旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 新鶴見に「パーイチ」がいた頃【3】

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《前回のつづきから》

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 1985年のダイヤ改正で、EF81 58号機は新製配置以来過ごしてきた酒田機関区から、新潟の長岡運転所に配置転換されました。前年の1984年のダイヤ改正、いわゆる「ゴー・キュウ・ニ」では、貨物輸送の体系を根本的に見直す改正が行われ、貨物列車の大幅な削減、ヤード継走輸送を廃止し拠点間輸送へのシフト、それに伴う全国の操車場の廃止とそれに伴う運転区所の合理化が進められたのです。

 当然、貨物輸送体型の見直しに寄って、貨物列車は大幅に削減され、機関車が必要とされる列車も激減となります。そして、EF81 59号機もその煽りを受けての配置転換でした。

 

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EF81 58号機は、新製当初は日本海縦貫線用として酒田機関区に配置され、後に長岡運転所を経て田端機関区へと配転されている。この田端区への配転が、分割民営化後の運命を決めることになり、JR東日本に継承されたことで寝台特急北斗星」などを牽く花形仕業を手にした。寝台特急だけではなく、工事臨時列車やJR貨物から委託された常磐貨物を牽く仕業もこなし、新鶴見へも顔を出していた。EF510 500番代が増備されたことで、当時、JR東日本保有するEF81の中で最古参だった58号機はその役を終えて廃車になった。しかし、その5年後には貨物列車の受託がなくなり、そのEF510 500番代が余剰となってJR貨物に売却されたのは、ある意味因果なものだといえるだろう。(EF81 58〔田〕 2010年10月12日 新鶴見機関区 筆者撮影)

 

 この1985年のダイヤ改正では、酒田機関区に配置されていたEF81が長岡運転所に異動になっただけではなく、日本海縦貫線の機関車の運用にも大きな転換を強いることになります。

 富山第二機関区と敦賀第二機関区に配置されていた交流機EF70がこの改正で全車廃車となり、一時は貨物列車から客車列車、さらにはブルートレインまで牽いていた北陸の雄が一掃されてしまいました。1961年に1号機が落成して以来、24年しか経っていないという、比較的車齢も若めでしたが、交直を跨ぐ区間では機関車の付替えが必須となることや、この頃には貨物列車の大幅な削減と、客車列車の電車化によって電機が活躍する場面が激減したことで、大量の余剰車を出すことになってしまったのです。そして、機関車の付け替えが必須となる交流機よりも、3電源に対応し、日本海縦貫線を通して運用できるEF81を残して、合理的な運用へと転換したのでした。

 こうしたこともあり、酒田機関区と東新潟機関区へのEF81の配置がなくなり、代わって長岡運転所と富山第二機関区にEF81が集中配置になったのでした。

 しかし、EF81 58号機の長岡区配置は長くは続きませんでした。

 1988年には新製以来走り続けてきた日本海縦貫線に別れを告げ、上越国境を超えて東京の田端運転所に配置転換されたのでした。田端運転所への配置は、国鉄から継承した首都圏のEF81が足りなくなったことによるものでした。これは、新たに運転開始された寝台特急北斗星」の上野ー青森間にEF81が充てられることになったことや、好景気による貨物列車の増発で、JR貨物から受託していた貨物列車牽引の運用が増加したことによるものと考えられます。

 こうして、田端所に配置されたEF81 58号機は、以来、東北本線の「北斗星」をはじめ、首都圏や常磐線の貨物列車、さらにはJR東日本自身の工事臨時列車などを牽く姿を見せたのでした。

 2009年からJR東日本は、老朽化が進むEF81の置換え用としてEF510の製造をはじめました。EF510JR貨物が開発した交直流両用電機で、日本海縦貫線で運用されているEF81の老朽取替を目的としていました。とはいえ、JR貨物は一度に数十両もあるEF81を新型機で置換えることはできないので、年に数量ずつ増備していき状態の思わしくない車両から置き換えるという方法を採っていました。とはいえ、EF510は最新のVVVFインバータ制御を採用した新型電機であり、いずれは日本海縦貫線用に富山区に配置されているEF81はすべてこれに代わることが想定されていました。

