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いまでこそ、鉄道による貨物輸送はコンテナによるものが主流になりましたが、かつては様々な方法で運ぶことが考えられていました。例えば、国鉄時代は運ぶ物に合わせて貨車を設計するという方法が主流で、石灰石や穀物をバラ積みで輸送するためのホッパ車や、石油類や液化ガス、アスファルトなどの液体物を運ぶタンク車。そして、鮮魚類を運ぶ冷蔵車も忘れてはいけません。更に遡れば家畜などを運ぶ家畜車など、古の貨車はバラエティーに富んでいて見ているだけで楽しいものがありました。
しかし、これら豊富な種類の貨車を保有するということは、運用にかかるコストもそれなりにかかってしまいます。鉄道が物流における唯一の方法であった時代はそれでも問題になりませんでしたが、モータリゼーションの進展によってトラックが物流の主役を取って代わろうとすると、様々な車種があり運用コストもかかる鉄道輸送は、トラックに対する競争力の面で分が悪いものでした。
また、輸送方法にも大きな課題を抱えていました。
かつての国鉄は、ヤード継走輸送という方法を採っていました。発送する駅で貨物を積み込んだ貨車は、最寄りの操車場まで行く列車に連結され、操車場に着くと目的地近くの操車場へ向かう列車へと繋ぎ替えられていました。中には何度も操車場で繋ぎ替えをするものもあり、目的地へ到着するのは発送から数日はかかるというものでした。対するトラックは、貨物を発送したい顧客の玄関先までやってきで、そこから目的地に向かって直行します。それだけ時間がかかったでも、2〜3日あれば目的地に貨物を送り届けることができるので、もはやトラックに対する鉄道の優位性は失われ、競争力もない状態でした。
そんな状況を、国鉄も黙って見ているわけではありませんでした。
台頭するトラックに対し、なんとか鉄道のシェアを確保しようと様々なアイディアをだしていきます。
その一つがコンテナ輸送でした。コンテナであれば、顧客の玄関先までトラックを使って持っていき、そこで貨物を積み込んで駅に戻れば貨車にコンテナごと載せることができます。到着はこの方法の逆で、やはり送り先の玄関先まで届けることができます。また、貨車1両単位で運んでいたときは、行先によっては広大な操車場で行き先別に仕分けられていたのが、コンテナは中継する駅で貨車から取り下ろして、別の列車の貨車に載せ替えればいいのです。
ところが、コンテナでは運びにくい、いえ、運ぶことができない貨物も少なからずありました。その一つがガソリンです。ガソリンの輸送は様々な法律によって規制され、安易に運ぶことができません。
タンクローリーで運ぶことはごくごく一般的ですが、これも消防法によって規制されている中で実現できているものですが、その扱いは「移動する貯蔵所」という扱いになっていうため、最大でも30,000リットル以下に抑えられています。また、これを運転するためには、自動車運転免許の他に、危険物取扱者の免許も必要になるなど、様々な規制が存在しているのです。
タンクローリーはガソリンをはじめとする石油類を陸送するもっとも一般的な手段だが、引火性が高くタンク体の破損により流出、火災に至る危険性もあることから、消防法では「移動油槽所」として扱われてい。このため、1台あたりの最大積載量が規定されているため、一度に大量の輸送には適さない側面もある。(©Trans5885, Public domain, 出典:ウィキメディア・コモンズ)
とはいえ、大都市圏ではガソリンを始めとする石油類の消費も大きいため、臨海部にある製油所から内陸になる消費地へ、大量に運ばなければなりません。しかし、大都市圏では道路が渋滞しやすく時間がかかる上、一度に運べる量にも上限があるため効率的とはいえません。
今日でも、タンク車によるガソリン類の鉄道輸送が残っているのも、こうしたことが背景にあるからなのです。
しかし、鉄道で運ばれてきた石油類は、一度油槽所で保管された後、再びタンクローリーに載せ替える必要があります。また、場所によっては石油類を取り扱う駅から遠く、できれば近くの貨物駅で受け取ることができれば、輸送にかかるコストもドライバーの負担も軽減できるのです。
こうしたことを背景に、様々な方法が考えられました。その一つが、タンクローリーをそのまま貨車に乗せて運ぶというピギーバック輸送、いわゆる「タンクピギー」だったのでした。
「タンクピギー」の構想はJR貨物ではなく、石油類では最大の顧客でああった日本石油(当時、後にニッセ三菱→新日本石油→JX日鉱日石→ENEOS)によるものでした。*1日本石油は需要の拡大によって、大量の石油類を精製・販売していましたが、需要に対して製品の輸送能力が逼迫していることや、バブル景気のためにタンクローリーのドライバーが不足していること、そして運べても激しい道路渋滞で時間がかかってしまうという課題を抱えていたのでした。
《次回へつづく》
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