旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

悲運の貨車〜経済を支える物流に挑んだ挑戦車たち〜 大きいことは良いこと・・・ではなかった【1】

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 かつての鉄道貨物輸送は、運ぶ物の形状に合わせて多くの貨車がつくられました。まさに「百花繚乱」という言葉がぴったりで、趣味者を飽きさせないのには十分すぎるほどと言ってもいいでしょう。

 かく言う筆者も、子供の頃は新鶴見操車場にかかる跨線橋の上から、それら様々な貨車を眺めて楽しんだものです。全国各地からやってきた貨車たちが、ハンプで切り離されて仕訳線を転がってきては、操車掛によって連結されていく様子は何時間見ていても飽きなかったものですが、とにかく多種多様な貨車たちにも魅了されたものです。

 それが興じて・・・というわけではなく、紆余曲折の末に貨物会社に入ることになったのですが、分割民営化以降はそれら多種多様な貨車たちも、年を追うごとに整理の対象になっていきました。とはいえ、分割民営化から7年しか経っていなかった当時は、まだまだ車扱輸送も健在だったので、意外にも多くの貨車たちが活躍していました。

 特に鉄道貨物輸送で力を発揮する車扱輸送は、「4セ」と呼ばれる物資でした。

 セメント、石炭、石油、石灰石。これらは日本の経済活動に欠かすことができない物資で、セメントは建設のために、石炭は燃料や製鉄の原料として、石油はガソリンや灯油など生活に欠かすことのできない燃料であり、石灰石はセメントの原料として、その多くが鉄道によって運ばれてきました。

 一度に大量に、そして輸送する区間が決まっていることから、昔から鉄道がその役割を担い、そして得意とする分野でもあります。車扱輸送がほとんど淘汰されたといっても過言ではない2021年現在も、この「4セ」のうち、石油と石灰石の物資別適合輸送はしっかりと残っています。

 さて、石油は4セの中でも私達の生活に直結するものです。ガソリンや灯油といった燃料は、危険物でもあるのでそう簡単に大量輸送ができるものではありません。製油所から近傍であれば大型タンクローリーで運ぶこともできますが、製油所から離れた需要の多い内陸部には、タンクローリーで運んでいては間に合いません。よしんば運べたとしても相当台数のタンクローリーが必要になり、その台数分だけドライバーも必要となります。また、タンクローリーは消防法上では「移動する油槽」として定義されているため、1台あたりに積載できる上限も決められているのです。

 そこで、需要が多く、製油所から離れた内陸部への石油輸送は鉄道が担ってきたのでした。鉄道であれば、タンクローリーのように台数分のドライバーは必要なく、1度で大量に運ぶことが可能です。需要に合わせて輸送量も変えることができるので、需要が旺盛のときにはタンク車を増結して対応すれば済むのです。そして、石油を運ぶタンク車は、タンクローリーのように消防法上の規制はないので、タンク車1両あたりの積載量に上限がなかったのです。

 こうなると、輸送を担う鉄道事業者も、輸送を託する荷主も、1両で運ぶことができる量が多ければ多いほど効率的になると考えました。事実、石油類輸送用のタンク車は1両あたりの積載量を増加させてきた歴史でもあるのです。

 第二次世界大戦後、ガソリン類輸送用のタンク車はタキ3000がその主役でした。積載荷重は30トン積みで、オーソドックスな円筒形のタンク体を台枠上に載せている姿は、誰もがダンク車だとわかる姿でした。

 

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今はなき横浜ノースドック・瑞穂埠頭専用線(旧高島線瑞穂駅)に留置されるタンク車群。右側に写るのがタキ3000で、オーソドックスな円筒形のタンク体がよく分かる。タキ3000は荷主が所有する私有貨車と国鉄が所有する車両もあった。在日米陸軍輸送隊が所有するタキ3000は初期形に分類されるもので、タンク上部のドームは角張っていて踏み板の周りには柵がない。標記も国鉄の形式の他に、米軍の軍番号も併記されているが、米陸軍所有であることの標記は消されていた。写真左側にはタキ3000に代わって燃料輸送用に借り上げられた日本陸運輸送所有のタキ35000の姿が見える。タンク体は中央部が膨らんだ樽形で、タキ3000との形状が比較できる。35トン積ガソリン専用タンク車で、1000両以上が製造された。(瑞穂埠頭専用線 1992年頃 筆者撮影)

 

 しかし、燃料が石炭から石油に移行してくると、需要もどんどん増えていきました。タキ3000の30トン積みでは増加する需要に対応できなくなってくると、タンク体を大型化して積載荷重を増やす試みがされていきます。

 そこでタンク体も可能な限り大型にし、しかもタキ3000の1.5両分を積むことができる巨大なタンク車を開発しました。それがタキ50000で、タンク体は両端と中央部の大きさが異なる「異径胴体」と呼ばれる形状で、中央部が下方に広げられている「魚腹異径胴」になりました。この中央部が大きく広がったため、タキ3000まではタンク体が台枠上に載せられていたのに対して、中梁を省略した台枠にタンク体を落とし込む構造になりました。

 なんといってもタキ50000の最大の特徴はその長さと積載量で、全長は18,500mmとタキ3000の14,300mmよりも420mmも長くなりました。たかだか40cmほどしか長くなっていませんが、積載量はなんと50トンと2両分とまではいきませんが、それでも1両あたりの積載量としては最大なものになりました。

 しかしこれだけ大型化してしまい、荷重も50トンにもなるので、台車は2軸ボギーでは軸重が重くなりすぎるので、貨車としてはあまり例のない3軸ボギー台車を装着することになりました。

 大型化して1両あたりの積載量も増えたタキ50000でしたが、あまり使い勝手のいい貨車ではなかったようです。全長が長くなったため、従来の貨車の長さに合わせた荷役設備では対応できず、荷役そのものを煩雑してしまったようでした。こうなると、大量輸送のメリットはあるものの、荷役が不便どいうデメリットのほうが前面に出てしまい、運用も芳しい実績を出せなかったようです。

 結局、タキ50000で開発された「魚腹異径胴」のタンク体を短縮し、車両全長もタキ3000並の13,320mmに抑えながらも、積載荷重を5トン増しにしたタキ9900を量産することになり、こちらの方が大量に生産されて数多く運用されました。

 

 

《次回へつづく》

 

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