《前回のつづきから》
さて、今回の写真は新鶴見機関区の倉線(機関庫)に留置されたEF65 1078号機です。
新鶴見機関区には数多くの線路が敷かれていますが、写真のこの場所はちょうど運転庁舎から鹿島田跨線橋の方へと伸びる構内道路の脇にあります。そして、写真を見ておわかりいただけると思いますが、この線だけはレールが軽量の37kgレールが使われています。
この細くて軽いレールを、現在では本線には使われていません。また、副本線や駅構内の主たる側線や、運転区所の留置線でもこうした軽量のレールはほとんどつかわれることはなく、最低でも40N、おおくは50Nというレールが使われています。言い換えれば、写真の側線は使われる頻度が極端に少なく、そして入換程度のスピードしか出せないようになっています。
首都圏の貨物機の要衝である新鶴見機関区は、国鉄時代から大きく変わらない敷地を有し、北日本と首都圏、東海道・山陽線方面を結ぶ貨物列車を牽く機関車の付け替えを隣接する新鶴見信号場で行われていることから、これらの列車を牽く機関車の待機場所でもある。しかし、幾重にも敷かれた線路の中には、普段はあまり使われることがない場所もあり、その一つが運転庁舎前の側線である。この線路に留置された機関車は、そのほとんどが廃車の運命が決められていて、過去にはDD13やDE11などが留置されていた。写真の1078号機も同じく廃車の運命が決まっていて、実際に除籍・解体される日まで照りつける太陽の下に身を曝していた。(EF65 1078〔新〕 新鶴見機関区 2012年8月3日 筆者撮影)
実はこの線路、新鶴見機関区構内でももっとも使われる頻度が低く、ほとんどが稼働しない機関車の留置に使われている線路です。かつて筆者が鉄道マン時代に、この場所には保存目的で留置されたDE11 2号機や、DE15がラッセルヘッドと一緒に留置されていました。
このような頻度の低い線路に留置されている、ということはやはり廃車前提の休車にされたということで、この写真に写る1078号機もその運命は決まっていたので、筆者にとってこのカマの最後のショットとなってしまったのです。
EF65 1078号機は、首都圏に残存していた旧型電機の置換えを目的として、昭和51年度第1次債務で製造されました。形態的には第6次車で、1971年に第5次車が製造されてから約4年のブランクがあったため、製造再開にあたっては細かい設計変更がされました。
第6次車は1056号機〜1091号機の35両という、同一ロットの電機としては大量の部類にはいる増備でした。この第6次車からは第5次車までと比べて、集電装置がPS22に変更されるなど外観からも設計が変更されたことがわかり、いわゆる「後期形」とも呼ばれています。
1078号機は1976年に落成すると、新鶴見機関区に新製配置され、その後は一貫して新鶴見区から離れることなく、首都圏や東海道・山陽本線、東北本線など、首都圏発着の貨物列車を牽く役目を担いました。
民営化後に数多くの僚機が更新工事を施行される中、1978号機はその対象になることはなく、塗装も誕生からずっと国鉄特急色を身にまとった姿で活躍を続けますが、なにより助士席側の側窓に冷房装置のルーバがないことから、どういうわけか冷房装置の取り付けもされず、「非冷房」のまま運用され続けたのでした。
言い換えれば、ほぼ原型を保った数少ない1両であるといえますが、逆に言えば、1078号機にとっては「不遇」だったといえるかもしれません。こういった話で「タラ・レバ」はふさわしくありませんが、もしも更新工事を受けていれば、もう少しだけ寿命を永らえた可能性もあったかもしれないと思うと残念でなりません。
2015年にこの写真を撮影したあと、後継となるEF210が増備されたため、計画通りに廃車になりました。1976年に落成して以来、車齢は40年に届かずして廃車となったのは、既にお話させていただいた1037号機と比べても短く、そして今日もなお走り続けている僚機である2065号機よりも短いものでした。
運用期間こそ僚機と比べて短かかったですが、汎用的に使える電機として重宝された方で、首都圏をはじめ東海道・山陽本線の貨物列車を引き続け、日本の経済を支えた功績は大きいものといえるでしょう。特に、ナンバープレートの色が示すように、常用減圧促進改造を受けているので、コキ50000・250000番代を牽くことが可能だったので、日本の鉄道貨物史上において最重量(当時)となる1,200t列車や、1,000tに限定されたとはいえ、100km/hという高速運転を可能にし、鉄道貨物の一大転換期では重要な役割を担い、現代のことは特筆すべきことだといえます。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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