旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

小さくても国鉄電機似だった私鉄電機【1】

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 いつも拙筆のログをお読みいただき、ありがとうございます。

 かつて日本の物流の主役が鉄道貨物であった頃、貨物列車は国鉄線だけではなく多くの私鉄でも運転されていました。最も著名なのは東武鉄道で、国鉄と同一形式であるワラ1を多数保有し、国鉄線直通認可を受けて東武線沿線に発着する貨物を輸送していました。

 また、秩父鉄道のように、自社線内で今なお貨物列車を運行する鉄道事業者もあります。秩父鉄道の場合、沿線の武甲山から産出される石灰石を、同じ沿線にあるセメント工場へと輸送するために、自社線内だけで運用する貨車を多数保有しています。また、つい最近までは、川崎貨物駅から運転されていた石炭列車を、熊谷貨物ターミナル駅を経由して自社線内に直通させるなど、国鉄線内で完結しない列車も多数設定されていました。

 そのため、貨物列車を運転していた私鉄では、これを牽くための機関車を用意し、接続駅で国鉄(→JR貨物)の機関車から自社の機関車に付け替えて運転していました。

 いまでこそ、JR貨物の合理的かつ高速な輸送システム確立のため、多くの鉄道貨物はコンテナ化されました。しかし、分割民営化後からしばらくは、旧来の物資別適合貨車による車扱輸送も存在していたのです。

 その中に、「紙輸送」というものがありました。石炭や石灰石、石油、セメントと並んで、国内における紙もまた、鉄道によって多くが運ばれていたのです。

 筆者が鉄道マンとして勤務していた頃は、この紙を積んだ貨物列車が多数設定されていました。その輸送を担っていたのはコンテナではなく、ワム80000やワキ5500といった有蓋車でした。そのため、保全作業や現場調査などで線路に出向くと、20両近くも連ねた「パワム列車」に遭遇することもあり、かつて幼き頃に耳にした二軸貨車特有の通過音を聞くことがありました。

 さて、この紙輸送は、主にロール状にした紙を有蓋車に積んでいました。有蓋車であるため、製紙会社の工場や倉庫に専用線を引かなければならないデメリットが有りましたが、それでも1990年代までは多くの製紙会社が自社の事業所内に専用線を敷き、有蓋車に製品となるロール状の紙を積み込んで発送していました。

 この製紙会社の事業所は、何も国鉄線沿いにあるとは限りませんでした。

 今日の我が国における三大製紙会社の一つである日本製紙も、鉄道を利用して製品である紙を輸送していました。

 日本製紙は、私たちに馴染みのあるティッシュペーパー「クリネックス」を製造販売している会社です。この他にも、筆者が仕事として食べる給食*1で出る牛乳のパックを製造しています。筆者もほぼ毎日のように、日本製紙のロゴが入った牛乳パックにお目にかかっているほど、シェアは大きい企業です。

 その日本製紙の工場の一つは静岡県富士市にあり、東海道本線富士駅岳南鉄道(現在は岳南電車吉原駅から専用線が引き込まれています。現在ではコンテナ輸送に切り替えられ、富士駅から発送されていますが、かつてはワム80000を利用した車扱貨物としても発送されていました。

 ワム80000を利用した車扱貨物時代は、富士駅だけでなく吉原駅からも発送されていました。ただし、この駅はJR線ではなく岳南鉄道に所属する駅なので、ここに乗り入れる貨物列車は富士駅で機関車を付け替える必要がありました。

 そもそも私鉄線内で運転される貨物列車は、国鉄JR貨物の機関車がそのまま乗り入れることは原則としてありませんでした。それには様々な理由がありますが、その一つに保安装置の違いが挙げられます。

 JR貨物の機関車が装備する保安装置は、主にATS-SFとATS-SPです。これらのATSはJR線内なら有効ですが、私鉄線内ではまったく使えません。というのも、私鉄では自社の実態に合った仕様の保安装置を導入しているので、1日に数本にも満たない貨物列車のために、JR仕様の保安装置を導入することはコストの増大を生みます。

