旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 首都圏に「ロクヨン」が走っていた【3】

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《前回のつづきから》

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 東海道本線を高速で行き来するという運用は、機関車にとっては相当の負担で、経年劣化を促進していてしまいます。その例の一つとして、EF66が最たるものといえます。

 EF66は特急貨物列車用として、常に高速で長距離を走り続ける運用に就いていました。そのため、走行距離は同じ時期に製造されたEF65とは比べものにならないほど伸びてしまい、EF66よりも前に製造された機関車たちが活躍を続ける最中、EF66は老朽化が激しく進行していたため、0番代を中心に一足先に廃車となっていきました。

 EF64もさすがにそのままとうわけにはいきません。特に、EF64 1000番代にとって重要な運用の一つに中央西線での貨物列車があります。中央東線と同様に重連での運用ですが、こちらはEH200への置換えが叶っていません。

 できればそうしたいのでしょうが、旅客会社との間で調整が進んでないこともあって、いまなおEF64 1000番代の独壇場といえます。この肝心な中央西線の運用に支障を来しては本末転倒なので、2021年のダイヤ改正で1000番代の首都圏での運用は消滅し、残念ながらあれほど見る機会が多かったその姿を見ることができなくなってしまいました。

 

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 この写真は高崎線籠原駅で捉えた1枚です。

 重連単機で高崎方へむかうEF64は、この頃はまだ愛知機関区への集中配置になる前で、上越線での運用も残っていました。おそらくは倉賀野駅から貨物列車を牽いて、上越国境を越える運用に就く前の送り込みなのでしょうか。夕暮れに差し掛かって、薄暗くなり始めた街を、前灯を煌めかせて軽やかに走り抜けていく姿が印象的でした。

 先頭に立つのは1041号機で、ご覧のように国鉄色を身にまとっていました。次位に繋がれているのは機番こそ記録していませんでしたが、更新色を身にまとっていました。この頃に国鉄色を身にまとっている車両は、更新工事が未施工であることを示すものでしたが、運転台屋上には冷房装置が搭載されているので、機関士の労働環境はそれなりに改善はされていたようです。

 1041号機は最も最後のグループである第3次車に分類されます。昭和56年度第1次債務の予算で、川崎重工と東洋電機のコンビで製造されました。新製配置は長岡運転所でした。これは、1000番代の製造目的が、上越線に残存していた旧型電機を置き換えることを目的としていたためです。

 国鉄では、電機を新製するときにその目的を設定していましたが、その多くは目的とは別に新製配置をする区所が異なるケースが見られました。しかし1980年代の国鉄は、既に返済しきれない膨大な債務と、国鉄に対する国民の厳しい視線、そして日に日に増す分割民営化の声に、計画した目的外での運用はできなくなっていたのが実態で、1000番代は全機が長岡運転所に新製配置されています。

 計画通りの長岡運転所に新製配置された1041号機は、その後、上越国境超えという特に冬期は厳しい気象条件の中を、重量のある貨物列車を牽く任にあたりました。また、東京と北陸を結ぶ寝台特急「北陸」や羽越地方を結ぶ「出羽」といった、寝台特急を牽く花形仕業も担うようになりました。

 

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寝台特急「北陸」を牽くEF64 1052。「北陸」や「あけぼの」など、上越国境を越える寝台特急は、そのほとんどがEF64の花形仕業として充てられていた。東京発がEF65EF66、上野発もEF65やEF81がそれらの先頭に立ち、多くの人から注目された反面、同じ上野発の列車でも対北陸、対羽越方面の列車は比較的「地味」な印象をもってしまう。(©Sui-setz, Public domain 出典: ウィキメディア・コモンズ)

 

 しかし、その花形仕業を含む活躍は新製配置から僅か4年ほどで終わってしまいました。国鉄分割民営化を見据えた1986年に、高崎第二機関区に配置転換されました。高崎第二機関区は、翌年4月の分割民営化後は貨物会社に帰属することが決まっていたので、この時点での配置転換はその後の運命を決定づけるものだったのでした。

 予定通りに1987年の分割民営化で、1041号機は貨物会社の所属となり、その後は上越線を中心に貨物列車を牽く日々を送りました。

 やがて、EH200が量産に入り高崎機関区に新製配置が始まると、EF64は徐々にその活躍の場を狭めていきました。特に重連運用が常態化していた中央東線の運用を担ってきた基本番代は老朽化が進み、置き換えの対象となっていました。

 一方、国鉄最後の新製電機である1000番代は、まだ寿命には至っていません。基本番代は廃車にできても、1000番代は廃車にすることは貨物会社としてもできないことでした。

 続々とEH200が配置されてくる頃、貨物会社はさらなる合理化を進めました。

 1つの運転区所に複数の車種を配置するのではなく、同一形式の機関車を1つの区所に集中配置することで、検修や運用にかかるコストを軽減しようとしたのでした。この方法は、特に航空業界で用いられる手法で、とりわけLCCと呼ばれる航空会社では運航する機種を1つだけに絞り込んで、整備だけでなく操縦するパイロットも1つの機種だけ知っていればよく、コストを大幅に軽減できるというものなのです。

 こうして、1041号機を含む高崎機関区配置のEF64は、2010年に前期が愛知機関区へと異動していきます。貨物会社に継承され、現役を続けていたすべてのEF64が愛知で一同に顔を合わせたのです。特に1000番代は前期が長岡運転所に配置されていた時代が合ったので、旅客会社に継承されたものを除いて再び同じ区所で再び顔を合わせたといえるでしょう。

 

《次回へつづく》

 

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