい合理的なデザインでした。

 継いで登場した7200系は、全面を「ダイヤモンドカット」と呼ばれる上下左右に折り曲げた独特のデザインでした。側面は日本の車両らしいものへとなりましたが、電動車は2両1組で組むユニット車ではなく、1両単位で組成が可能な1M車で、目蒲線や池上線でも運用できる万能車でした。

 ところが8000系はといえば、前面はこれといって特徴がない切妻で、側面も7200系を4扉にしたようなデザインで、しっかも電動車はユニット車、車体長も20m級というどこにでもある通勤形電車でした。しかも、後年になって前面に警戒色となる赤帯が入り、中には貫通扉周りを黒にした鉄道車両らしからぬカラーデザインにはなりましたが、やはりこれといった特徴のないものでした。

 その8000系も、伊豆急ハワイアンブルーの帯を入れてみると、まったく別の車両にでもなったかのようなデザインになり、側面もまた窓下にブルーの帯が巻かれるなど、同じ車両にしても大きく印象をかえたのです。

 東急電鉄は外見だけでなく、細かいところにも譲渡先になる伊豆急のイメージをふんだんに散りばめました。

 車内は伊豆の宣伝でぎっしりと占められ、乗客へのコマーシャルを欠かしませんでした。それだけでなく、急行として運用する時には、前面助士席側の窓下に、伊豆急線の開業当初に使われていた急行の標示板までも、イベント運行とはいえ再現されていたのには唸らずにはいられませんでした。

 そのご、伊豆急カラーになった8007Fは廃車になりましたが、伊豆急へ譲渡されるのかと思いきや、実際にはインドネシアに渡ってしまいました。代わりにというわけではないでしょうが、田園都市線8500系にも同様のラッピングが施され、こちらは長い期間走り続けて、2020年7月に運用を離れていきました。

 今では「同じような部品」でつくった車両たちが闊歩する東横線ですが、15年前にはこうした楽しいイベントが組まれ、それにふさわしい出で立ちになった車両が走ったというのは、思い出すだけでも感慨深いものがあります。

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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#東急電鉄 #伊豆急 #私鉄の車両 #東横線 #東急8000系