旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 西鉄時代の面影を残す広電3000形【4】

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 《前回からのつづき》

blog.railroad-traveler.info

 

 福岡市内線の廃止に伴い、ここで活躍していた三連接電車は一部が系列の筑豊電気鉄道に譲渡され、全部で8編成が広島電鉄に譲渡されたのでした。

 広島電鉄に移った三連接車は、広島電鉄仕様に改造されました。大きく目立つ改造は全部標識灯が前面中央窓下に1個という、多くの路面電車に採用されていたスタイルであったのを、窓上に移した上2個に増やされました。また、広島電鉄は純然たる路面電車(軌道線)である市内線と、鉄道線である宮島線があり、3000形はその輸送力の大きさから宮島線ー市内線直通運用に充てるために直通灯が増設されました。

 また、改造前はパンタグラフが1個でしたが、これを2個に増設して高速運転時にパンタグラフの離線対策も施されました。カルダン駆動であった元1101形は吊り掛け駆動に換装、さらには方向幕も大型化するなど広島電鉄仕様が強くなる印象になったのでした。

 

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西鉄福岡市内線時代の姿を留める熊本市交通局の5000形5014号車AB。もともとは、西鉄1001形1014号車ABとして1957年に製造されたもので、1978年に移籍してきて現在の形式を名乗るようになった。広島電鉄に譲渡された車両とは異なり、前線が併用軌道で路面電車として運行するため、外観は大きく変化していない。外観上の大きな変化と言えば、集電装置がパンタグラフからヒューゲルに変わった程度で、後年冷房装置も搭載された程度である。また、西鉄時代の塗装にも戻されたことで、この車両がかつて福岡市内線で活躍していたことを伝えている。(出典:Wikimedia Commons  ©Shimachoku, CC BY-SA 4.0,)

 

 その3000形は広島電鉄移籍後、予定通り宮島線と市内線直通の運用に充てられるようになります。筆者が小学生の頃、大垣夜行と新幹線を乗り継いで訪れた広島で、最も印象に残ったのはこの3000形で、屋根上に櫓のようなものを組んでその上に載せられた大型のパンタグラフと、これまたバスのように大型化された方向幕には、「宮島」と書かれた行き先は無味乾燥のゴシック体ではなく、毛筆の書体で書かれていたのもインパクトがありました。

 ただでさえ、筆者にとって路面電車は縁遠い存在だったので、こうした電車が道路上をひっきりなしに走る光景もまたとても新鮮で、既に40年近くたった今でも脳裏に鮮明に残っています。幼き頃のインパクトのある印象というのは、歳をとっても焼き付いていますが、最近のことはすぐに忘れてしまうのは困ったことですが。

 長らく宮島線と市内線の直通運用に充てられていた3000型でしたが、新型の警戒車両が登場すると、その役割を譲って余剰気味となってしまいました。それでも、広島電鉄は3000形を廃車するのではなく、可能な限り活用しました。新しい車両を増備しても、状態が良ければ古い車両を最大限に活用する方針が、「走る路面電車の博物館」と呼ばれる所以でしょう、宮島線直通運用を撤退した後は、その輸送力を活かして市内線専用として活躍しました。

 しかし、車両の老朽化の進行とともに、さらなる輸送力の増強を求められ5連接車が登場したこと、そして交通バリアフリー法の施行によって超低床車の導入が進んだことで、長らく広島電鉄の輸送力車として活躍した3000形もその役目を終えて廃車されるようになってきました。

 写真は筆者が約30年ぶりに訪れた広島の宇品線で撮影した3000型の3007号しゃです。西鉄福岡市内線時代はA車とB車が1300形1305号車、中間のC車が1201形1207号B車でした。製造当初から全金属製車体・吊り掛け駆動でしたが、着席定員が少ないなど西鉄時代から輸送力者として活躍していました。

 広島電鉄譲渡後は、既にお話した改造を受けて宮島線直通運用車に充てられて活躍し、この写真を撮影した時点では市内線専用の運用に就いていました。製造から既に40年以上が経っていましたが、ご覧のように年季は入っているものの状態がとても良く、どことなく西鉄時代をも彷彿させる姿に、筆者の若かりし頃を思い出させてくれました。

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宇品線広島港(宇品)停留所を、冬の午後の日差しを浴びながら発車していく3000形3007号。元西鉄1100形で、前掲の熊本市交通局5000形と比べると、外観も大きく変化していることが分かる。前部標識灯が前面上部に移され1個から2個に増加、方向幕も小型のものから大型へ換装されている。西鉄時代はパンタグラフが1基だけだったものが2基に増設、さらに側扉も運転台脇のものを除いて折戸から開戸へと換えられ、広島電鉄での運用に合わせた広島色が色濃くなっている。広島電鉄に残る3000形も、2021年現在では残り1編成となってしまい、写真の3007号は2021年3月に廃車解体されてしまった。(2008年11月 広島電鉄広島港(宇品)停留所 筆者撮影)

 

 2010年代に入り3000形の廃車が進んでいく中で、3007号はつい最近まで走り続けましたが、残念なことに2021年3月に廃車となり、江波車庫にて解体されてしいました。後継となる5200形などの連接車が登場したことや、古い車両故にバリアフリーに対応できないこと、更には2020年から猛威をふるいパンデミックになっている新型コロナウイルス感染拡大の影響で需要が激減し、運用コストが高い旧式車の維持が難しくなったことなど様々な要因が元になったと考えられます。

 いずれにしても、西鉄時代に利用者の増大でそれに対応する輸送力車として登場し、国内初の3連接車の一つとして活躍。西鉄での仕事を失った後は、広島電鉄の救世主として移籍し、その輸送力を活かして広島市の中心地だけでなく、日本三景の宮島への交通手段として走り続けたことは、多くの路面電車が路線の廃止とともに運命をともにした中では、非常に幸運に恵まれたといえるでしょう。しかも、製造から50年以上も経過し、その老体に鞭打ってなおも走り続けたことは、もしかすると日本の鉄道史にその名を刻んだといっても過言ではありません。

 今日製造される鉄道車両が、従来の車両と比べて短命でその役目を終えてしまう中にあって、この3000形のように50年以上活躍するというのは難しい事になってきています。しかしながら、古い車両ほど強固な造りになっていることや、装備する機器類も古いながらも信頼性の高いものであることなど、先人たちの設計思想が21世紀にも通用していることは、日本の鉄道の技術力が高かった証といえるかもしれません。

 

 今回はかなりの長文になってしまいましたが、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。