旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 廃車前提の休車となったEF65 1078最後の姿【1】

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 どのようなものでも当てはまりますが、使い続ければ必ずいつかは壊れてしまいます。壊れなくても、当初の性能を維持することが難しくなり、次第に使いにくくなっていくこともあるでしょう。

 それは鉄道車両も同じです。どれだけ高い性能を与えられても、最新性の技術をふんだんに使っても、経年による劣化は避けようがありません。

 国鉄時代につくられた、いわゆる「国鉄形」と呼ばれる車両の多くは、民営化後30年近くが経っても活躍し続けていることが多く見られます。当時の国鉄は、最新鋭の技術を盛り込むことよりも、いかに製造コストを抑え、古くても実績があり信頼性の高い機器を採用し、検修においても車種が変わっても同一またはそれにほぼ近い工程で済ませることで、ランニングコストを抑えることを第一義にしていたのです。

 そのため、電気車においては抵抗制御と直流直巻電動機の組み合わせが標準でした。そして、長く使い続けることを前提としていたため、普通鋼製の車体も、非常に丈夫な造りになっていたのです。その証左として、製造してから車齢が30年は優に超え、中には40年超えや50年近くになってようやく現役を退いていく例が散見されます。

 もちろん、一ファンとしては、国鉄形がいつまでも走り続けてくれればという思いもありますが、元鉄道マンとしては、古い車両を使い続けることで生じるコストや安全に対する信頼性の低下、現場で車両の維持に当たる検修技術者たちの苦労も理解できるので、そうも言ってはいられない実情も理解できるのです。

 そのようなわけで、長く活躍してきた車両も、いずれは廃車の運命をたどるのは当然と言えるでしょう。

 廃車の運命を決定づけられながらも、すぐには除籍・解体されずに一時的に保管する例があります。いわゆる「休車」と呼ばれる措置で、車籍は維持されてはいるものの、運用から外されて保管されている状態のことを指します。

 この休車にも大き分けて2種類あり、1つは検査期限の延長などを目的に、一時的に運用から外す場合です。休車の措置が取られ運用から外されると、その車両の検査までの周期が一時的に停止される規則があります。こうすることで、例えば電気機関車であれば全般検査の期間が前回施行時から8年間と定められていますが、休車の措置が1年間とられたとすると、次回の検査は前回施行時から9年間とすることができるのです。

 一方、こうした検査期限の延長を目的とした休車ではなく、余剰となったり老朽化が進んだりして運用から外されて休車の措置が取られることがあります。新型車の配置による玉突きで余剰となった場合は、列車が削減されたことで運用が減って余剰となる場合、さらには老朽化で所期の性能を発揮できなくなった場合など、こうした措置が取られます。

 もちろん、そのまま運用から外して廃車とするほうが一般的ですが、鉄道事業者の都合によってそのまま廃車手続きをとらず、廃車が前提ではあるが一時的に温存しておくための休車もあるのです。

 

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新鶴見機関区で次の仕業を待つEF65 1079。更新工事を受けることなく、また運転台への冷房装置の追設もなく、常用促進改造のみであったので外観はナンバープレートが赤色になったことと、不必要になったスノープラウが取り外されたこと以外はほぼ原形を保っていたと考えられる。新製配置以来、一度も離れることなくその廃車まで終生を新鶴見で過ごした。2010年代に入り、夏場は異常な暑さが日常茶飯事となったので、冷房装置がない1079号機での乗務は、機関士にとっては忌避したいカマだったかもしれない。(EF65 1079〔新〕 新鶴見機関区 2011年7月23日 筆者撮影)


 この場合、既に廃車という運命が決まっていて、いずれは車籍を抹消され、その多くは解体されていきますが、休車の措置がとられている間は車籍が維持されています。そのため、必要があれば車両を整備し、運用に復することも可能です。

 このような措置をとるのは、何らかの予測し得ない事態が起きて、置換えのために新製されるはずだった新車がつくれなかった場合があるからです。特に、JR貨物は貨物輸送が主体で、国内外の経済動向に左右されやすい経営環境にあります。今日、ようやく黒字経営に近い状態になりましたが、それでも何らかの重大なことが起きると、すぐさま輸送量の低下に繋がりかねません。そうなると、計画では新製することになっていた車両の製造を見合わせたり、あるいは発注そのものがキャンセルにせざるを得なくなります。

 そのようなことになった場合、そのまま廃車して解体してしまっては、必要な車両が確保できなくなってしまいます。こうした事にならないために、いずれは廃車するが、車籍を維持させておき、代替えとなる車両が納入されてから廃車手続きをするのです。

 これはあくまでも筆者の推測ですが、分割民営化の直後、予想外の好景気に支えられて貨物輸送量は増加の一途をたどっていました。増加した貨物を捌こうと、貨物列車を増発して対応しましたが、今度は国鉄から継承した機関車だけでは必要な数が足りず、一度は余剰車の烙印を押されて廃車にされ、清算事業団保有していた機関車を購入して車籍を復活させてまで対応しました。

 一方で、列車の高速化など輸送力の強化も進めなければなりませんでした。当時最強のパワーをもつEF66は、リピートオーダーした100番代を新製してこれに充てました。動揺に、日本海縦貫線にはEF81のリピートオーダーである500番代を増備して、これに対応したのでした。

 このEF81 500番代は、当初は6両の新製がメーカーである日立に内示されていました。しかし、日本海縦貫線の輸送量が予想より伸びなかったことと、バブル経済の崩壊によって経済状態が悪化し、輸送量が低下したことで発注をキャンセルしたのではないかと推測されます。その証左に、既に車体が完成してデッドストック状態であったといわれる504〜506号機の車体を活かして、450番代の増備車である453〜455号機は、451・452号機とは異なる前面デザインで登場しています。

 こうしたことから、廃車が決定はしていてもすぐに廃車・解体はせずに、次のダイヤ改正までは車籍を維持し続け、計画が実行されてから廃車・解体をするようになったのです。

 

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《次回へつづく》

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