《前回のつづきから》
ED40は私鉄電機としては一般的な小型D級機でした。国鉄のように大出力をもつ大型F級機を必要とする運用はなく、短い距離をある程度まとまった数の貨車を牽くことができれば事足りるので、こうした小型機が好まれたのでした。
戦前に製造された私鉄電機は、どちらかというと無骨なスタイルや凸型が多くつくられました。これは、製造技術の問題や資材不足などもあって、こうした車両が多くつくられたのでした。
戦後になると製造技術の発達や、一定程度とはいえ資材不足も解消されてきたことから、国鉄電機に似たスタイルの電機がつくられるようになります。今日活躍する私鉄電機の多くが、前面の貫通扉からデッキを経て運転台に出入りする構造は、国鉄の旧型電機の車体構造を踏襲したためでした。
ED40も同じく、国鉄旧型電機と同様に先頭部にはデッキをもち、運転台には前面の貫通扉から出入りする構造でした。しかし、そのデザインは旧型電機のものではなく、パノラミックウィンドウに似た前面窓をもち、側面の採光用の窓と給排気用のルーバーが同一線上に並べられたスタイルは、旧型電機のものではなくED60以降に採用された新型電機のものを踏襲していました。加えて前面窓下には国鉄機と同様にステンレスの飾帯が取り付けられ、しかも側面の乗務員室窓下では斜めにカットされたそれは、まさに国鉄電機と同じものといえます。加えて形式番号の表示も、前面機関士側の窓下に設けられ、飾帯もその部分だけはカットされるといった凝りようで、ED60など国鉄新型電機に共通する意匠となっていました。
加えて車体自体も、それまでの角張った無骨なデザインから、丸みを帯びたものとされて、新しい時代の私鉄電機を提案するかのように、当時としては近代的なスタイルでした。
松本電気鉄道によって製造され、後に岳南鉄道に移籍したED40は、無骨で国鉄旧形電機を想起させるスタイルが多い私鉄電機の中で、もっとも整ったスタイルをもった車両だと思う。(ED403 岳南富士岡駅(がくてつ機関車ひろば) 2021年12月28日 筆者撮影)
その一方で、塗装はぶどう色2号と国鉄電機と同じだったので、なおのこと国鉄機にも見えても不思議ではないといえます。
設計から製造まで一貫して日車が担当する条件での受注だったので、車体はもちろん電装品に至るまですべて日車製ということが、このED40の大きな特徴の一つと言えます。通常、電装品は電気機器メーカーが製造したものを組み合わせますが、ED40ではそうはせず、主電動機や主制御器も日車製が採用されていました。
主電動機は出力128kWの日車NE-128が4基装備されました。この出力は、国鉄でいえばMT30と同等のもので、50系電車と同じ性能をもつといえます。一見すると出力不足にも見えますが、同時期に東武鉄道が製作したED5010は、出力142kWのMT40を採用していたので、私鉄電機としては概ね十分な性能だったと考えられます。また、ED40が運用される上高地線は15.7kmという短い距離であり、運転される貨物列車も国鉄や大手私鉄のように長大編成ではないことから、見方によっては「強力機」だったといえるでしょう。
主制御器にも日車製が採用されました。NC-620は電空単位スイッチ式と呼ばれる方式でした。
抵抗制御の直流車は、主電動機に流す電流と電圧を、複数の抵抗器をつないで抵抗値を変えることで制御しています。その回路の繋ぎ変えにはスイッチを用いますが、EF65などは電動カム軸式と呼ばれる方法が取られています。この方法だと、電動で動くカム軸に設けられた摺動スイッチによって抵抗器の回路構成を変えて、主電動機へ流す電流を変化させています。カム軸が電動で動くので、ノッチの自動進段を可能にして機関士の負担を軽減させることができました。しかし、電動カム磁気式はその機構が複雑になるため、製造コストも高くなるだけでなく、保守にも相当な技術力が要求されてしまいます。
そのため、国鉄の旧型電機は黎明期の輸入機であるED17やEF50など、イギリス製のものを除いてEF58に至るまですべて単位スイッチ式が採用されました。新型電機もEF60とEF61は単位スイッチ式を用いていて、電動カム軸式はEF62以降になってようやく実用化したほどでした。
こうしたことから、多くの私鉄電機は構造がシンプルで保守も容易で、製造コストも抑えることができる単位スイッチ式を採用するのが一般的で、ED40もこれに倣ったものといえるでしょう。もっとも、単位スイッチ式は機関士の運転操作は煩雑になり、経験と技術力が要求されますすが、主電動機に流れる電流量を見ながらノッチを調整できるので、列車の重量や天候といった環境によって変化する運転操作が柔軟にできるという点もありました。
また、ED40は重連総括制御装置を備えていました。貨物列車を牽くときには、重連で運転することを想定していための装備といえるでしょう。この点は、国鉄電機が単機で運転することを前提にしていたのに対し、私鉄電機は重連運用も想定しているので、こうした装備も当たり前だったのかもしれません。
一方で、この当時の上高地線は架線電圧が750Vを使っていました。国鉄をはじめ多くの鉄道事業者では架線電圧は1500Vであったの対して、地方私鉄は大規模な電力設備の改良が必要であったため、1500Vへの昇圧はせず750Vのままという例がありました。上高地線もその一つであったので、ED40は750Vでの運転ができなければなりません。
この架線電圧は、電機の性能を左右するものでした。電圧が低いということは、主電動機の出力を下げてしまうので、当然牽引力にも大きく影響を与えます。それならED40は750Vで最大出力を発揮できる設計にすれば問題は解決できますが、将来、1500Vに昇圧したときにはそのままでは使うことができないので、対応できるように改造を据えう必要が出てくるのです。
それでは高いコストをかけて製作しても、将来に改造コストを掛けるようでは合理的ではありません。そこで、新製当初からED40は750Vと1500Vの両方に対応する複電圧車として設計されました。このことが、後に大いに役立つことになります。
《次回へつづく》
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