旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

「金太郎」一次形を捉える

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 その昔、東北本線から北海道へ渡る貨物列車は、最低でも3つの駅で機関車の付け替えをしていました。黒磯駅では直流機からED75へ、東青森ではED75から海峡線線用のED79へ、そして五稜郭ではED79からDD51またはDF200へと、機関車のリレーによって往来していたのです。

 しかし、この機関車の付け替えは、端で見ているよりもはるかに負担が大きいもの。機関車の運用はそれぞれ3車種で、乗務する機関士もそれに応じて運用を分けていました。また、この付け替え作業を行うために、列車はそれぞれの駅で停車しなければならず、列車の所要時間を延ばしていました。これらの駅にも機関車の付け替えや入換誘導をする操車掛(輸送係)を配置しなければならないなど、端で見ているよりも想像以上に複雑になってしまうのです。

 さらに、ED75ED79は重量の重い貨物列車を高速で牽くため、よほどのことがない限り重連で運用していました。この重連もまた、コストがかかるものなので、できれば1両で牽くことができ、そして黒磯から五稜郭まで通して運用できる機関車を欲していたのです。

 そうして、登場したのがEH500でした。

 2車体で1両という機関車は、国鉄時代にEH10がありましたが、それ以来はずっとF級機が主でした。そのため、線路使用料を受け取る旅客会社からは、H級機では1両分しか受け取れないのに、実態は2両分ではないかと言う声があったとかなかったとか。結局は、国鉄時代のEH10が2車体でも1両だったから、それに倣うということになったそうです。

 そのEH500も、いまや交直流機としては大所帯になり、北は東青森から西は福岡貨物ターミナルまで、その性能をもって広く活躍しています。最近まで、仙台に所属するEH500の運用の南限は新鶴見まででしたが、2020年のダイヤ改正東海道本線まで進出し、相模貨物まで顔を出すようになりました。

 さて、今回ご紹介するEH500は、量産機の中では希少な存在といってもいいでしょう。なにしろ、82両つくられたEH500の中でたった2両しかつくられなかった第一次車なのです。

 

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EH500-2〔仙貨〕 2021年6月15日 新鶴見信号場(筆者撮影)

 

 第一次車の特徴は、その前面のデザインでしょう。前部標識灯と後部標識灯が一体になったライトケースは下部にあり、第二次車以降とは異なります。前面窓下にはスペースがあるので、少しばかりのっぺりとした印象です。

 そして塗装も、第三次車とは異なり、深みのある赤色です。

 少しばかり渋めの色彩ですが、筆者はどちらかというとこの色の方が似合っていると思います。第三次車の赤色は鮮やかで目立ちやすいのですが、どことなく交流機のようなのと、明るい色彩が貨物機らしくなく感じるのです。

 もっとも、雪の中を走ることがあるので、明るい色彩の方が目立ちやすく警戒色にもなるので、その意味では第三次車の方がいいのかもしれません。

 この写真を撮影した後、EH500-2は遠路はるばる幡生から列車を牽いてきたEF210と入れ替わり、東青森を目指して8069列車を牽いて北へ向かって行きました。8069列車は福岡貨物ターミナル発、札幌貨物ターミナル行きの長距離列車で、福岡を12時56分に発車すると、翌々日の11時半過ぎに目的地の札幌に48時間近くかけて走る長距離列車です。

 北海道と九州を結ぶ列車のほとんどは、日本海縦貫線を経由するのですが、この列車はどういうわけか東海道山陽線、そして東北線を経ていきます。理由は定かではありませんが、恐らく途中の停車駅の関係なのかも知れません。

 2両しかいない第一次車、次にここにやって来るのはいつのことになるでしょう。それだけ遭遇率の低い機関車に、ふらっと出かけてご対面できるとは、ある意味運がいいのでしょう。

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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