旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 最晩期の国鉄荷物輸送・熱海のクモユニ147【1】

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 新型コロナウイルス感染拡大で、鉄道の旅客輸送の需要が低下し、多くの鉄道事業者が2020年度の輸送量を過去例を見ない低さを記録し、その影響でほとんどの事業者で赤字を計上する事態になってしまいました。

 優良ともいわれてきた大手私鉄は例外なく経営的に苦しい状況に置かれ、さらには分割民営化以来赤字を計上したことのない、いえ、赤字を計上するような環境にない本州三社も今期に限っては赤字となってしまいました。

 本州三社が赤字を計上した。このニュースは、筆者にとって非常に驚く事態でした。というのも、JR東日本は首都圏という超ドル箱路線を抱え、JR東海東海道新幹線という首都圏と中京圏、近畿圏という三大都市圏を結ぶ旅客輸送の大動脈を擁し、JR西日本は関西圏を基盤にした経営環境があるが故に、赤字という言葉とは無縁だと考えられてきました。少なくとも、同じJRグループ内にある貨物会社に勤務していた当時、貨物会社は当初からの予想通りに赤字経営が続き、対照的に旅客会社は黒字経営に転じて設備投資を次々と行い、まさに雲の上にいるような存在だったのです。

 それが、新型コロナウイルスの影響で旅客会社が赤字に転じ、逆に多くの人がいわゆる巣ごもり生活を強いられた結果、ネット通販の需要が大幅に伸びたために、これらを含めて貨物輸送量は安定的に推移した結果、貨物会社だけが黒字を計上するという

 旅客輸送が急激に減少すれば、鉄道事業者の多くは経営が成り立たなくなってしまいます。それが長く続けば、当然沿線に住む人々にとっても大きな打撃になるのは容易に想像できることで、鉄道事業者としてもなんとかして維持存続する努力を続けることになります。

 一方で、ネット通販の需要が急激に増加したことは、小口貨物の輸送量、とりわけ宅配便の貨物量が増えたことを意味します。ところが、昨今の少子高齢化と労働条件の悪さから、トラックドライバーの担い手は少なくなり、増加輸送量に対応できないという事態に陥っています。

 そこで、旅客輸送の減少で収益が悪化している鉄道事業者と、トラックドライバーの不足で増加する貨物を捌けない運送事業者の利害が一致したのか、宅配便などの小口貨物を旅客列車に載せて運ぶという取り組みがあちこちで始まっています。

 こうしたニュースに接するたびに、筆者は「昔の荷物輸送の復活、先祖返りみたいだ」と考えることがあります。それは、筆者がかつて勤務していた横浜羽沢駅には、使われなくなった荷物輸送用のホームと施設が残っていたからでした。

 このブログでも何度か取り上げましたが、かつては国鉄が荷物輸送を行っていました。はじめは列車に乗る乗客の手荷物を預かる「手荷物輸送」として始められ、やがて遠くへ小さな荷物を送る手段として鉄道が使われるようになる「小荷物輸送」も併せて行われました。そのため、かつて国鉄の多くの駅には「手小荷物取扱所」と看板が掲げられた専用の窓口があり、荷物を発送する人はここで運賃を支払い、受取人が指定した駅まで送るというシステムでした。当然、これらの駅には荷物列車や荷物車を連結した旅客列車が停車しなければなりませんが、そもそもが手荷物輸送を端に発した荷物輸送なので、輸送量の多い幹線はもちろん、ローカル線にまで荷物車を走らせてその便を図っていたのでした。

 その荷物輸送も、荷物を送る人の玄関先まで集荷に来てくれ、しかも送り先の玄関先にまで配送してくれる宅配便の登場により、鉄道の荷物輸送はシェアを急激に落としていきました。それはそうでしょう、荷物を送るためにわざわざ取扱い駅まで出向かなければならず、しかも荷物を受け取るためにも駅にまで取りに行かなければならないのに比べて、すべて玄関口にまで来てくれる宅配便の方が利便性は上です。しかも、国鉄の労使関係は急激に悪化し、ストライキが頻発して列車の運行がままならないことが多くなり、送ったはいいけど列車が動かないためにいつ届くか分からないというサービスでは、顧客は離れていってしまいます。シェアを落としてしまうのも無理もありません。

 こうした中でも、国鉄は荷物輸送を続けていました。赤字を生み続けているとしても、サービスそのものを廃止にできない公共企業体としてのジレンマみたいなものがあったのかも知れません。それ故に、旧式化した車両を改造した荷物車を更新し、ローカル線でも運用でき、しかも電車に併結できる車両を製作したのでした。

 

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 ピンとも合ってなく、しかも色褪せした写真ですが、1985年8月に東海道本線熱海駅で出会ったのが、このクモユニ147です。既に 国鉄の荷物輸送は風前の灯火といっても過言でない状況で、翌1986年には荷物輸送が全廃となってしまうことが噂されていた時期のものですが、写真を見る限りでは荷物はそれなりの量はあったのではと推測できます。

 

 

《次回へつづく》

 

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