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今日、JR貨物が運行する貨物列車は、すべてJR貨物が保有する機関車が牽引し、そのハンドルはJR貨物に所属する機関士が担っています。
なんだ、そんなこと今更言わなくても当たり前だ!
などという声もあるかとは思いますが、実際に、ほんの10年ほど前までは「当たり前ではない」のが実際でした。
1987年に国鉄が分割民営化されて、6つの旅客鉄道会社と貨物鉄道会社、そして通信会社とシステム会社、さらにJRグループ各社が出資してできた財団法人のもと、旧国鉄の鉄道技術研究所と鉄道労働科学研究所を継承した鉄道総合研究所が誕生しました。
民営化当時、JR貨物の経営基盤は悲惨なほど脆弱で、しかも国鉄末期の鉄道貨物の実態から、「数年もてばいい」とまで言われたほどです。そのため、JR貨物が継承した車両は、主にコンテナ貨車が中心でしたが、その他にも車扱貨物輸送に使用される多様な貨車も継承されました。もっとも全てが継承されたのではなく、かつては鉄道貨物輸送の主役だった有蓋車は、ワム80000でも必要最小限の数が継承されただけで、ワラ1などはすべて継承されませんでした。また、ホッパ車も石灰石輸送用のホキ2500、穀物類輸送用のホキ2200などが継承されましたが、その数もやはり必要最小限とされた数に抑えられたのです。
そのことは機関車も同じでした。
直流機の主力であるEF65は、0番代を中心に余剰機とされたものは廃車となり、一部は旅客会社に継承されましたが、大多数は貨物会社が継承しました。一方、製造コストも運用コストもEF65に比べて割高となる交直流機のEF81は、九州の関門区間と北陸の日本海縦貫線で使用される最小限の数だけを継承し、残りは旅客会社が継承しました。そして、首都圏でも常磐線で運用される機関車は交直流機のEF81が国鉄時代から担っていましたが、JR貨物には常磐線用としては1両も継承されなかったのです。
これにはいくつかの理由がありました。1つは、首都圏にもEF81を配置するとなると、それを最良の状態に維持する検修技術者の問題でした。国鉄時代にEF81が配置されていたのは田端機関区(後に田端運転所)で、EF81を検修できる人員はここにいました。ところが、JR貨物が首都圏で継承した車両配置のある運転区所は、新鶴見機関区と高崎機関区でした。この2つの機関区は、国鉄時代から直流機が専門で、交直流機の検修した実績がありませんでした。
次に、これに乗務する機関士の問題です。EF65もEF81も同じ電気機関車なので、これに乗務するためには甲種電気車動力車操縦免許を取得していれば運転できます。しかし、法令上はどちらも運転できますが、実際に運転するとなると、直流機と交直流機とでは運転操作の方法はもちろんですが、電気機関車を操縦する上で必要な電気に関する知識がまるで違います。そのため、EF65に乗務する機関士がEF81に乗務する場合は、改めて交直流機に関する必要な知識を得なければならず、当然、そのための教育訓練を受けなければなりませんでした。JR貨物に帰属した首都圏の機関士は、その多くが直流機の経験が豊富な職員たちで、交直流機であるEF81に乗務していたのは、国鉄時代の田端機関区に所属していた機関士だけだったのです。
そして最後にもう一つ、取り扱う車種が増えることで、どうしても避けられないのがコストの増大でした。いくら日本海縦貫線用として富山機関区にEF81が配置されているとはいえ、首都圏に、それも常磐線のためだけにEF81を保有し配置するのは効率が良くないと考えられたのです。もしも、EF81が新鶴見か高崎に配置されていれば、そのためだけに検修用の設備を整えなければならず、乗務員も検修技術者も養成しなければなりませんでした。
これを避けるために、常磐線用のEF81はJR貨物には継承されなかったのです。
とはいえ、常磐線の貨物列車を廃止するというのは考えられません。茨城県は関東地方、それも首都圏にほど近い場所にあるので、それなりに需要があります。また、日立製作所など大手企業の工場もあり、鉄道貨物輸送を切り捨てるというのは考えられなかったのです。
そこで、JR貨物の首都圏の運転区所には直流機だけを配置させ、常磐線の貨物列車に必要なEF81は、JR東日本が継承した車両を使わせれば事が足りるということになったのでした。
こうして、新会社へ移行後は、一部の貨物列車の運転を、旅客会社に委託するという運用ができたのです。
《次回へつづく》
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