旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

前歴は寝台特急、余剰で転用された「食パン電車」【6】

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《前回からのつづき》

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 それほど長く使うことはないであろうと、最低限の改造を施された419・715系は、計画通りに旅客会社に引き継がれ、引き続き地方都市圏のローカル輸送に充てられました。使い勝手が悪いと言っても、継承した旅客会社にとっては貴重な戦力であったことには変わりはなく、民営化されたからといってすぐに新車を製造することなど難しかったのです。

 時が経つにつれて、旅客会社は債務の返済といったこととは縁がなくなり、少しずつではあるものの利益も上げられるようになると、いよいよ新型車両の導入を始めていきます。しかし、相当な数の国鉄形車両をいっぺんに置き換えることはできることではなく、また、民営化直後はバブル経済によって増加する輸送量を捌く方が喫緊の課題でした。そのため、新型車両も老朽化した国鉄形を置き換えるというよりは、増え続ける輸送量に対応するための列車の増発や、連結両数の増加といった面が強く、419・715系の置換えはかなり後になりました。

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九州に配置された715系0番代は、分割民営化によってJR九州に継承され、塗装もクリーム色地+緑帯からホワイトアイボリー地+青帯のJR九州標準色に塗り替えられた。しかし、民営化直後は先頭車のJNRマークは残置されたままで、帯中に入れられたJRマークと対照的だった。国鉄時代と変わらず、博多ー長崎・佐世保線での運用に充てられ、後継が登場するまで老骨に鞭打つかのように走り続けた。

 

 徐々に新型車が増えていき、老朽化した車両の置換えも始まると、419・715系もいよいよ淘汰の対象になっていきます。といっても、それは国鉄が想定した8年を大幅に上回る15年後のことで、東北本線701系が増備されてくると、徐々に運用が縮小されていきました。また、JR九州鹿児島本線に投入された新型車両に押し出されてきた国鉄形車両によって置換えが始められました。JR東日本JR九州が継承した715系が1998年をもって運用を退き、廃車となっていきました。

 この間、小窓を埋めるなど小改造を受けてはいましたが、それでも、全般検査は3回施工され、最後の検査期限が切れるまで走り続けたのです。

 一方、JR西日本が継承した419系は事情が異なりました。

 北陸本線整備新幹線により、北陸新幹線の建設が決定したことで、開業後、在来線は「並行在来線」としてJR西日本から経営が分離されることになりました。そのため、ただでさえ財政基盤が本州三社の中でも弱く、JR東日本のように安価な車両を一気に大量生産することもできず、新型車の投入は京阪神地区を優先させていたため、北陸本線へ新型車を投入することは先送りされていました。

 

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419系は民営化によってJR西日本に継承され、引き続き北陸本線で運用された。北陸本線には、583系による「きたぐに」が運転されていたこともあって、同じ出自ながらもその運命は大きく異なり、しかも同じ路線を走るという数奇なものだった。JR西日本の経営基盤や北陸新幹線の建設による並行在来線の問題もあり、715系よりも長く運用され続けた。最晩年はさすがに老朽化も目立ち、車体にも錆などによる痛みが見られ、かつての栄光を偲ぶのはクハネ改造の先頭車だけだった。

 

 また、扉幅が700mmと狭い419系は、同じく改造車である413系と異なりラッシュ時の運用に難があることから、比較的閑散だった福井以西と富山以東に運用が限定されたことで、輸送密度の高い福井−富山間は413系や457系などと分けられたことも、置き換えが進まない遠因になったと考えられます。

 2006年になると、ようやく北陸本線にも転機が訪れるようになりました。長らく国鉄形電車の牙城でしたが、521系が新造と敦賀以南の電化方式が直流に転換されたことで、413系などにも余裕ができ、419系の置き換えが始まったのでした。

 とはいえ、置換えの早さはゆっくりとしたものでした。というのも、新型の交直流電車である521系は、初めはJR西日本は車両製造にかかる費用を北陸本線の沿線自治体から補助金を受けて新製していたので、当然、521系を運用する区間はこれら費用を負担した自治体に限られました。そのため、北陸本線長浜駅敦賀駅間、湖西線永原駅近江塩津駅間に限定され、その数も必要最小限に留められたのです。

 それでも少しずつでしたが521系は増備が続けられ、JR西日本が製造費用を全額負担したことで、運用区間も徐々に広がっていきます。そして、419系が運用されていた区間には、521系の増備で捻出された413系が配置され、じわじわと419系の淘汰が進んだのでした。

 2011年3月のダイヤ改正をもって、419系はすべての定期運用から退き、1985年に581・583系から改造によって製作・配置されて以来、実に26年も経てようやくその任を全うし、翌2012年までには廃車となたのでした。

 国鉄が地方都市圏の「電車ダイヤ」化を実現させるため、余剰となった特急形寝台電車から近郊形へ格下・改造をするという前代未聞の転身によって誕生した419・715系は、改造コストを極力削減するために、必要最小限の内容に抑えることで全般検査を2回施行し、8年程度使えればよいと想定されたものの、分割民営化後は使い勝手が悪いながらも貴重な戦力として走り続けたのです。

 

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581・583系も既に全廃になり形式消滅したいまとなっては、九州鉄道記念館に保存されているクハ715-8が、そのかつての姿を今に伝える唯一の存在

 

 結果として419・715系は、国鉄が想定したよりもはるかに長い15年から26年もの長きに渡って、地域輸送に貢献しました。走行性能も低く、ラッシュ時には多くの乗客を捌きにくいなど運用面で課題が多く、加えて最低限の改造だけに留めたので接客サービスの面でも芳しいものではなかったのです。しかし、国鉄の伝統的な「汽車ダイヤ」から、利用者重視の「電車ダイヤ」への転換を実現させた功績は大きく、かつての栄光とは比べものにならないくらいに地味でしたが、真の意味でも419・715系は讃えられるべき存在だったといえるでしょう。

 

 今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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