旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 西鉄時代の面影を残す広電3000形【3】

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《前回からのつづき》

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 その北九州線も、1990年代に入ると既に利用者も減少していて、筆者はあまり知りませんでしたが、存廃が問題になっていたようです。確かに、言われてみると筆者が北九州線に乗って小倉車両所に通った1991年には、朝の通勤ラッシュの時間帯でも「満員」とはいえない状態だったことを思い出します。どれだけ混んでいたとしても、座席にありつくことは叶わくても、立っていて隣の人と密接になるような状態ではありませんでした。

 ボギー台車を履く単車だった600形は定員80人ですが、それを満たすほどの利用率はなかったのです。これが、定員160ににものぼる1000形はとなると、それなりに多くの人が乗っていたとしても、やはり立っていても雑誌や新聞を読むことができるほど、隣の人との距離は短くなかったのです。

 こうなってくると、北九州線最大の定員をもつ1000形は、採算を取るには難しい車両へとなっていたと言えます。事実、朝夕の通勤時間帯にこそ、1000形は活躍していましたが、日中はといえば1000型よりも600型のほうが数多く走っていたのでした。

  とはいえ、時代は平成に入っても、政令指定都市の中心地である北九州市の小倉を中心に、路面電車が往来している光景は筆者にとって驚きであり、まさかその路面電車が通勤手段になろうとは夢々思いもしませんでした。そして、1000形は最大の輸送力を発揮して、北九州市民の通勤通学、そして生活の脚として活躍していたのです。

 その北九州線も、筆者が北九州市を離れた翌1992年10月に末端区間である黒崎駅前ー熊西間を残して、砂津ー黒崎駅前間が廃止されてしまいました。既に廃止については決定事項だったのか、それとも筆者だけが知らなかったのか、その年の夏にサイド北九州市を訪れこの路面電車に乗ったのが最後となってしまったのでした。

 2008年頃に小倉を訪れたとき、西鉄北九州線はその姿を跡形なく消してしまっていました。代わりに、「電車代行バス」として、西鉄の路線バスが路面電車が走っていたルートをそのままなぞるかのように運転されていたのでした。時代の変化とはいえ、まだ社会へ出て間もない19歳だった筆者が、通勤でお世話になった路面電車はすでになかったことに、一抹の寂しさを覚えたものです。

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北九州本線廃止後は、写真のように西鉄バスによって電車代行バスが運行されるようになった。代行バスであることを示すように、西鉄バスの一般的な塗色ではなく、グリーン系の塗装となって、電車が辿ったルートをなぞるように運行されるようになる。停車するバス停も、電車時代の電停とほぼ同じとされ、運行取扱い上は「特別快速」となっている。また、当初は中型車で運行されていたが、後に写真のような大型M尺車へと変わり、今日では一部をBRTとして連接車で運行されつようになった。(2007年10月 西鉄バス北九州・八幡自動車営業所所属 幡9229  日産ディーゼル KL-UA425MAN 北九州市小倉北区砂津付近 筆者撮影)

 

 さて、北九州線で活躍した1000形は、同じ西鉄系列の筑豊電気鉄道に譲渡され第二の活躍をしました。ここで紹介している広島電鉄の3000形は、北九州線の1000形ではなく福岡市内線で活躍した1101形・1201形・1301形が譲渡されたものでした。

 福岡市内線は福岡市の中心部を網羅した路面電車で、現在の福岡市営地下鉄の路線に相当する部分を走っていました。しかし北九州線のように、警察署が率先して路面電車の運行を確保するような施策は実施されず、運輸省や福岡県が中心になって高速鉄道(地下鉄)への転換と、路面電車の代替として路線バス網を充実させることにしたため、福岡市内線は1978年に全線が廃止されてしまったのです。

 その福岡市内線で活躍していた三連接電車は、ほとんどは北九州線で活躍していた1000形とほぼ同じでした。細かいところでは尾灯の位置が異なるなどありましたが、最も目立つのは北九州線が都市間鉄道の性格が強かったため、前面中央の窓が二分割されていて運転台が左側にオフセットされていたのに対し、福岡市内線は純然たる都市路面電車だったため、中央の窓が1枚となり運転台も中央に置かれていたことでした。また、北九州線の1000形は吊り掛け駆動であったのに対し、福岡市内線の車両は製造メーカーごとに異なる仕様となったため、1201形・1301形が吊り掛け駆動、1001形・1101形は中空軸平行カルダン駆動を採用していたのです。

 

 

《次回へつづく》