旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から キハ40系史上、最強クラスのエンジンで化けたキハ40 400番代【2】

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《前回のつづきから》 

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 一方、全国各地に配置されたキハ40系の中で、最も北にある北海道に配置された車両たちは、本州のそれとは少しばかり異なりました。冬季は本州とは比べものにならないくらい厳しい寒さで、しかも積雪量も多い気候の中で運用されるため、通常の耐寒仕様ではかないません。側窓は通常の大型で二段式のユニットサッシではなく、小型の二重窓に改められ、客用扉には冬季の凍結を防ぐためにドアレールにヒーターを組み込む、更には保温性能も高めた酷寒地仕様の車両が製造されました。

 製造当初は、このキハ40系が1両編成でも運用が可能と考えられていましたが、実際にはそれが難しいことが判明します。北海道のローカル線は輸送密度が極端に低く、気動車が1両編成で運転される列車が多いのが特徴です。1両編成で列車を運転することによって、運用効率を高めてコストを削減することを企図したのですが、夏季にはそれでも十分運転できたのが、冬季になるとあまりにも多い積もった雪に行く手を阻まれてしまい、定時制を確保することが極端に難しくなってしまったのです。これは、線路に積もった雪を営業運転される列車である程度排雪することを目論んでいて、従来はキハ22が2両編成でそれを行っていたのを、キハ40を投入することでこれを1両編成にするというものでした。

 しかし、キハ40は電車並みの車体に接客設備を装備したため重量が嵩み、DMH17系列よりも性能は上がったものの車体重量に対してエンジンの出力が低いために、1両編成で排雪をしながら走行すると、たちまち列車の運転速度が落ちてしまったのです。結局、夏季にはキハ40が1両でも運転できたものを、冬季になると積雪対策でキハ40を2両編成で運転するか、あるいはエンジンを2基装備した車両で運転するしかなかったのです。

 ところが、キハ40を2両編成で運転しても、そもそもの輸送密度が少ない路線が多いため、効率が下がって運用コストを増加させるたけでした。札幌都市圏のように、利用者が多い路線では取り立てて問題視する必要はありませんでしたが、やはり、末端のローカル線では輸送能力が過剰になってしまったのです。

 また、エンジンを2基装備した北海道向けの気動車はキハ56系ぐらいしかありませんでしたが、キハ56系は急行形であるため、1両編成での運用は想定されておらず、結局のところ2両編成を組まざるを得ません。そこで、余剰となったキハ56を両運転台に改造して、1両編成で運転が可能なキハ53 500番代を登場させました。大型で非力とはいえ、DMH17系列を2基搭載したキハ53 500番代はそれなりの性能を発揮し、民営化後は閑散線区の運用に充てられました。

 

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札幌駅に進入するキハ53 504。その車体を見ての通り、酷寒地向けの急行形気動車であるキハ56を両運転台化改造して登場した。これは、冬季には線路上に積もった雪を排雪しながら走行するという、北海道ならではの運用があるため、1エンジン車であるキハ40などでは歯が立たず、キハ40などでは2両編成での運用が強いられたため、合理化の観点から2エンジンである強力車が求められたからである。急行廃止によって余剰となっていたキハ56系を改造することで、2エンジンを装備し、1両編成での運用を可能にした。(キハ53 405 〔札ナホ〕 出典:via Wikimedia Commons ©spaceaero2, CC BY-SA 3.0, )

 


 ところで北海道の鉄道は、本州以南とは異なる特異な事情を抱えています。その一つは厳しい気候です。冬になればオホーツク海などから吹き込むシベリアの寒気をまともに受け、気温が氷点下に下がることなど当たり前です。しかも、日本海側の気候も兼ね備えているので、積雪量も多く鉄道にとっては過酷な気候なのです。

 一方、北海道の産業構造もまた、本州以南とは大きく異なります。かつては、道内各地で石炭の採掘が盛んで、各地には数多くの炭鉱がありました。1970年代まで、北海道の主要な産業の一つが石炭で、その経済を支える屋台骨ともいえました。そのため、数多くの炭鉱労働者が道内の各地に住み、その家族も含めて炭鉱周辺にいわゆる「企業城下町」ともいえる町を形成していました。規模は小さくとも、そこには学校や病院もあり、そして生活を支える商業も盛んになったのです。

 ところが、1980年代に入ると国のエネルギー制作の転換によって、単行は次々に閉鎖に追い込まれていきます。それまでエネルギーの主役であった石炭から、石油への転換が進んでいき、その需要が急激に低下するとともに、採炭に伴う炭鉱事故が続発したことで、炭鉱は廃坑に追い込まれて閉山していきます。北海道の主要な産業であった炭鉱も次々と廃坑・閉山に追い込まれ、そこで働いていた人々やその家族は町を去り、そして人口が極端に減少していったため、町の人々を支えてきた周辺の産業も衰退していき、ついには町そのものが放棄されていくこともありました。こうした産業構造の変化を背景に、かつては栄えていた北海道の町は人口が減少し、仕事を求めて都市圏へと移り住んでこともあって、広大な大地は深刻な過疎化が進んでいったのです。

 このような理由から、かつては北海道各地には小さいながらも人口が集まる町が点在していたことや、高速道路網もあまり発達していなかったため、比較的距離が長い移動はもっぱら鉄道が利用されていました。しかし、こうした町も少なく、高速道路網も発達した今日では、鉄道よりも自動車を利用する人が多くなったため、かつては地域や都市間輸送を支えた鉄道もまた、利用者が減少の一途を辿っていき、運転本数がダイヤ改正のたびに減らされてていき、ついには1日に数本しか、それも輸送量に合わせて1両編成でも十分という路線が数多く存在する結果になったのでした。

 

《次回へつづく》

 

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