《前回のつづきから》
岳南鉄道に在籍していたED40は、もともとは松本電気鉄道(現在のアルピコ交通)が発注したものでした。もともと、松本電気鉄道も貨物輸送を行っており、ED30という30トン電機を保有していました。
それまでは、この戦前製の30トン電機でも十分に運行できる輸送量でした。ところが、1960年代に東京電力が梓川水系に3つのダムを建設するとともに、これらのダムに揚水発電所を設けることを計画したことから、これの建設資材を輸送を松本電気鉄道が担うことになりました。ところが、この重量物を輸送するには、手持ちの30トン電機であるED30では非力で、対応できなかったのです。
そもそも松本電気鉄道に在籍していた30トン電機であるED29は、大正時代に製造された輸入小型機でした。アメリカのボールドウィン・ロコモーティブとウェスティングハウス・エレクトリックで製造されたもので、出力66kWのMT33主点動機を4基搭載し、機関車定格出力も264kWというものでした。この出力は、1基100kWのMT46を装備する101系電車の電動車1両(400kW)よりも低いので、いかに非力だったことがおわかりになると思います。もっとも、この時代ではこれが精一杯だったので仕方がありませんが、東京電力によるダム及び発電所建設工事で輸送される重量資材を積んだ貨車を、勾配のある路線で牽くにはやはり能力不足であったことは明白でした。
しかし道路事情も今日ほど発達していない時代では、こうした工事資材の輸送も鉄道が第一選択であり、何より物流の主役は鉄道だったので、松本電気鉄道としても機関車の能力不足を理由に拒むことなど考えられなかったといえるでしょう。
そこで、この工事に対応するため、松本電気鉄道は新たな強力電機を増備することにし、日本車輌に新型電機を発注したのでした。こうした経緯で開発・製造されたのが松本電気鉄道ED40形電気機関車だったのです。
パノラミックウィンドウに似た前面窓、その下にはステンレスの飾り帯がつくなど、国鉄新型電機の意匠を意識したデザインのED40は、日本車輌が戦後唯一新製した電気機関車だった。箱形の近代的なスタイルの車体と、デッキ付の台枠という構成は、国鉄電機でいえば旧型と新型のちょうど中間に位置したような造りともいえる。(岳南富士岡駅(がくてつ機関車ひろば) 2021年12月28日 筆者撮影)
参考としてED62を並べてみた。側面の窓構成といい飾り帯といい、どことなくD級の国鉄新型電機に似通っているのがお分かり頂けると思う。(©Kone, CC BY-SA 3.0, 出典:Wikimedia Commons)
1965年に登場したED40は、出力128kWのNE-128主電動機を4基装備し、機関車出力も512kWとED29の2倍近くになる強力機でした。同じ時期に登場した国鉄のEF65に比べれば出力もさして大きくはありませんが、地方私鉄の短い路線で運行するのには十分な性能だったといえます。
また、運転整備重量も40トンと増加し、その分だけ牽引力も強化されました。
機関車の牽引力は主電動機の出力も重要ですが、粘着性能を決めるには機関車自体の自重も重要な要素となります。そもそも主電動機の出力がいくら強力でも、重量のある貨車を牽くときに車体の自重が軽いと貨車の重量に引っ張られてしまい、動輪軸は空転を起こしてしまいます。機関車の自重によって動輪軸はレールとの間に摩擦を形成でき、粘着力を発揮できるのです。もちろん、機関車の自重が重くても、主電動機の出力が弱いと、重量のかさむ貨車を引き出すことができず、結局は動輪軸を動かすことができずに、主電動機は異常加熱を起こして焼損するか、回転もままならずに破損に至ってしまいます。
こうした電気機関車の特性から、出力が低く自重が軽いED29では、建設資材という重量物を載せた貨車を引き出すことは困難であると見られ、新たに製造されたED40は、主電動機の出力も高く、そして機関車の自重も40トンに設定されたのでした。
また、松本電気鉄道が新しい電機を日本車輌に発注したことも特筆されることといえるでしょう。
日本車輌も電機を製造をしてはいたものの、それほど多く受注していませんでした。どちらかというと電車や気動車を得意とする車輌製造会社で、機関車はディーゼル機が中心でした。国鉄のEF65も製造はしていましたが、それは少数に過ぎず、技術習得と維持を目的とした受注配分だったといえます。
これは私鉄電機も同じことがいえ、例えば大手私鉄の中でも貨物輸送が盛んだった東武鉄道が保有したED5060は、すべてが東芝(現在の東芝インフラソリューションズ)に発注されています。また、セメント会社である大阪窯業セメントが自社工場専用線用として製造し、現在は大井川鐵道が保有・運用するいぶき500(大井川鐵道ED500)は日立製作所が受注していました。
このように、ED40は日車製というのも、私鉄電機の中でも特異な存在といえます。これにはそれなりの理由がありました。
国鉄が発注する場合、公共企業体という事業体の性質から、可能な限り多くの企業に発注しなければなりませんでした。公共企業体が外部事業者に物品や設備、工事を発注する際には、入札が基本前提です。しかし中には一部の企業でしか担えない案件もあり、その場合には随意契約が認められていました。
例えば筆者が携わった鉄道保安設備の保全作業は、経験と知識が必要な業務なので、誰にでもできるものではありません。しかも、一見同じ用に見えても、駅や運転区所によっては特殊な構造や電気結線があるところや、運転取扱に関連することも含まれるので、管内の駅や運転区所での経験も求められます。そのため、保全工事の発注は随意契約で行われることがほとんどでした。
電力設備はある程度汎用性が高いため、例えば電車線(トロリ線)の張替え工事などは、一定程度の経験がある事業者に相見積もりをしたり、入札によって選定したりしました。これは国鉄でも私鉄でもその構造は基本的には変わらないため、国鉄専門の事業者だけでなく、私鉄の関連会社にも発注が可能だったので、こうした入札制度によって事業者を選定していました。
私鉄では、こうしたことを必要とはしませんでした。私企業であるため、公益性を重視する必要がなく、関連企業に保安設備の保全工事を行ったり、保線作業を担ったりする会社を設立していたので、基本的には関連企業に発注していいます。
また自社で運用する車両も同じで、どこの車両製造会社に発注するのかは鉄道事業者の裁量に委ねられています。ですから、例えば相模鉄道がかつては日立製作所に多くの車両を発注していたことは、ごくふつうのことだったのです。
ED40もこれらのことと同じ理由でした。松本電気鉄道は1964年までに旅客車を日車に発注していたという取引実績があったため、ED40についても日車に発注したのです。日車も戦後は電機を受注・製造はしていませんでしたが、取引のある鉄道事業者からの発注とあって、電装品から車体に至るまで一括で設計・製造をすることを条件に受注したということでした。
《次回へつづく》
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