旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 1980年代の新鶴見機関区・操重車倉線で佇むEF65 1070【2】

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《前回のつづきから》

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 1070号機は1976年に落成すると、新鶴見機関区に新製配置されました。既にこの頃には新鶴見に旧型電機の配置はなかったと考えられるので、1070号機を含む第6次車を新製配置し、その押し出しでEF65の0番代などを高崎第二区などに配転させることで、旧型電機を淘汰させていったのでしょう。

 それ以来、1070号機は一貫して新鶴見に配置され、東海道山陽本線や首都圏の貨物列車を引き続けています。PF形なので、客車牽引用の設備はもっていますが、旅客列車の先頭に立ったという記録は筆者の知る限り見当たりません。

 1987年の国鉄分割民営化では、新鶴見機関区はJR貨物に継承されました。当時、ここに配置されていた機関車たちも、機関区とともにJR貨物の所属となり、筆者が新鶴見機関区構内を保守作業で訪れるようになってからも、何回か目にしたことがあります。筆者が貨物会社に入社したのが1991年なので、既にこの頃にはコキ50000のブレーキ変換弁改造を施工した250000番代を牽くための常用減圧促進改造が進められていて、新鶴見生え抜きの第6次車のほとんどがその対象となって改造を受けました。1070号機にも施工され、ナンバープレートの色が前面青色・側面クリームから、前面側面ともに赤色に変えられました。

 その後、耐用年数を延ばす更新改造も施されたことで、それまで身に纏っていた国鉄特急色から、貨物更新色へと装いを改めましたが、運用そのものは大きく変化することなく、東海道山陽線や首都圏、さらに遠征して四国の貨物列車牽引に充てられ活躍を続けました。

 また、国土交通省令により、運転記録装置を装備しないJR貨物の1000番代PF形は、旅客会社保有の1000番代PF形と区別するために改番が行われたのは多く方がご承知の通りで、1070号機も原番号+1000とされて2070号機へとその名を改めますが、担う役割には大きく変化はありませんでした。

 

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EF65 2070〔新〕 2020年8月8日 新鶴見信号場(筆者撮影)

 

 一方で、年を追うごとに僚機が運用を離れ、休車になったり廃車されたりするのを見送りながら、2070号機は再び全般検査を施行され、装いも貨物更新色から再び国鉄特急色へと戻りました。これは、リバイバルカラーではなく、JR貨物保有する2000番代がすべて更新工事施工機になったことで、車体の塗装で更新機・未更新機の識別する必要がなくなったことと、更新色の塗装コストなどを考慮した結果、国鉄特急色に戻されたと言われています。

 こうして、2070号機は誕生から40年が経った2021年も在籍し、変わることなく貨物列車の先頭に立ち続け、かつてはPFの牙城とまで言われた新鶴見区から離れることは一度もありませんでした。

 しかし、そういつまでも安泰とは言い切れません。

 既にご承知の通り、「押し桃」こと最新鋭機EF210 300番代の増備が続けられ、新鶴見区にも新製配置が始まっています。真新しいEF210 300番代が配置されると、老兵である2000番代はその役目を終えて、少しずつですが現役を退いて廃車されています。

 JR東日本のように、その財力にモノをいわせて数年ですべてを置き換えるという芸当はJR貨物にはできませんが、それでも、年に数両ずつとはいえ着実に新型機への置換えを続けているので、そう遠くない日に、新鶴見区から2000番代が姿を消す日がくることでしょう。

 写真のように、何も変哲もなかった1070号機改め2070号機は、今となっては国鉄時代から走り続けている貴重な一両です。車齢40年は貫禄さえ感じさせますが、大きなトラブルを起こすことなく、担った役割を何事もなく最後までこなし続けてほしいものです。

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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