旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 最後は石灰石を運び続けた古豪機【3】

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《前回のつづきから》

 機関車の集中配置は今でこそ珍しいものではなくなりましたが、国鉄時代は関門トンネル用のEF30のような特殊な用途を除いて、あまり例を見たことがないのが筆者の視点です。

 というのも、旅客列車を担当する区所と貨物列車を担当する区所は明確に分かれていて、そこに配置される機関車は旧形電機全盛期には配置されている機関車にも違いがありました。しかし、ED60以降の新形電機はごく初期に製作されたEF60とEF61を除いて、ほとんどが客貨両用で使われていたため、旅客列車を担当していた東京機関区にも、貨物列車を担当していた新鶴見機関区にも、EF65が配置されているといったことが当たり前になってしまったのです。

 国鉄としては珍しい、1車種の集中配置になったED16は、この年から終焉を迎える日まで、立川機関区を終の棲家にするのでした。

 

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青梅鉄道公園に保存されているED16 1。昭和初期に設計・製造された電機らしく、EF52やEF10などに通じるデザインは、現代の電機にはない華麗さのようなものがあるといえる。写真の1号機をはじめ、18両の全機が最終的に立川機関区に集中配置になった。中型D級機であることと、軸重がF級機と比べて軽いことが、青梅線青梅以西の軌道規格にマッチしたことによるものだが、貨物機としては低出力の部類だった。しかし、奥多摩駅(当時は氷川駅)から発送される石灰石列車は、満載した状態で山を下りていき、空車状態で山を登っていくため、その出力はさほど問題にはならなかったという。車体が短いこともブレーキ扱いで反応が早くなるということにつながったため、立川区の機関士たちの古豪ともいえるED16に対する評価は良好だった。(ED16 1 青梅鉄道公園 2020年8月15日 筆者撮影)

 

 ED16はこの頃ですでに車齢は39年を超えていて、40年をも迎えようとしていた古参機です。一方で、ED60から始まるD級新型電機も製造されていたので、こちらを増備すれば線路等級が低い青梅線にも入れそうなものでしたが、国鉄はそうはしませんでした。

 そもそも新型電機のD級機は、駆動方式にクイル式駆動を使うことを前提として設計されていました。電車でいうところのカルダン駆動に相当するもので、この方式であれば主電動機自体の出力が低めで、従来の旧型F級機に匹敵する性能を引き出すことが可能とされました。しかし、密閉できなかったギアボックスの中に砂や埃が入り込んでしまうため、歯車の噛み合わせが悪くなって異常振動を起こしてしまう欠点がありました。

 結局、クイル式駆動を採用した新形D級機の製作は少数に留まってしまったため、中型機を必要とした線区すべてに配置することは難しく、勾配線区に対応でき、軸重が軽い中型機は選択肢がなかったため、齢40近い、今でいうところの「アラフォーのED16がその役が回ってきたのでした。

 立川区に集中配置になったED16たちは、「最古の国産電機」として奥多摩と京浜工業地帯を結ぶ石灰石を運ぶ役割を、まさに言葉通り「老体に鞭打つ」かの如く担い続けました。

 発送される奥多摩駅から、荷受けする浜川崎駅までその距離は約75kmと長いものではありませんでしたが、青梅線秩父山地に連なる奥多摩の山々の中を走る山岳路線の様相を呈し、200m級の急カーブがも多く勾配もそれなりに厳しい線形が続きます。特に青梅以西は渓谷となった多摩川に沿って走るので、もはやここが東京都なのかと思いたくなるほどローカル色豊かな中を、黒い車体に白い粉をまぶしたような汚れのあるホッパ車を連ねて、ED16がゆっくりと走っていたのでした。

 また、立川以南は南武線へと入り、人口100万人以上を抱える政令指定都市を縦断する沿線は、宅地化や都市化が進んで今なお住民が増え続ける街を横目に、新性能化された電車列車の合間を縫うようにホキ車を連ねて走り、京浜工業地帯の真っ只中にある荷受けする浜川崎駅の間を往復し続けました。

 

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旧形電機の大きな特徴は、台車枠から伸びたデッキと先輪だといえよう。このデッキから多くの機関士が乗り降りしただけでなく、入換作業の時には駅の操車掛がぶら下がって、機関車を誘導していた。また、少し見にくいが先輪の部分にある台車枠はそのままデッキ下にまで伸ばされ、連結器を備える枠にボルト止めされていることがわかる。旧形電機の動力伝達機構は台車枠によって行われていたため、このように構造を知る上でも貴重な存在といえる。(ED16 1 青梅鉄道公園 2020年8月15日 筆者撮影)

 

 一見すると地味な役回りですが、セメントの原料となる石灰石を運ぶということは、建築資材などとして利用されるため、日本の経済成長を陰ながら支えたといえます。それは見た目は古くても、歳を重ねた貫禄と重厚感からくる力強さは、まさに地味でも頼れる存在でした。

