9.新世代のマンモス機
9-5 青函直通運用に就いたEH500
本格的な量産に移行したEH500は、当初の計画通り仙台総合鉄道部に配置されて、さっそくED75重連とED79重連が担っていた貨物列車の仕業に就きました。ただし、当初は所要数が少ないこともあって、黒磯以南への乗り入れは限定的になっていたようで、主に黒磯ー青森ー函館間の運用に宛がわれます。
EH500の就役によって、一部の貨物列車は黒磯駅や青森信号場における機関車の付け替えから開放しました。そのため、所要時間の短縮を実現でき、貨物のリードタイムの大幅な短縮を実現させます。
そして、老朽化していたED75の一部を置換えることを可能にし、車両故障に起因する列車の遅延などを大幅に減らすことにも期待がもたれました。
しかし、初期の段階では量産に移ったとはいえ、国鉄時代のように年度内に10両以上、時には他形式も含めて数十両にも及ぶような、大量に製造するという方策はとれませんでした。1両億単位もする高価な機関車を、1年の間に数両製造するのが限界だったのです。それだけ、JR貨物の経営基盤は脆弱だったのです。
そのため、少数形式であったにも関わらず、リードタイムの短縮による需要の取り込みというJR貨物の思惑もあったのでしょう、EH500は非常に重宝されました。東北本線と海峡線を往来する貨物列車に重点的に充てられ、言葉通り「大車輪」の活躍となったのでした。
ところが、少数形式で高頻度に、それも長距離で運用されることが続くと、さすがに新製機といえども疲弊が目立ち始めてきます。中には過酷な運用が祟って、車両故障を起こすものも出てきたほどです。ついには故障などによって運用を離脱する車両も続出し、列車の運行に必要な数さえ賄えなくなってしまったのでした。
そこで一度は運用を離脱し、廃車を前提とした休車状態におかれていたED75の一部が、ピンチヒッターとして再整備を受けた上で運用に戻され、EH500の肩代わりをするという珍しい事態にまで発展しました。
さすがにこうなると、いくら重宝するといっても無理をさせるわけにはいかなくなりました。そこで、EH500の量産を続け、運用に余裕がでる段階までは首都圏への乗り入れを限定させ、なるべく黒磯以北での運用に特化する措置がとられます。こうした特異な運用は、2010年代に入るまで続きましたが、この頃になると貨物列車の運転をより効率化させることで列車を集約化したことや、順調に量産が続けられてきたことによる車両の増加などにより、首都圏への乗り入れも本格化しました。とはいっても、完全に黒磯以南を直流機が撤退したわけではありませんが、それでも首都圏と北海道間の通し運用もある程度可能になりました。
(©まも (Mamo) / CC BY-SA (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0))
さらに2013年3月のダイヤ改正で、EH500はさらに活躍の場を広げていくことになります。
東北本線と同じように直流と交流が混在する常磐線の貨物列車は、列車の運行自体はJR貨物でしたが、これを牽く機関車は交直流機である必要があるため、JR東日本に所属するEF81と旅客会社に所属する機関士の手によって運転されていました。
これは、国鉄分割民営化の時に、貨物会社の経営基盤が脆弱であることが予めわかっていたための措置でした。
国鉄時代に、首都圏で運用されていた電気機関車の多くは直流機でしたが、常磐線に限っては交直流機でした。しかし、常磐線で運用されていた交直流機が所属していた田端運転所は、旅客会社に移管されることが決まっていました。もちろん、ここに所属するEF81を貨物会社に継承させることも考えられましたが、常磐線での運用だけに限られるためだけに少数のEF81を保有することは、運用面でも検修面でも負担になります。特にコスト面での負担は大きく、僅かな数の交直流機だけのために検修用の設備や人員を抱えるのは得策ではありません。
そのため、できる限り貨物会社の負担を軽減させるために、常磐線の貨物列車は旅客会社に委託する方式が採られたのでした。
民営化後、常磐線の貨物列車はJR東日本のEF81が先頭に立ち、そのハンドルはJR東日本の機関士が握り続けました*1。しかし、JR東日本のEF81も老朽化には叶いません。そこで、2009年からはEF81の老朽置換用としてEF510 500番代を新製し、これもまた貨物列車の運転に充てられるようになり、やがてはEF81が担っていた多くの貨物列車を牽く運用を、EF510 500番代に代えられていきました。
ところが、2011年3月11日に発生した東日本大震災は、貨物列車にも大きな影響を与えました。特に常磐線は壊滅的な打撃を受け、加えてこの震災を原因とした福島第一原子力発電所事故により制限区域内にも入ったため、これ以来常磐線の貨物列車は大幅に減らさざるを得ない状況になってしまいます。
このため、2009年から2010年にかけて新製したEF510 500番代も、その活躍の場を狭めてしまうことになりました。さらに、仙台のEH500も量産が続けられてきたことで運用にも余裕ができたこと、そして常磐線での運用が限定されたものになっていたこともあって、2013年に旅客会社への委託を終了させ、EH500が代わって運用に入ったのでした。
JR貨物の交直流機としては大所帯になるまでに成長したEH500は、その運用範囲を徐々に拡大し続けていきました。
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#EH500 #JR貨物 #青函トンネル #交直流電気機関車