旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 房総特急華やかし頃・1985年東京駅地下ホーム【2】

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 〈前回からの続き〉 

 

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 もうひとつ写っている列車の「わかしお」は、この当時は東京から総武本線を経由し、千葉から外房線経由で安房鴨川まで運転される列車でした。

 

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 「わかしお」の場合、「しおさい」とは異なりそのルーツは臨時快速として設定された列車でした。夏季の多客期のみに運転される「黒潮」で、この列車は夏季の、それも休日だけ運転される列車でした。

 ところが、国鉄は1953年には気動車モデル線区として、房総東線(外房線)と房総西線(内房線)を指定し、当時はまだ新鋭だった気動車をいっぺんに66両も配置したのでした。この配置を受けて、1954年の夏には「黒潮」を毎日気動車による運転としたのでした。

 その後、1958年には準急「犬吠」に併結される形で、房総東線経由で安房鴨川へ向かう列車と、房総西線経由で舘山まで向かう列車が設定され、あわせて名称を「房総」へと替えました。ただ、この列車は一つの列車で行き先が異なる「多層建て」となり、しかも行先が異なるのに列車名はすべて「房総」となったため、利用者がかなり混乱したのは容易に想像できます。そこで、括弧書きか加えられ「房総(犬吠)」「房総(外房)」「房総(内房)」という名称にされました。今日では考えられない、何とも安易な名称ですがこれで混乱が収まったかと言えば、想像するしかないでしょう。

 1963年頃にはこれらの列車もキハ58系になりますが、この間も列車名は「京葉」になり、臨時列車として「千鳥」「清澄」など多種多様な列車が登場したようです。1962年に多層建てによる併結運転を中止し、房総東線の列車は「外房」へと改められました。そして、1966年には「犬吠」が急行へ格上げになったのと同じ理由で、「外房」も急行へと格上げされました。

 1972年にようやく房総東線の電化が完成し、「そと房」を特急へ格上げした上「わかしお」が設定されました。運転区間の変更はなく、東京-千葉間を総武本線、千葉-安房鴨川間を外房線で運転され、全部で5.5往復の設定になりました。

 「わかしお」も、「しおさい」と同様に、東京駅は地下ホームから発着するため、充てられる車両は183系で地下線対応のA-A基準を満たし、保安装置もATCを装備した0番代が専ら使われました。そして、「わかしお」は最盛期には12往復も運転されるなど、東北本線の長距離特急列車並みの運転本数を誇りました。

 さて、写真を見ると「わかしお」は前面貫通扉が設置された0番代ですが、「しおさい」は非貫通の車両です。そもそもA-A基準は地下鉄用の車両基準で、難燃素材の多用や電気系統の防火処置、さらには異常時に脱出経路を確保するため先頭車は貫通扉にしなければならないなど厳しい基準が定められています。東京駅総武線ホームは地下にありますが、総武トンネルという「トンネル区間」であり地下区間ではありません。しかしながら、国鉄北陸本線の北陸トンネルで発生した「急行「きたぐに」火災事故」の苦い経験があるため、これらを地下鉄と同じ基準を満たした車両を充てたのでした。

 ところが、「しおさい」は非貫通構造の車両です。これは、上越新幹線の開業によってそれまで「とき」で運用された車両が余剰となるため、一部の車両を暴走か区線の列車に転用することになり、保安装置をATCに載せ換えるなどの改造を受けた1500番代だったのでした。

 ちなみに「わかしお」はその後、利用者が減少したことから減便はされましたが、今日も「しおさい」と同様に残されています。運転本数はなんと12往復で、ほぼ1時間おきに発着しています。内房線の「さざなみ」が朝夕の時間帯だけになったのとは対照的で、国鉄時代からほぼ変わらない本数の運転があるのには驚かされます。

 

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出典:ウィキメディア・コモンズ ©夕焼け駅長 (Yuyake-ekicho), CC BY 2.1 JP,

 

 これには、あくまで推測ですが、千葉県の道路事情が絡んでいるといえるでしょう。内房方面は館山自動車道の開通などにより高速道路網の整備もされるなど改善してきていますが、外房方面はあまり整備が進んでいません。海岸線に沿って走る国道128号線がありますが、都市部を除いてはカーブも多く起伏が激しい道路で、しかも場所によっては崖下で海岸ぎりぎりという場所もあるので、あまり速度を出して走るには不向きの道路です。こうした事情からも、いまもなお外房各地に向かうには鉄道が必須の存在であり、それ故に利用者も一定数あるので少々の減便などはあっても、今なお12往復の列車が運転されているものといえます。

 余談ですが、民営化後も運用され続けたクモユニ143は、房総半島各地への新聞荷物輸送に使われました。原則として国鉄は荷物輸送を廃止しましたが、新聞など時間にシビアな荷物輸送は、その沿線の道路事情から鉄道輸送が続けられています。クモユニ143が民営化後も活躍したのは、こうした房総半島特有の道路事情が密接に関係しているためで、「わかしお」や「しおさい」が今なお多く運転されているのも、こうした道路事情に関係するものであり、地域の人たちにとっては重要な交通手段であり、かつ多くの観光客を取り込むために欠かすことのできない存在だといえます。

 新型コロナウイルス感染拡大で、鉄道、特に旅客輸送を取り巻く状況は大きく変化してしまいました。ともすると、大都市圏ですら以前のような需要が見込めず、赤字に転落する路線も出てくるのではないかと言われています。しかしながら、房総半島のような地域にとって鉄道は欠かすことのできない存在であり、これまでとほぼ同じように維持されてほしいと願わずにはいられません。

 

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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