旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

海峡下の電機の系譜【Ⅷ】 新世代のマンモス機・EH500(6)

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9.新世代のマンモス機

 

9-8 関門トンネルへの進出、万能機の証

 首都圏ー北海道間の主力として年々増備が続けられたEH500は、ある程度の数が出揃ってきたことで初期のような酷使による故障も減り、運用も安定してくるようになりました。

 一方で、同じ海底トンネルを越える関門トンネルは、国鉄時代に製造されたEF81が主力として活躍を続けていましたが、最も新しい300番代の二次型である303・304号機でも、1974年の製造なので車齢も既に30年は経過していました。また、0番代からの改造機は多くが1973年の製造と、同じく30年以上も走り続けた古参車両でした。例外としては民営化後につくられた450番代でしょう。

 古参機となりつつあったEF81ですが、年月が経てば経つほど補修用部品の入手が困難になります。これは、工業製品の宿命といえるもので、製造が終了した製品の補修用備品をいつまでもつくり続けることはメーカーとしても好ましいことではなく、また在庫を多く抱えることも避けたいことです。

 特にEF81の主契約メーカーは日立製作所でしたが、同社は試作機ED500を最後に機関車製造から撤退してしまい、これらの確保もままならなくなることは容易に想像できました。

 そこで、青函トンネルと同じく重連運用が常態化していたことや、車両の老朽化が進んでいたこと、加えて1,300tという超重量列車の運転が福岡貨物ターミナル駅までの延長が計画されていたこともあり、2004年に東芝府中事業所で落成したばかりの25号機と27号機を仙台ではなく門司へ送り込み、この2両を使って試験走行が行われました。

 試験走行の結果、それまではF級機重連で対応していた運用を、H級機単機での運用が可能なことが確認されました。これは、EF81が1時間定格出力2,550kwであるのに対し、EH500は1時間定格出力は4,000kWと動輪軸が減っても出力が高くなったことで、EF81重連以上の能力を持っていることが証明されたといえるのです。

 

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EH500-50【門】 2007年10月7日 門司駅(筆者撮影)

 

 良好な試験結果を受けて、2007年から門司にもEH500が新製配置されました。民営化後、長らく国鉄形電機の牙城ともいえた門司機関区にも、JRへ移行後20年目にして初めて新世代の、しかも新製機が配置されたのでした。

 門司にやって来たピカピカのEH500は、さっそくEF81が担っていた関門トンネルの仕業に入り、幡生操ー北九州貨物ターミナル間の貨物列車の先頭に立ちました。EH500はその数を徐々に増やしていき、EF81が担っていた仕業を代わるようになり、捻出されたEF81の一部はED76が担っていた仕業へと入っていきます。そして、押し出されたED76はというと、既に製造から40年ほどが経過していたため、1000番代の後期形と0番代のごく一部を残して廃車となっていきました。

 門司に配置されたEH500は、その後も関門トンネルを走行する運用に宛がわれ、九州島内での運用はEF81やED76が担い続けました。しかし、かねてから計画されていた1,300t列車の運転を実現させるため、北九州貨物ターミナル駅福岡貨物ターミナル駅間の線路増強工事が完成すると、いよいよ1,300t列車に限ってEH500が福岡貨物ターミナルまで活動範囲を広げていきます。いよいよもって、九州島内での主力の座を、EH500が担うようになったのです。

 これは、従来1,300t列車は北九州貨物ターミナルで編成を分割してから、2つの列車に仕立て直して福岡貨物ターミナルまで運転されていました。この方法では、機関車も2両必要となり、ハンドルを握る機関士も二人必要になるなど効率も悪く、コストもかかるので経営上好ましいとはいえません。

 そこで、1,300t列車が走行する鹿児島本線と関係する駅などが対応できるように、輸送力増強工事が行われました。2011年にはこの工事も完成し、この年のダイヤ改正から東京貨物(タ)ー福岡貨物(タ)間を直通する1,300t列車の運転が開始され、その列車にはパワーに余裕のあるEH500が充てられるようになり、ついにEH500も運用範囲を拡大させていきました。

 一方、首都圏ー北海道間の貨物列車用として仙台に新製配置されていたEH500は、運用にさらに余裕が出るようになりました。これは、青函トンネル北海道新幹線と共用になり、架線電圧が在来専用の20,000Vから、新幹線用の25,000Vに引き上げられたことで、EH500に代わる交流複電圧機EH800が活動を開始したことによるものでした。

 この仙台配置のEH500のうち、65号機が遠く離れた門司へ配置転換となりました。国鉄末期にはよく見られた「広域配転」をも想起させるような配置転換でしたが、全国1社体制として発足したJR貨物であることと、EH500がこうした配置転換に対応できる三電源対応としてつくられたことによることで実現できたといえます。言い換えれば、製造当初は三電源に対応する必要がなくても、「もしかしたら、将来広域で使われる可能性もある」という先を見通した発想が、機関車の設計に反映された結果だといえるでしょう。

 そして、EH500はまさにパワーも十分で、保安装置さえ適合させれば全国どこでも活躍できる「オールラウンドプレーヤー」だといえるのかも知れません。