旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 最後は石灰石を運び続けた古豪機【2】

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《前回のつづきから》

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 立川機関区に配転された時点で、ED16はすでに古豪機でした。ED16は1935年から製造されたいわゆる戦前型の電機で、旅客用のEF52を勾配線区で運用する貨物用中型機に設計を改めたものです。

 ED16は1931年に18両が製造された、D級の中形電機です。黎明期の鉄道省電機は、数多くの輸入電機が使われていました。いわゆる「デッカー」と呼ばれるイギリスのイングリッシュ・ロコモティブ製のED50やEF50は、今でこそ一般的な電動カム軸式の多段制御器といった新機軸を導入していたものの、安定的な動作が見込めず運用と検修にはかなりの苦労を伴ったといわれています。アメリカからも輸入し、ウェスチングハウス・エレクトリック製のED53やEF51は、単位スイッチ制御という最も簡単で信頼性の高いシステムをもっていましたが、こちらは少数形式であるがゆえに運用コストの面で不利でした。

 

f:id:norichika583:20211010165147j:plain黎明期は多くの電機が輸入された。英国イングリッシュ・エレクトリック製のED17もその一つで、デッキ・先輪なしの車体構造は旧型電機としては珍しいものだった。構造が単純な単位スイッチではなく、電動カム軸による制御であったため、技術が成熟していない時代では故障が頻発したという。ED17は輸入当初は旅客用だったが、歯車比を変える改造を受けてED17となり、中央本線を中心に活躍した。一時期は青梅・南武線にも入って貨物輸送に使用されたが、ED16の配置によって青梅・南武線での活躍は短命だった。(ED17 1 2018年9月8日 鉄道博物館 筆者撮影)

 

 ED16はこれら輸入機に頼ることなく、国産電機として開発・製造された旅客用のEF52をもとに、動輪軸を4軸とし、勾配線区や貨物用として牽引力を重視した低速よりの歯車設定にして設計されたのでした。

 旧形電機では一般的な台車枠上に車体を乗せる構造で、先輪1軸・動輪2軸の台車を備えていました。主電動機は出力230kWのMT17で、これを4基装備して機関車としての出力は900kWと、今日の電機と比べると低出力に見えますが、D級機であることや当時は貨物列車といえども長大な貨物を牽くことを想定していなかったため、これで十分だったのでしょう。

 新製直後こそ、甲府機関区や水上機関区に配置され、中央本線上越線の貨物列車を牽きました。しかしその後、上越線の貨物量が急増したため、中型機であるED16では役不足になり、代わりにF級機であるEF10やEF11といった大型機に置き換えられてしまいます。

 活躍の場を失った水上区配置のED16は、甲府区と八王子機関区へ転属して、中央本線で集中的に使用されました。もともとが勾配線区で使うことを前提としていたことや、貨物用機だったので歯車設定は低速寄りだったため、連続勾配のある中央本線での運用には問題がなかったといいます。

 戦後になり、中央本線の貨物輸送量も増加し、いよいよ中型D級機であるED16では太刀打ちできなくなってしまいました。こうした状況に対応するため、ここでも増備されてきたF級機が配置されてくると、幹線での運用から支線区での運用に軸足を移していきました。

 1949年にED16にとって、一大転機が訪れます。続々と増備、あるいは配転によって甲府区や八王子区にF級機がやってくると、いよいよもってED16は居場所を失ってしまうのです。この年に、ED16は八王子機関区西国立支区と鳳機関区の二手に配置転換されます。八王子区西国立支区は、本区の近隣にあるのでそう遠くありませんが、鳳機関区は大阪にある運転区所で、地の利が全く異なるところです。しかも、ここにやってきたED16たちは、阪和線を主な活躍の場としました。