 一方、JR東日本保有するEF81は、長岡と田端に配置されていましたが、寝台特急北斗星」や「カシオペア」という花形運用に加え、首都圏の貨物列車、さらに自社の工事臨時列車といった運用もあり、それなりの数が必要だったのです。そのEF81もJR貨物のほどでないにせよ、やはり老朽化が進んでいたことは間違いありません。

 そこで、JR貨物が開発した最新鋭のEF510を、自社の運用に最適化した改良を加えた仕様にして導入するという方策をとりました。そもそも旅客会社は電車や気動車がメインで、機関車は客車列車や工事臨時列車など、その用途は限られています。しかも、本音で言えば運転方法や検修でも電車などと異なる機関車を、可能な限り減らしたい、できることなら淘汰したいというものです。

 こうした理由などもあり、JR東日本はわざわざ自社のための機関車を開発するよりは、機関車を日常的に専門で扱うJR貨物が開発し、すでに実績ある形式の車両を導入したほうが、開発費などのイニシャルコストを減らせると考えて、EF510の導入を毛一定したのでした。こうした手法は、後にJR九州がクルーズトレイン「ななつ星in九州」牽引用として導入したDF200 7000番代にも通じています。

 2009年から導入されたEF510 500番代は、JR貨物機と同じく川崎重工三菱電機のコンビで落成し、田端運転所に新製配置されました。翌2010年には、予定していた14両全てが1年の間にすべて落成し、同じく田端運転所に配置されてきます。1両あたりの単価が電車とは比べ物にならないくらい高価な電機を、たった1年で14両も揃えるということに驚かされますが、これもJR東日本の財力をもって為せる技と言えるでしょう。

 こしうして一気に入ってきたEF510 500番代15両によって、老朽化が進んでいたEF81はその役目を終える車両がでました。58号機もその対象になり、2011年に廃車になったEF81の13両のうちの1つとなったのです。ここで特筆すべきは、この時点でJR東日本保有していたEF81の中で最若番、すなわち最も製造が古い古参機であったことでしょう。製造が古い車両が残るということは、それだけ車両の状態もよく、現場でも重宝された車両であったことが伺えます。

 

f:id:norichika583:20200518000643j:plain老朽化したEF81の置換用として新製されたEF510 500番代は、JR貨物が開発し増備しているEF510を基に、JR東日本の運用に適した装備を施した。塗色も交直流機でありながら青色で塗られ、側面には「北斗星」に併せて金色の帯と流星を施して、国鉄時代の交直流電機とは違った印象を与えた。短期間で16両が増備されたが、わずか5年で用途を失いJR東日本からは除籍、JR貨物に譲渡されて富山機関区へと配置された。EF81をすべてではないにせよ、置換用として登場したものの、短期間で用途を失ったのはなんとも皮肉なもので、結局は完全な後継とはなりえなかった。今日はその役をEH500が担っている。「北斗星」牽引を想定したデザインだが、このように貨物列車を牽いて新鶴見にもやって来ていた。撮影したのは2011年以降で、東日本大震災の被災地応援ステッカーも貼られている。(EF510-503〔田〕 新鶴見機関区 2011年7月9日 筆者撮影)

 

 1971年に産声を上げ、日本海縦貫線から首都圏、そして東北本線などを走り続けた58号機は、ちょうど40年という車齢をもって退いていきました。鉄道車両で40年はかなりの高齢といえ、このブログでも何度も同じフレーズでお話してきたように、国鉄形車両の堅牢さを表していたと言えます。

 かつては首都圏であまり見る機会のなかったEF81ですが、国鉄の分割民営化によってその運用は大きく変わり、赤い塗装の機関車がこうして新鶴見でも当たり前のように見かけるようになった事自体、時代の移り変わりを感じずにはいられませんでした。いまでは、EF81は見ることもなくなり、代わりに金太郎こと

 

 今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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