《前回のつづきから》
民営化後に生き残ったワム80000
ワム80000の塗装のお話は、まだまだ続きます。
汎用性が高く、パレット荷役に特化した有蓋車であるワム80000は、国鉄史上最大の28,606両が製造されて一大勢力を築き上げました。国鉄の貨物輸送が華やかしき頃、パレットによる貨物輸送を促進(パレチゼーション)を進めた結果、多くの荷主が利用といえます。
しかし、「ゴーキュウ二改正」とも呼ばれる1984年2月に行われたダイヤ改正では、国鉄の貨物輸送の大規模な合理化と整理が実施されました。この改正では、ヤード継走輸送方式の廃止と車扱貨物輸送の大幅な削減、拠点間輸送方式とコンテナ輸送への移行がなされました。
このダイヤ改正で、それまで日本の物流の一端を支えてきた多くの貨車たちが用途を失い、余剰車として廃車の運命を辿っていきます。特に国鉄が保有する多くの貨車がこの改正をもって使用停止の措置がとられ、残されたのは石油類や石灰石、石炭、セメントなど拠点間輸送で引き続き運用される私有貨車たちだったのです。
国鉄史上最大の勢力を誇ったワム80000もまた、大半が用途を失ったことで余剰となってしまいました。とはいえ、分割民営化の時点ではワム80000はすべてが廃車とはならず、特にJR貨物には6,588両という相当な数が継承されました。
確かに1984年2月のダイヤ改正では、操車場を経由する輸送方式が廃止になり、貨物列車は拠点間輸送方式へと移行しました。貨物輸送も車扱輸送からコンテナ輸送へと移行していきましたが、すべての貨物輸送をコンテナ輸送へ切り替えることは叶わなかったのです。特に製紙工場で生産されたロール紙などの紙製品は、1987年の時点でもコンテナではなく有蓋車による輸送がほとんどでした。
これは、ロール紙のサイズに起因するもので、ロール紙はパレット輸送はされて入るものの、そのサイズによっては積み込み方がまちまちでした。JR貨物が主力とする12フィートコンテナでは、サイズの関係で積み込むことは難しいケースもあり、20フィートコンテナはあるにはありましたが、通運事業者などが保有する私有コンテナで、その数にも限りがありました。そのため、ロール紙の輸送に最も適していたのが有蓋車のサイズだったため、数多くのワム80000が残されたのでした。
JR貨物に継承されたワム80000は、民営化後は国鉄時代と変わらないまま運用されました。しかし、走り装置の二段リンクの軸箱は製造時の平軸受のままでした。平軸受は構造は簡単ですが、高速で走行するほど熱をもちやすく、最悪の場合は焼付きが起きてしまい走行不能になってしまいます。これは、単に金属の車軸に、この形に合わせた金属の支持装置を噛ましているだけの構造であるため、車軸が回転すると支持装置との間に摩擦熱が生じるからです。
そのため、潤滑剤としてグリスを封入しますが、摩擦熱で劣化していくので、一定期間ごとに交換しなければなりません。また、グリスで潤滑しているとはいえ、金属同士が擦れ合うことに変わりないので、摩擦係数も大きく走行性能を低下させてしまいます。これら平軸受の保守も手間がかかります。
筆者が小倉車両所に勤務していたとき、この平軸受の検修作業に携わりましたが、グリスをすべて拭い取った軸受は、油脂が完全に取りきれるまで洗浄し、潤滑部分に傷がないかを細かく見ていきます。少しでも細かい傷があると、ここで潤滑不良を起こして極端な摩擦熱を発生させてしまうのです。ですから、こうした傷がある場合は使用不可として廃棄されるので、運用コストの面でも不利になっていました。
そこで、転がり性能を向上させて摩擦係数を低くし、走行性能を挙げるとともに、平軸受特有の検修の手間を省くために、軸受をローラベアリングを用いたコロ軸受に改造する工事を1991年からはじめました。
この改造でワム80000の走行性能は著しく向上しましたが、同時に平軸受であれば留置ブレーキがゆるくても摩擦で転動することがなかったのが、コロ軸受になったことで摩擦が少なくなったため、留置ブレーキを確実にかけていないと転動するという事象が起きたのです。
そこで、とび色だったワム80000は、これと区別するために380000番代に区別されるとともに、車体を青22号に塗り替えました。こうすることで、貨物駅などで留置するときに、操車を担当する輸送係の職員が識別しやすいようにしたのです。同時に、古いワム80000も、青22号に塗り替えることでイメージを一新することにも貢献しました。
実際にワム80000で組成された列車がやってきたとき、列車を退避するために線路際にあるスペースで待っていると、昔から見慣れた色の貨車たちの中に混ざって、鮮やかな青色の380000番代がくると、一目瞭然でわかったものです。これなら、輸送係の職員も在来車と取扱いが異なることに注意を向けることができるというものです。
やがてワム80000を使用する貨物列車は、ダイヤ改正ごとに削減されていきました。特にJR貨物が保有する20フィートドライコンテナである30Aが製作されると、それまでワム80000を利用してきた製紙会社に、コンテナへの転換を勧めるようになりました。30Aなど20フィートコンテナは、ワム80000にと同等の積載面積があり、これに替えることができるようになったのです。
こうしたJR貨物の営業方針もあり、ワム80000は徐々に数を減らしていきます。コロ軸化工事を受けていない車両から淘汰が始まり、最後はすべて380000番代だけになりました。そして、2012年3月のダイヤ改正をもって、最後まで残っていた日本製紙が岳南鉄道比奈駅などから発送する紙製品輸送の終了とともに、ワム80000の営業運転はすべて終了したのでした。
ワム80000の改造車として忘れてならないのが、木材チップ輸送用480000番代です。
北海道の荻野ー陣屋町間で、380000番代と同じく日本製紙が荷主となる原料用の木材チップ輸送が行われていました。国鉄時代からトラ90000が使われてきましたが、老朽化により代替となる車両が必要になり、余剰となりつつあったワム80000を改造して、木材チップ専用の物資別適合貨車として登場しました。
形式こそ「ワム」を名乗っていますが、実際には無蓋車だったトラ90000の代替となるため、屋根は切り開かれ、側面は山側の全面の引き戸に代わって、上部が固定された壁面とし下部は無蓋車と同様のあおり戸になりました。もはや屋根がないので有蓋車ではありませんが、JR貨物はこれをワム80000から形式変更をすることはせず、480000番代として区分しました。
この480000番代も在来者とは大きく異るため、その取扱いには留意する必要がありました。そこで、380000番代と同じく車体の塗装を変えることで、輸送係を始めとする職員が識別しやすいようにしました。ここで選ばれたのが、コンテナと同じ「コンテナレッド」とも呼ばれる赤紫色の塗装でした。
どのような意図があったかは定かではありませんが、恐らくは380000番代が当時のコンテナ標準色であった青22号で塗られたので、この当時のコンテナ標準色だった「コンテナレッド」を選んだと考えられます。
もっとも、他のワム80000とは大きく異なるので、これくらいインパクトがある色ならば、職員も間違えることはないでしょう。
このように、かつての国鉄では考えられない色を使って、在来車との違いをはっきりと識別できるようにするとともに、対外的にもイメージチェンジを促進する方法は、民営化されたからできたことと言えるでしょう。
《次回へつづく》
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