 また、同じ保安装置と言いながらも、実際にはJRのものと私鉄のものではそれぞれ異なる進化をしてきました。よくいわれるのが、速度照査機能の有無でしょう。私鉄は当時の運輸省令にしたがった仕様のATSを開発したため、導入当初から速度照査機能を付加することが必須でした。しかしJRの前身である国鉄では、この運輸省令の効力はないため、車内警報装置を端緒とする保安装置を開発・運用し続けました。そのため、速度照査機能はもたず、単に絶対信号機を確認扱いしないで通過した場合に非常ブレーキをかける機能しかないなど、私鉄の保安装置と比べると限定的なものだったのです。

 そのために、乗り入れ先の私鉄仕様の保安装置を載せるとなると、それなりにコストがかかるだけでなく、乗り入れのために限定的な運用を組まなければならないのです。

 さらに、JR貨物の機関車は、資産としてはJR貨物保有し、車籍もJR貨物にありますが、運用の管理は旅客会社が担っているので、JR貨物としては自由に使えるものではないという事情もありました。

 私鉄に乗り入れるのであれば、直通先の保安装置を別に装備し、運用を取り扱う旅客会社の承認が必要だったのです。

 こうしたことから、JRの機関車が私鉄線内に乗り入れることは、ハード面でもソフト面でも困難が伴うので、日本製紙富士工場のように私鉄線内に専用線をがあり、そこから発着する貨物列車を運転するためには、私鉄が機関車を用意しなければなりませんでした。

 

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国鉄時代は多くの私鉄が貨物列車を運行していたが、今日では数えるほどしか残っていない。三岐鉄道も貨物列車を運行する貴重な私鉄で、自社線内はJR貨物の機関車が乗り入れるのではなく、自社で用意した機関車で運転をする。貨車はJR線からそのまま自社線内へ乗り入れ、中には私鉄駅を常備駅に指定している私有貨車もあり、写真に写る太平洋セメント所有のタキ1900は、三岐鉄道東藤原駅を常備駅としている。(©Kansai explorer at Japanese Wikipedia, CC BY-SA 3.0, 出典:Wikimedia Commons)

 

 ほぼ毎日のように、大量の貨物を発送する顧客は、鉄道会社にとっても魅力のある存在です。旅客収入は沿線の人口に左右されますが、貨物輸送は大口の顧客があれば相当の収入が得られるからです。そのため、地方の鉄道事業者では、貨物列車を運転するための機関車を用意して、貨物輸送を行っていたのでした。

 岳南鉄道も、そうした大口顧客となる日本製紙の貨物輸送を担うため、電気機関車保有していました。

 ただ、私鉄の電機機関車の履歴は国鉄・JRのものと比べると複雑なことが多く、自社で発注した車両もあれば、他社が発注して使用した後、譲受し移籍してくる車両もあるのです。

 岳南鉄道が貨物輸送終了までに保有した電気機関車は、全部で3形式ありました。名鉄から譲受したED50と国鉄から譲受したED29、そして今回紹介するED40でした。

 

《次回へつづく》

 

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*1:

学校で出される給食は法律に基づいて実施されている。根拠は「学校給食法」という法律により、義務教育学校では必ず出すことになっており、年間に実施される日数も決められている。また、学校での給食は「学習活動」の一環として、学習指導要領の中にある「特別活動」という教育領域に明示されており、児童生徒にとっては学習活動の側面もある。もっとも、実際には「お昼の休憩」も兼ねているので、学校生活の中での楽しみの秘湯であることは間違いない。一方、そこで働く教職員にとっては「学習指導」の時間になるので、休憩時間ではない。給食中は常に安全管理を行い、必要に応じて食育の指導をするなど、「食事をしながら仕事をする」ことになっている。