 晩年をこうした仕業をこなし続けたED16も、1980年代に入るとさすがに歳には勝てなくなっていきます。それでも、老体に鞭を打ち続けて走り続けたのは、国鉄の財政事情がそうさせたといっていいでしょう。

 すでに述べたように、青梅線は線路等級が低いために、軸重の重いF級機が入選できませんでした。そして、中型機であるD級機は数に限りがあり、充てがうことのできるD級機は古豪のED16だけです。ED16を老朽取替をするとなると、新形のD級機を作るか、青梅線の軌道改良工事を行ってF級機が入線できるようにするか、2つに1つだったのです。

 そして、国鉄の財政事情はそのどちらも選択することを許さず、結局、ED16を長きに渡って使い続けるほかなかったのでした。

 筆者も、石灰石列車を牽くED16を何度か見かけたことがあります。幼少の頃のことなのであまり鮮明ではありませんが、母に連れられて南武線のホームで列車を待っていると、茶色い車体のED16が先頭に立つ姿でした。もっとも、1970年代後半の南武線はいまだ73系電車の牙城で、旅客列車もすべて茶色だったので、どれも同じように見えていたのですが、駅を通過していったので貨物列車ということが区別ついたのでした。

 一方、国鉄の貨物輸送は衰退の一途をたどっていたのは、すでにご承知のことです。ダイヤ改正のたびに貨物列車は削減され、貨物用としてつくられた機関車たちに余剰が出てくるようになりました。こうした余剰機の中には、製造から年が経っていないものあり、老朽機であるED16を使い続けるよりも運用コストを適正化できる可能性がありました。

 ようやく重い腰を上げた国鉄は、輸送密度も東京都内では低く、列車の運転頻度も少ないローカル線然とした青梅線の青梅以西の軌道改良工事に手を付けました。そして貨物輸送の大合理化が行われた1984年のダイヤ改正、いわゆる「ゴー・キュウ・ニ」改正に合わせるように青梅線の軌道改良工事は完成し、ようやくF級機が入線できるようになったのです。

 長きに渡って立川区に集中配置され、奥多摩石灰石を運んできたED16たちは、このダイヤ改正をもってその役をかつての古巣であった八王子区配置のEF15やEF64たちに託し、全機が運用を離脱して廃車。1931年に製造されて以来、53年という国鉄電機でも非常に長い期間に渡る活躍を終えたのでした。

 ED16の引退が決まると、「国鉄で最も古い国産の電気機関車が引退する」と、ニュースなどにも取り上げられ、普段は檜舞台に立つことがなかった古参電機たちは、その功績を讃えられるかのように扱われました。筆者もその報道を聞いたことがありますが、地元を走る古豪機の引退は、どことなく寂しさを感じたものです。

 そして、この古参電機の引退に際しては、国鉄もまた花道を用意しました。かつて走った中央本線から青梅線に乗り入れる形で「さよなら列車」の運転を決定し、12系客車を牽いて別れを惜しむ人々を乗せたのです。支線区の貨物輸送という地味な役回りに徹していたものの、国鉄にとっても長年に渡って輸送を支え続けてきたED16の存在は、特に現場の職員にとっても馴染み深く貴重な存在だったのかもしれません。

 そんな53年という、国鉄の電機で最も長寿の部類に入るED16は、1号機が走り慣れた青梅線の近傍にある青梅鉄道公園に静態保存されています。また、15号機が山梨県南アルプス市に保存されています。どちらも往年の「頼れる」古豪機の姿を今に伝えています。特に、1号機は準鉄道記念物に指定されているだけでなく、2018年には国の重要文化財にも指定されました。これからも、美しい姿を保ち続けられることはもちろんですが、我が国の工業製品として、そして経済の発展を支えた類稀なそんざいとして、その勇姿を見せながら静かに語り続けていくことでしょう。

 

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1931(昭和6)年に製造された国産電機であるED16は、半世紀以上も活躍を続けた後に、青梅線の軌道改良工事が完成したことと、国鉄の貨物輸送合理化によってF級機が捻出されたことで、1984(昭和59)年にようやくその歴史に幕を閉じた。その功績は他の国鉄電機の追随を許さないほど大きなものであることと、初の国産量産機であることから、1号機はかつて長きにわたって走り続けた青梅線を見下ろす丘の上に静態保存されている。その雄姿は廃車除籍から既に40年以上が経ち、現役は退いたものの車齢は既に90年近くになっているが、国鉄から事業を引き継いだJR東日本が設立した公益財団法人が管理しているだけあって状態は非常によい。準鉄道記念物に指定されているだけでなく、2020年には国の重要文化財にも登録され、我が国の産業史を語る上でも重要な存在となった。この貴重な電機を見て、平成、それも終わり頃に生まれた当時2歳の愛娘は何を感じているのだろうか。恐らくは電機の大きさに圧倒されていたに違いないが、いずれED16が我が国の発展を支えてきたことや、父親がかつて携わった鉄道貨物輸送が自分の生活に密接にかかわり合っていることを学んでくれれば良いと思う。(ED16 1 青梅鉄道公園 2020年8月15日 筆者撮影)

 

 今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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