旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

悲運の貨車〜経済を支える物流に挑んだ挑戦車たち〜 高速で走ることを夢見た車掌車・ヨ9000【1】

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 すっかりとご無沙汰してしまいました。年度末繁忙期で本業に追われ、結局お休みをさせていただいてしまいました。いつも楽しみにお読みいただいている皆様、大変申し訳ありませんでした。

 

 いつの世にも、試してみたものの結果を出せずに終わり、舞台からひっそりと消えていくものがあります。鉄道車両でいえば「試作車」がそれで、国鉄~JRの場合は「9」の数字が与えられるます。900番代、9000番代がそれで、国鉄最強の直流電機であるEF66も、誌作事の形式はEF90が与えられていました。また、民営化後に世界最強ともいわれたEF200も、試作車はEF200-901の番号が与えられて、一目で「試作車」とわかるものでした。

 貨車の世界にも試作車はありました。例えばパレット輸送による貨物輸送の合理化を目論んで製作されたワム80000(初代)は、試作的要素の強い形式でした。従来の有蓋車は人力による荷役が主体だったため、どうしても貨物の積み下ろしに時間がかかってしまいました。加えて、人力によるものだったので、これに携わる作業員の人件費もコストとしてのしかかってしまいます。しかし、パレット輸送であれば、フォークリフトによる荷役になるので、積み下ろしの時間も短縮でき、作業に携わる作業員の人件費も圧縮できました。そのため、従来の有蓋車では標準的だった車体側面中央部に扉を設ける構造から、フォークリフトによるパレット積載貨物の荷役に特化させた、側面総開き扉を設け、同時に車体の軽量化を企図してアルミニウム製の扉としました。

 もちろん、あくまでもフォークリフト荷役に対応させるための試作車で、たったの3両しか製作されませんでしたが、どちらかというと先行量産車という性格が強かったよといえるでしょう。試験の後に営業運転にも供されましたが、パレット貨物を積載したときの容積が設計時に小さく見積もってしまったため、積載荷重が15tであるにもかかわらず、それだけの貨物を載せることができませんでした。そのため、国鉄はワム80000の量産を諦め、新型の有蓋車は従来の荷役方式となるワム70000を製作しました。その後、量産車となるワム80000(二代)が製作されるとワム89000に改番されて、本来の用途であったパレット貨物ではなく、板ガラス輸送に使用されましたが1975年まで活躍しました。

 

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ワム75083 職用車(配給車)代用として白帯を巻いて運用されている(©Olegushka, CC BY-SA 4.0,  出典:Wikimedia Commons)


 また、積載荷重を最大化させて輸送効率をあげようと目論んで製作されたホキ2900もまた、試作車といっていい貨車でした。

 短くて小型、積載荷重も小さい貨車を何両もつなげるより、大型で可能な限り多くの貨物を載せることができる貨車のほうが、合理的な運用ができると考えた国鉄は、石灰石輸送用のホッパ車を最大で50tも載せることができるホキ2900を試作しました。全長14,480mmというホッパ車としては例を見ない長大な車体をもつホキ2900は、台車も3軸ボギーとなるTR78を装着するという、かなり変わった貨車でした。

 製作当初はホキ500を名乗っていましたが、ホキ400の製造が100両を超えることから、500番代を明け渡すべくホキ2900に改番されたものの、従来のホッパ車と比べても計画したほど積載効率も上がらず、地上の荷役設備も長大なホキ2900に合わせなければならず、在来車との混用を考えるとあまり使い勝手がいいとはいえなかったようで、結局試作車である3両がつくられただけで、量産には至りませんでした。それでも1975年まで運用されていたのは驚くことですが、現場の知恵によって維持されたのでしょう。

 とはいえ、製作当初の形式が示すように、9000番代や900番代ではなく、量産を前提とした形式が与えられていたのは、やはり国鉄がこの巨大ホッパ車を実用化させたいという説なる希望があったのかもしれません。

 貨物輸送の歴史を語る上で、どうしても避けて通れないのが運転最高速度だといえるでしょう。鉄道による貨物輸送は、なんといっても一度に多くの貨物を運ぶことができるということです。モータリゼーションが進展するよりも前は、道路事情も今日のように整備などされてなく、高速道路網など夢のまた夢のお話。しかも、自動車そのものが高価で貴重な存在だったため、トラックによる貨物輸送など遠い未来のお話だったといえます。

 そうなると、国鉄にとっては「黙っていてもお客が来る」という、いわゆる「殿様商売」の状態でしたが、徐々に道路整備が進んで自動車が一般化してくると、国鉄の貨物輸送は徐々にシェアを奪われ始めます。年を追うごとに輸送量が減っていくようになると、さすがにサービス改善を図って顧客を繋ぎ止めなければなりませんでした。

 加えて、旅客輸送においては技術の発達によって、従来の機関車牽引による客車列車から、動力分散式の電車や気動車によるものへと変化し、運転速度が劇的に改善されて速達性が向上しました。そのような中で、最高運転速度が65km/hと相変わらず脚の遅い貨物列車はダイヤ組成上のネックとなり、輸送力増強の一環としても貨物列車の速達性向上は避けて通れなかったのです。

 そこで国鉄は、大量で多種多様な貨車に高速化に対応した改造を施して、最高運転速度を75km/hに引き上げたのです。例えば、二軸貨車は走り装置を二段リンク式への改造が施され、高速で運転されると問題となっていた蛇行動を改善させて、75km/hでの運転を可能にしました。ボギー台車を装着した貨車は、そこまでの改造は必要なかったものの、当時は様々な貨車が一つの列車に連なっている状態だったので、大多数を占めている二軸貨車の性能が向上したことは国鉄にとっても大きなことと言えたのです。

 こうして運転速度の向上が図られた貨物列車でしたが、トラック輸送の台頭はそれでも不十分といえるものでした。特に、高速道路が建設・開通すると、ドア・ツー・ドアで柔軟な対応ができるトラックに対して、貨物駅で貨車に載せ替えるか、あるいは専用線を敷設して貨車を取り込んで直接荷役し、しかも発送したあとはいくつもの操車場(ヤード)を経由して連結開放を繰り返すために、到着までの日数がかかるという根本的な課題を抱えていたのでした。

 このような鉄道貨物の不利な状況を打開し、少しでも荷主をつなぎとめるために、これまで何度となく触れてきましたように、国鉄は営業運転速度100km/hとなる特急貨物列車の運転を計画し、これに対応する10000系高速貨車と大出力直流電機EF66を開発したのでした。

 

《次回へつづく》

 

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