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かつて財政事情が火の車だった国鉄は、様々な経費節減策を行っていました。その一つに、車両の塗装を簡略化するというもので、特に気動車は朱色とクリーム色の二色塗りから、朱色一色の「首都圏色」と呼ばれるものへと変えていきました。
しかし、この「首都圏色」はあまりにも評判が芳しくありませんでした。というのも、朱色5号という塗料の特性なのでしょうか、塗装された直後は鮮やかだったのですが、日が経つにつれて色褪せが激しく、その色合いから「焼きタラコ」などと揶揄されたものです。
時代は流れて21世紀に入ったものの、歴史は繰り返されるとでもいうのでしょうか、経営基盤の厳しいJR西日本は、保有する車両の塗装を簡略化するという、かつての国鉄が行った施策をなぞるかのような決断をしました。そして、電車は京阪神の濃緑色、山陽本線は黄色、そして気動車はあろうことか朱色5号の首都圏色にされてしまいました。
平成の世も20年近くが経ち、分割民営化からも相当の年数が経ったのに、それはまるで「先祖返り」でもしたかのような施策に、かくいう筆者も絶句してしまったものです。国鉄から引き継いだキハ40系だけならまだしも、民営化後に製造したキハ120までもが、この首都圏色にされてしまったのです。
キハ120は第三セクターや地方私鉄向けの軽快気動車である新潟鐵工所製のNDCシリーズを、JR西日本の仕様に合わせた気動車です。それまでの国鉄→JRの気動車は、大きさの割には非力なDMH17やDMF15といった設計の古いエンジンを装備し、車体の長さも21mが標準でした。キハ120はその常識を覆す車体長16mという短さで、とてもJRが新たにつくった車両とは終えないものでした。
JR西日本がこのような気動車を導入したのは、あまりにも輸送密度が低いローカル線を多く抱えていたため、従来の燃費が悪く出力が小さい大型の気動車では、経済的な運用が望めなかったからといえるでしょう。実際にキハ120が配置された路線は、そのいずれもが極端に輸送量の低いところばかりでした。
いまから20年ほど前に関西本線を通して乗る機会があり、キハ120にも乗りましたが、山間部を縫うように走るためか利用者はそれほど多くありませんでした。キハ40系のような大型の気動車では、恐らく車内はガラガラだったでしょう。しかしキハ120ですら満席になることなく、輸送量の実態にぴったりと合っていたという印象です。
バス用部品を取り入れて製造コストを下げ、エンジンも小型で軽量、かつ出力も355PSと大きく、さらには燃費も良いエンジンを装備したキハ120は、JR西日本にとっても使いやすい車両だったといえるでしょう。
車体が普通鋼製のキハ120は、登場当初は配属された地域ごとの色を身に纏っていました。地域ごとのカラーリングされた車両は見ていても楽しい存在でした。塗装の一色化による経費節減は仕方ないにしても、さすがに色褪せが早い朱色4号を選ぶとは、さすがに内心苦笑いしたものです。わざわざ平成生まれの車両に、「焼きタラコ」になるような色ではなく、もう少し、他の色がなかったものかと・・・。
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