 

f:id:norichika583:20211010152911j:plainEED16 1の近影。戦前の鉄道省時代に製造された、初の国産量産電機であるED16は、EF52を基にしたので、そのフォルムは非常に似通っている。箱形の車体は溶接ではなく、鋼板パーツを構体に取り付けたリベット構造で、間近で見るとリベットがよく見える。庇付の前面や、直線を基本としながらも僅かに曲線を取り入れたデザインは、昭和初期のまだ余裕があった時代に設計されたことを偲ばせる。(ED16 1 青梅鉄道公園 2020年8月15日 筆者撮影

 

 阪和線は伊勢湾沿いに走る路線で、中央本線のような厳しい勾配はそう多くありません。しかし、南武線青梅線と同様に、戦時買収によって国有化された路線であるがゆえに、待避線が短く有効長に厳しい制限があるという、国鉄線としてはあまり例を見ない特殊な事情を抱えていました。ED16は国鉄が製造した電機でも中型機なので、こうした厳しい有効長に対応できるという理由で配転されたのです。

 ところが実際に阪和線で運用してみると、ED16は乗務員から不評を買うことになります。阪和線はどちらかといえば平坦線区なので、列車の高速運転は容易です。しかも待避線の有効長に厳しい制限があるため、列車自体の高速運転をある程度求められ、軌道自体もそれに対応した東海道本線と同等の規格でつくられ、しかも電力設備も強力であるなど、かなり特殊な性格の路線でした。ED16はもともとが勾配線区における貨物用として設計された車両なので、走行性能は低速トルク重視でした。阪和線のように、高速運転を求められる路線では、あまりにも適していなかったのです。

 しかし、ED16や前身である阪和電気鉄道から継承したED38に代わる、中形高速機はこの時点では存在しませんでした。鉄道省時代に中形旅客用機はあるにはありましたが、そのほとんどが貨物用機に改造されてしまっていました。鳳機関区の機関士たちは、不満を持ちつつもこれらの低速な中型機を使わざるを得なかったのです。

 

f:id:norichika583:20211010152903j:plainED16の足回り。D級中型電機のため、F級機のような想像しものではなく、台車枠も比較的構造がシンプルである。台車枠に主電動機が設置され、その牽引力は台枠ではなく台車枠から台車同士を繋いだ連結面を通して連結器へ伝えられていた。車体は単に機器類を保護するための役割しかなく、動輪軸上にある枕ばね上で車体を支えているのが分かる。歯車比が勾配線区・貨物用の定速よりであったため、牽引力はあるが高速性能は芳しくなかった。そのため、阪和線に転じた車両は機関士の評判が悪かった反面、青梅・南武線ではF級機よりも扱いやすいと、ハンドルを握る機関士の評判はよかったという。(ED16 1 青梅鉄道公園 2020年8月15日 筆者撮影)

 

 一方、八王子機関区西国立支区へ配転されたED16は、活躍の場を南武線青梅線へと移しました。南武線自体は、線路等級は高規格の部類だったので、F級機の運用にさしたる問題はありませんでしたが、すでにお話したように青梅線は線路等級が低いため、入線する車両に厳しい軸重制限が設けられていました。そのため、奥多摩駅から発送する石灰石列車は、軸重の軽いED27とともに、西国立支区配置のED16が活躍することになります。

 青梅線は特に青梅駅からは勾配の厳しい路線です。高速での運転を求められず、しかも貨物列車を牽く運用だけだったので、ED16にとってこれほど適した運用はありませんでした。南武線へ直通しても、当時はやはり高速運転の必要はなかったので、平坦線区でもさしたる問題はなかったそうです。

 1968年に長年石灰石輸送を共に担ってきたED27のうち2両が廃車となると、いよいよED16の役割は重要なものになっていきます。

 1970年に、遠く大阪の鳳機関区へ配転され、機関士の不評を買いながらも阪和線で貨物列車や旅客列車を牽いてきたED16は、高速性能に優れた新性能中型機であるED60が配置されると、再び関東へと呼び戻されます。配置先はすでに南武線青梅線で活躍している僚機たちが集う立川機関区でした。こうして、18両のED16全機が立川区に集結したのです。

 

《次回へつづく》

 

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