旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 最晩期の国鉄荷物輸送・熱海のクモユニ147【2】

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〈前回からの続き〉

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  クモユニ147は、1983年に101系から改造されて登場した郵便荷物車でした。101系からの改造とはいっても、郵便荷物車となることから車体は種車のものをそのまま使うことはできず、新製した車体を載せています。しかも、101系はMM'ユニット方式ですが、これでは郵便荷物車として単独で運転することはできません。そこで、主電動機や台車など一部の機器を再利用し、制御装置などは1両単独での運転を可能にするため、CS46を新たに製作して装備しました。多くが新品になったものの、この頃の国鉄は車両を新製することは財政事情からも憚られたのか、あくまでも101系の改造という扱いでした。

 もともとは飯田線に残存している旧型国での置換用として製作されたのがクモユニ147でした。同じ時期にやはり旧型国電置換用として登場した119系とともに、1983年に豊橋機関区に配置となりました。そのため、スカ色を身に纏った旧型国電から一新したことをアピールするため、青22号に白帯を巻いた塗装となって装いも一新させ、それまで大都市圏で使い古された旧式車両を送り込んで、常に「中古車ばかり」がやってくるという飯田線のイメージ改善にも貢献しました。

 とはいえ、119系は飯田線専用として運用されましたが、クモユニ147は飯田線での活躍はごく短いものでした。国鉄の荷物輸送完全撤退に先んじて、1985年のダイヤ改正飯田線の郵便・荷物輸送は全廃になり、大垣電車区へと配置転換となりました。配置転換後は東海道線の列車に併結されるようになり、この写真のように熱海まで顔を出すこともしばしばありました。併結する113系湘南色、しかもよく見ると前灯(前部標識灯)は白熱電球を使いリフレクターの口径が大きいいわゆる「大目玉」と呼ばれる初期車であることもからも、クモユニ147は改造車とはいえ静鉄局にとっては貴重な新鋭の戦力だったことが窺われます。

 

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 しかし、こうした光景も長くは続きませんでした。

 翌1986年のダイヤ改正で、国鉄は郵便・荷物輸送を全廃し、ごく僅かな例外を除いて手小荷物輸送も廃止なりました。そのため、多くの荷物車や郵便荷物車は余剰となり、老朽化が進んでいた多くの旧型客車改造の荷物車は廃車、一部は新製車にもかかわらず同じく用途廃止による余剰となって廃車になるという運命を辿りました。

 電車についても同じで、旧型国電改造車はほぼすべてが廃車とされ、新製車でしかも冷房装備だったクモユ143は新製から4年も経っていない「新車」であるにもかかわらず、郵政省の予算で新製した郵政省所有の車両であったため、国鉄が継承することはできずに廃車という悲運に見舞われました。クモユニ147は郵便室は備えていたものの、国鉄の予算で改造製作された国鉄所有の車両であったため廃車は免れましたが、唯一の活躍の場であった東海道本線の荷物輸送も廃止されたことで用途を失い、大垣電車区から静岡運転所へと再度配置転換となりました。とはいえ、特異な構造をもった車両であったためにそのまま他に転用をすることは難しく、翌1987年に車体と車内設備の大改造を受けて旅客車化され、クモハ123 40番代となって身延線のローカル輸送へと転身しました。

 かつて旧型国電の牙城を崩すべく飯田線にやって来たクモユニ147は、同じ静鉄局管内のもう一つの旧型国電の牙城であった身延線へと送り込まれたのは何の因果だったのでしょうか。クモハ123への改造当初は種車であったクモユニ147時代のまま冷房装置を搭載していませんでしたが、民営化後の接客サービス向上のため1989年には、国鉄時代とは異なる簡易な工法で施工可能な集約分散式C-AU711を2基搭載しました。

 従来、冷房化改造は集中式AU75を搭載することが多かったのですが、この装置を搭載するためには冷気を送り込むダクトの追加や天井部の補強など、工程数も工事期間も、そして工事費用もかかるなど、経営的には芳しいものではありませんでした。しかし、パワーエレクトロニクスの発達によって、インバータ電源を装備させることで、小型軽量で冷房能力形各、そして工程数もはるかに少ない冷房装置が使えるようになったことで実現できた冷房化だといえます。これも、民営化によって柔軟によりよい機材を選べるようになったことの一つでしょう。

 その後、専ら身延線で運用されましたが、101系として登場して以来、車齢も40年以上になって老朽化が進んだことや、運用する車両の標準化を進める上で、国鉄から継承した雑多な車両を淘汰する方針であったこと、そしてその方針に従って幹線で運用されていた113系115系の置換えが完了し、標準形式ともいえる313系をローカル線にも投入できるようになってきたことから、2007年のダイヤ改正までにその役目を終えてすべて廃車となっていきました。

 それにしても、こうした光景は当たり前ですが過去のものですが、かつて、鉄道が陸上交通の、国内での移動手段の第一選択肢だった全盛期を彷彿させる駅での荷物の積み下ろし作業を見たのは、筆者にとって後にも先にもこの時限りでした。今こうして写真を見ると、荷物の量こそ少ないものの、鉄道荷物会社の職員が手作業で専用の台車へ載せ換えている光景は、古き時代に思いを馳せるには十分だといえるでしょう。

 荷物を旅客列車で運ぶ発想が最近復活してきましたが、もしかすると、再びこうした光景を目にするのかも知れません。

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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