旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 首都圏に「ロクヨン」が走っていた【2】

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 《前回のつづきから》

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 EF64 1000番代は1987年の国鉄分割民営化の当時は、最も車齢が長い1001号機でも10年に満たない7年であり、最終号機の1053号機に至っては5年しか経っていませんでした。当然、余剰機とはなることはなく、全機が新会社へ継承されました。

 民営化後は、その多くがJR貨物に継承され、ごく少数となる8両がJR東日本に継承されました。

 JR貨物に継承された45両の1000番代は、高崎機関区と岡山機関区に配置され、前者は高崎・上越線中央東線、そして南武線青梅線の貨物列車を牽きました。後者は主に伯備線中国山地を越える貨物列車の先頭に立ち、日本海側の山陰本線東松江駅まで顔を出していました。今では東松江駅は自動車代行駅となり、米子駅伯耆大山駅に貨物駅が開業したため、山陰本線に入ることはありません。

 さて、勾配線区用、しかも上越線など豪雪地帯で運用することを前提に開発された1000番代は、国鉄時代はもちろん民営化後もその用途に沿って使われていました。この原則が崩れたのは国鉄時代で、南武線青梅線を通して運転されていた石灰石輸送の貨物列車の先頭に立っていたED16の老朽置換用として、1000番代が八王子機関区に配置されてからでした。

 

f:id:norichika583:20210809150123j:plain初の国産貨物用電機だったED16は、製造当初は東海道山陽本線上越線など幹線の貨物列車を牽く活躍をした。後に強力なF級機が登場すると、甲府機関区と八王子機関区に集中配置されて中央東線で活躍した。やがて、こちらもF級機がやってきたことで支線用に転用されて、八王子機関区西国立支区へ異動し南武線青梅線五日市線の貨物用に充てられた。晩年は八王子区西国立支区から独立した立川機関区に前期が集結し、南武・青梅線石灰石輸送列車に充てられた。終編の貨物列車がF級機が先頭に立っていたのに対し、この列車がD級機、それも最古の電機が走り続けたのは、青梅線の線路等級が低く軌道が貧弱だったことよるものだった。青梅線の軌道強化の改良工事が終わると、その役目を長岡運転所から配置転換で八王子区にやってきたEF64にその役目を譲って引退していった。(ED16 1〔立〕 2020年8月15日 青梅鉄道公園 筆者撮影)


 八王子機関区はもともと中央東線で運用される機関車の基地で、かつてはED17やEF10などが配置されていましたが、これら旧型電機を置き換えるために新型直流電機のED61、さらにはEF64が配置されました。1000番代は中央東線はもちろん、それまで立川機関区が担っていた南武・青梅線石灰石貨物の運用も八王子区に移管して、EF64が充てられるようになりました。

 この南武・青梅線貨物がEF64に代わったことで、それまで中央東線の駅まで行かなければ見ることができなかった機関車を、南武線でも見ることができるようになったのでした。筆者もEF65などとは違う、どこか勇壮で重厚感のあるEF64の姿と、大容量の主抵抗器を冷却するブロアー音の轟音に、強烈な印象をもったものです。

 こうして平坦線でもEF64の姿を見ることができるようになると、その後はEF64の運用にも柔軟性がもたされるようになっていきます。しかし、国鉄時代は機関車の用途に厳格な傾向は続いていましたが、完全にこの原則を崩したのは民営化後になってでした。

 高崎機関区に配置されていたEF64は、主に高崎・上越線の貨物列車運用に就いていました。列車によっては根岸線根岸駅鶴見線昭和駅など、京浜工業地帯にある石油精製所でつくられた燃料などを、内陸部に運んでいました。

 篠ノ井機関区(後に篠ノ井総合鉄道部へ改変し、さらに塩尻機関区へと変わり旧篠ノ井機関区は塩尻機関区篠ノ井派出となる)のEF64も、中央東線の貨物列車を担っていましたが、特に多かったのは石油輸送列車でした。根岸線根岸駅川崎貨物駅などから発送される石油輸送列車は、従来は南武線経由で運転されていました。ダイヤ改正が行われるたびに武蔵野南線経由へと変えられていき、新鶴見信号場を堺に南側は平坦線用のEF65EF66、北側はEF64重連と分けられるようになりました。こうして、新鶴見にもEF64の姿が見られるようになり、国鉄時代には考えられなかった機関車が続々とやってきてはその姿を見ることができるようになりました。

 その後、EF64の運用範囲は徐々に広げられていき、運用の南限が新鶴見までだったのが、根岸線東海道貨物支線にも足を伸ばすようになります。これは、新鶴見で機関車を付け替えるよりも、新鶴見から根岸、浜川崎、さらには東京貨物ターミナルまで走らせたとしてもさほど距離が伸びないので、効率的な運用を目指すなら付替えをやめたほうがよいと判断されたと言えます。

 もっとも、こうした新鶴見以南への乗り入れは、高崎区の1000番代が中心でした。篠ノ井区の基本番代は原則として重連運用となり、他の線区へ重連で乗り入れさせても重連のメリットがないばかりか、線路使用料は2倍に跳ね上がなるなどコストが嵩むなどデメリットのほうが多かったのでした。また、重連を解いて単機で運用してもかえって煩雑になるだけだったので、原則として基本番代は新鶴見までの運用でした。

 このように、国鉄最後の新製直流電機となったEF64 1000番代は、首都圏南部でも貨物列車の先頭に立つ姿が多く見られたのでした。

 やがて合理化を進めていく中で、塩尻機関区篠ノ井派出と高崎機関区、さらに伯備線運用に就いていた岡山機関区に配置されているEF64を、全機を愛知機関区に配置転換しました。運用・検修する車種が多岐にわたるより、1〜2種程度に抑えることで運用コストを減らすことが可能になる「集中配置」としたのでした。

 この配置換えで、首都圏に残っていたEF64 1000番代の運用は、一部を他の車種へと変えましたが、ごく少数だけが残ることになりました。特に有名な「鹿島貨物」は、最近までEF64 1000番代の指定席ともいえる存在で、さらに東京ター隅田川間のシャトル列車にも充てられるなど、その舞台は残っていたのです。

 

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EF64 1000番代は愛知機関区に集中配置となった後も、この写真のように頻繁に首都圏でその姿をめにすることができた。写真は新鶴見区西機待線で待機している1025号機。更新工事を受けているので、ご覧のような更新塗装を身に纏っている。(EF64 1025〔愛〕 新鶴見機関区 2010年10月28日 筆者撮影)

 

 とろころが、愛知区に集中配置になったため、首都圏で運用されるEF64を送り込むための運用が必要となりました。そこで、愛知区から首都圏への送り込みを兼ねて、東海道本線の貨物列車の先頭に立つこともありました。もともと勾配線区用の機関車なので、平坦線区でしかも高速運転には不利な機器設定でしたが、最高運転速度が110km/hになる高速貨物列車A以外の運用に充てて送り込むなど、EF64の高速性能の高さを十二分に生かした運用も可能だったのでした。

 こうして、首都圏に多くやってきた1000番代は、新鶴見を始め比較的身近で見る機会が多いカマの一つだったのです。その左右非対称の側面デザインといい、少し角張った感のある近代的なスマートな顔つきはもちろんですが、勾配線区でも平坦線でも十分に使える性能もまた、筆者にとって好きなカマの一つでした。

 

 《次回へつづく》

 

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