旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 2004年の沼津駅にて・JR東海の113系と115系【2】

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〈前回からの続き〉

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 しかしながら、AU75を使用して冷房化改造を施そうとすると、一つの問題にあたります。それは、集中式であるが故に、AU75自体が非常に重量のあるものだったと言うことです。改造を受ける車両の屋根は、その重さに耐えられるほどの強度がありませんでした。それもそのはずで、113系115系が開発された当初は、冷房装置など載せることは微塵も考慮されておらず、まさか長期に渡って大量に製造された挙げ句に、時代の要請によって冷房化されるなど考えもしなかったからです。

 そのため、国鉄時代にこれらの非冷房車が冷房化改造を受けるときには、AU75を載せることができるように屋根の補強をしなければなりませんでした。また、集中式であるので、AU75から吐き出される冷気を車内全体に行き渡らせるために、冷気を導くダクトを追設しなければなりません。

 これだけの改造メニューを施さなければならないので、冷房改造を受けることが決定した車両は、工場へ入場してから1か月ほどは運用から外されてしまいます。また、コストもAU13を使用した改造工事よりも高くなるので、ただでさえ莫大な赤字を抱えていたので、そうそう簡単に冷房化を施行することはできませんでした。そのため、可能な限り車齢が若く、改造後も長い期間使われるであろう車両が選ばれていたのでした。

 こうした事情もあって、冷房化改造は劇的なスピードで進められることは叶わなかったのです。

 ここで注目したいのは、写真の左側に停車する115系です。

 

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 この写真では湘南色に塗られていますが、登場時は身延線用に製造された暖地向けの2000番代です。それを裏付けるものとして、車両の中央部の屋根に注目すると、ここにはAU75を載せることを前提とした形状とされ、点検用のランボードが設置されているのが見えます。車内もAU75を載せるのに耐えうる強度を持たせ、冷房用のダクトも設けられていたようです。しかし、肝心なAU75は搭載しないまま落成し、非冷房車として配置されたのです。

 理由は諸説あるようですが、身延線用に115系を製造したのは、残存する旧型国電を淘汰することを目的でした。しかし、時期が悪く国鉄の財政事情は年々悪化の一途を辿る一方で、新車を製造する余裕など既にほとんどなかったのでしたが、それでも、老朽化が激しく運用コストが高く、しかも故障の頻発、接客設備の陳腐化など改善は急を要する状態でした。そこで、なけなしのお金をはたいて作られたのが、ワインレッドに白帯を巻いた115系だったのです。その財政事情の中での製造だったので、可能な限り製造コストを下げるため、涼しい山間部を走るので省略しても差し支えないだろうという判断だったのか、肝心のAU75は装備しなかったのでした。

 そのような状態で登場した115系は、AU75を装備することなく分割民営化を迎え、JR東海に継承されたのでした。

 民営化後はこの写真のように、湘南色に塗り替えられ、身延線だけではなく配置する静岡車両区が管轄する御殿場線の運用にも入るようになります。

 しかし、冷房装置が未搭載であることは、民営化後のサービス向上の足枷になっていました。財政的にも巨額の赤字はなくなり、東海道新幹線というドル箱を抱えて資金も潤沢になったにもかかわらず、在来線車両を冷房化しないままでは利用者のイメージはどん底になってしまいます。

 とはいえ、国鉄時代の方法ではコストも時間もかかるので、好ましいものとはいえません。まがりなりにも民間企業になったのですから、費用対効果をしっかりと見極めることは重要です。

 そこで、製造時に施されていた冷房化準備工事のことはスルーして、新開発のC-AU711集約分散冷房装置を採用しました。この冷房装置は、AU75よりもはるかに安価で性能も高く、しかも軽量なので冷房化工事もAU75と比べて工期も短く、簡易に済ますことができます。

 また、インバーター回路を採用しているので、消費電力も従来の装置に比べて少なく済むので、運用コストも軽減できるという優れ物でした。

 ただし、冷房能力は14,000kcal/hと、AU75の42,000kcla/hよりも低くなってしまいます。そこで、AU711を2基装備することで、AU75と同等の能力を持たせることしたのでした。こうして、民営化後にそれまで非冷房に甘んじていた車両にも冷房化工事が施され、サービス改善につながっていったのでした。

 JR東海に継承された113系115系には、もう一つ、JR東日本に継承された車両たちと異なるところがありました。それは、スカートや台車などの下回りがグレーに塗り替えられたことでした。

 この塗装変更の理由は諸説ありますが、明るいグレーにすることで、検査などで下回りの不具合を発見しやすくしたことが考えられます。黒色だとちょっとした傷も見にくく、不具合の早期発見が難しくなってしまいます。しかし、グレーだとそれらも目視で発見しやすくなり、不具合の早期発見と車両故障による輸送障害を減らす効果が期待されたのです。

 実際、民営化後に車両の下回りをグレーに変える事例は多くあり、例えばJR貨物のコキ50000は、民営化後しばらくは黒色のままでした。しかし、1993年に奥羽本線で起きた台車枠破損を原因とした脱線事故では、TR223台車が金属疲労により台車枠を折損してしまいました。その後、同じTR223を装着するコキ50000に対して、緊急的に台車枠を強化したTR223Fに換装しましたが、この新しい(といっても、台車枠を強化仕様にしたものへ交換しただけですが)台車からは塗装をグレーにして、未然に同様の事故を防ぐねらいがありました。

 

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 一方で、JR東日本の継承された車両が黒色のままで、これは新系列と呼ばれる民営化後に新製された車両も、引き続き黒色を堅持しています。これは、運転頻度が多いため制輪子などから飛び散る鉄粉による汚れを嫌ってのことと、新系列の車両に導入された保全検査体制が、台車や床下機器をわざわざグレーにしなくても破損の兆候などを発見することが可能であると考えたからでしょう。

 いずれにしても、同じ国鉄から継承した同じ系列の車両でも、細かいところに差が出て印象も変わり、趣味的にも興味深いものです。これもまた、民営化により国鉄標準という枷が外れた結果と言えるでしょう。

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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