旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 最後まで残った前期形のPF・EF65 1037【3】

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《前回のつづきから》

 

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 国鉄の分割民営化が具体的になった頃、1037号機に大きな転機が訪れます。1986年のダイヤ改正では、翌年に控えた新会社への移行を見据えた大規模な車両の配置転換が行われました。1037号機もその対象となり、東北線高崎線上越線といった北方面を担当していた田端区から離れ、新鶴見機関区へと配置が変わりました。この新鶴見区への配置転換は、すなわち翌年には貨物会社に所属することを告げられたもので、電機にとって花形仕業から退くことを決定づけられたのです。言い換えれば、脚光を浴びた檜舞台から降ろされ、地味な裏方へ追いやられたようなものでした。

 1987年の分割民営化により、前年の配置が決定づけたとおりに貨物会社に継承された1037号機は、首都圏や東海道山陽本線、さらには誕生以来走り続けてきた東北本線上越線などの貨物列車を牽く仕業をこなし続けます。

 その後、199 年には後継となる新型機EF200の配置などにより、新鶴見区から高崎機関区へと配置換えになりました。さらに 年には岡山機関区へと再び配置転換され、山陽本線や関西圏、さらには四国乗入れの貨物列車を中心に活躍の場を移していきます。

 岡山区にEF210の新製配置が続くと、いよいよ活躍の場が狭まっていきました。それに追われるようにして、再び新鶴見区へと配置転換されます。この頃は、JR貨物が機関車の車種別に配置する「集中配置」の構想によるもので、1つの機関区に、1~2車種のみを配置し、検修や運用の効率化を狙ったものでした。岡山区は残存する0番代などを廃車させ、EF210のみの配置にしたのでした。代わりに、新鶴見区には1000番代PF形を集中配置することにし、置換用に新製配置されたEF210を除いて、あとはすべて1000番代PF形としたことで、いわば牙城と化していったのです。

 

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〔出典:ウィキメディア・コモンズ ©Mitsuki-2368, CC BY-SA 3.0

 

 その牙城と化した新鶴見区に「出戻った」1037号機は、2012年に運転状況記録装置の有無による区別を容易にするため、原番号に1000を加算した改番措置を受け、新たに2037号機を名乗るようになります。旅客会社に所属する1000番代PF形には、この運転状況記録装置が装備され、貨物会社の1000番代PF形には装備しなかったため、運用する上で取り違えなどの混乱を防ぐ目的で行われました。この措置により、1000番代PF形は最高運転速度が95km/h以下の高速貨物列車Bより下位の列車に限定されるようになります。

 こうして、2000番代PF形となった2037号機ですが、写真を撮影したときはまだこの改番が行われていませんでした。そして、多くの一次形、二次形、三次形がその役目を終えて過去帳入りしていく中、2037号機と名を改めた1037号機は、数少ない初期形の特徴を多くもつ最古参の車両の一つとなっていったのです。

 改番後も、JR貨物の最古参機の1両として、東海道山陽線新鶴見区が受け持つ「四国運用」と呼ばれる四国乗り入れ列車の先頭に立ち続け、またときには首都圏の貨物列車を牽くなど、変わらず日本の物流を支え続けました。

 やがて寄る年波にはかなわず、また後継となるEF210の増備が再開され、新鶴見区に配置されてきたことから、JR貨物の中でも最古参であった1037号機は、同じく昭和44年度第4次債務で製造された僚機でもある1036号機とともに、2015年についに長きにわたるその役目を終えて鉄路から去っていきました。

 1969年に産声を上げてから、実に45年という長い間運用され続けたのは、他の僚機と比べて状態がよく、そして幸運にも恵まれていたからでしょう。鉄道マン時代からの親友で、かつて1000番代PF形の検修にも携わった経験のある現役の職員と話すと、やはり機関車も1両1両に癖があり、また状態の善し悪しもあるといいます。経年が浅いからといって、必ずしも機関車自体の状態がよいとは限らず、ときにはあまりにも状態が悪いと乗務する機関士にもそのことが知れ渡り、その車両に乗るのを嫌がるといいます。

 検修側でも、不具合を起こして運用を外されて臨時に入場してくると、「またこのカマか」と呆れることもしばしば。いくら腕の立つ検修陣が補修をしても、やはり機関車自体の不具合を根本的に直すことは難しいとのことです。ですから、例えば1037号機より後に落成した四次形である1045号機は、2000番代改番措置を施行する前の2009年に廃車になっています。また、後期形に分類される1071号機はそれよりも前の2008年に廃車になりました。こうした例はいくらでもあり、機械の塊である機関車の状態によるものだといえるでしょう。そうした意味においても、1037号機は非常に状態がよかったこと、そしてそれを維持し続けた新鶴見区の検修陣の技術力の高さを示すものだといえます。

 前面窓下に通風口のスリット、外バメ式の後部標識灯、そしてひし形のPS17を装備し、前期形の特徴が色濃いながらも、前面窓上には氷柱切りの庇を装備し、さらには更新工事でブロック式ナンバープレートへと交換されたその姿は、まさに1037号機が歴戦の車両として走り続けてきた証なのかもしれません。

 

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 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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