旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から たった1つの駅のためにつくられたサイレントディーゼル・DE11 2000番代【1】

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 日本の物流と私たちの生活を支える鉄道貨物輸送は、今日では発駅から着駅までの間を必要な場合を除いて停車したり、貨車の入換をすることなく通して運転される拠点間輸送方式によっておこなわれています。

 特に最近では、運転時間の短縮による速達性の向上のために、着発線荷役(E&S)と呼ばれる方法を採用する駅が増えてきました。この方法では、駅に到着した貨物列車は直接コンテナホームへ入り、架線のき電を停止させた上で、専用のフォークリフトトップリフターによってコンテナの積み下ろしをすることになります。言い換えれば、旅客列車と同じように貨物列車も直接ホームに入り、そこに待機するフォークリフト等が荷役するというもので、この方法により停車時間を大幅に短縮させることができるようになりました。

 発着線荷役になったことで、最大で3時間もの停車時間を短縮させることができ、ひいては輸送時間の大幅な短縮は、荷主にとって大きなメリットをもたらしたことは間違いありません。

 一方、発着線荷役が導入される前は、貨物駅に到着した列車はかなり複雑な方法を経てから荷役をしていました。

 かつて筆者が勤務していた電気区があった横浜羽沢駅での、貨物列車の運転取扱方法を例にあげてみることにしましょう。

 下り本線を走ってきた貨物列車は、停車駅となる横浜羽沢駅場内に進入すると、本線から転線して発着線に入って停車します。所定の発着線で待機している駅の輸送係は、電機機関車に乗務する機関士と入換の打ち合わせを済ませ、機関車と貨車の間をつないでいたブレーキホースを外し、次いで連結器の解錠てこを操作します。

 そして、解放作業が終わると輸送係は入換用構内無線機やトークバックと呼ばれる音声通信装置で信号取扱所に準備が整ったことを知らせます。信号扱所ではそれを受けて、電気機関車を引き上げ線へ誘導する入換信号機のルートを開通させます。入換信号機が進行を現示したことを確認した電気機関車の機関士は、ブレーキを緩解させノッチ操作をして、引き上げ線へと機関車を移動させていきます。

 電気機関車が引き上げ線に移動したことを確認した輸送係は、今度は待機している入換用のディーゼル機関車の機関士と入換作業についての打ち合わせをし、ディーゼル機関車のステップに乗って信号扱所に準備が整ったことを知らせ、入換標識が開通を現示していることを確認した後、無線機で機関士に誘導指示をして、着発線に留置されている貨車に連結をさせるのです。

 そして、今度はディーゼル機関車と貨車の間をブレーキホースで接続し、電気機関車とは違う引き上げ線へと誘導していきます。もちろん、この作業も輸送係が機関士に無線機で指示をすることで行われます。基本的に、長大に連なった貨車の入換作業をするときには、入換信号機ではなく入換標識によって低速で走行することができます。入換信号機のときには、輸送係が機関車などに乗らなくても移動できますが、入換標識のときには輸送係が車両に乗って誘導指示しなければ動くことができません。

 引き上げ線に入ったディーゼル機関車と貨車は、荷役線へと推進運転する形で押し込んでいくことになります。何両も連なった貨車を推進運転するので、輸送係は先頭となる貨車のデッキかステップに乗って誘導をすることになりますが、できる限り効率を高めるために機関車に乗っていた輸送係とは別の職員がその誘導をおこないます。

 

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国鉄がもっとも多く生産したディーゼル機の決定版ともいえるDE10は、全国津々浦々に配置されて、支線区の小運転から、運転区所や貨物駅などでの入換作業まで、様々な運用に用いられた。重連総括制御装置をもち、冬季の客車列車牽引に欠かすことができなかった暖房用の蒸気発生装置を装備しながらも、動輪軸を5軸にしたことで軸重を軽減させた。この万能機であるDE10を基本に、大規模操車場などでの重入換作業に特化したのがDE11だった。DE11は、入換作業に不必要な重連総括制御装置などを省略し、代わりにコンクリートブロックの死重を載せ、車体重量をDE10よりも増加させて70トンとし、軸重を重くすることで牽引力と制動力を増加させて、操車場での運用を容易にした。国鉄の分割民営化で、JR貨物に継承されたのはDE11ではなく、万能機であるDE10が継承されたが、これは支線区などでの貨物列車を牽くことと、貨物駅での入換作業にはDE11のような重入換に特化した性能が不要だったためと考えられる。(DE10 1663[新] 2011年 新鶴見機関区 筆者撮影)

 

 その際には、「コキ車7両持って、ライナー3番押し込み」や「コキ車10両持って、引き上げ2番」といったように、機関士には車種や両数、貨車を移動させるべき番線や方法を伝え、機関士はそれを確認したことを伝えるために復唱します。その復唱が返ってくると、輸送係は「後オーライ」のように進むべき方向を伝え、次いで入換作業の無線信号を発して、機関車がようやく動き出していくのです。

 ディーゼル機関車に押し込まれるように荷役線に入った貨車は、ここで荷役する貨車とそうでない貨車が切り離されます。手順は今までとほぼ同じで、輸送係が切り離す貨車のブレーキホースを外すなど必要な作業をします。そして、再びディーゼル機関車によって荷役線に残さない貨車たちは引き上げ線の方へと去っていくのです。

 また、別の荷役線に待機している貨車を、この列車に連結する場合は、輸送係がその線路へ誘導、そして貨車の連結作業をします。また、荷役線に入れた貨車を再び同じ列車に戻すこともあり、その場合にはディーゼル機関車とそれに繋がっている貨車は、引き上げ線まではいかないものの、その間の線路上で荷役作業が終わるまで待機することになります。

 そして、必要な貨車を連結したあとは、再び着発線に貨車を入れていき、ディーゼル機関車から本線用の電気機関車に付け替え、すべての組成作業が終了すると再び本線へと入っていき発車することになるのです。

 このように、従来の貨物駅では、非常に複雑かつ神経のつかう作業が多くの職員によっておこなわれていくのです。

 このように、貨物駅には実に多くの設備と線路、そして職員と広大な土地が必要になるのです。横浜羽沢駅も、引き上げ線のある下り方先端と、コンテナホームのある上り方先端は、優に1000m弱もあるのです。

 これだけ広大な土地に貨物駅をつくるとなると、かなりの苦労と資金が必要となるのは想像いただけることでしょう。かつて、それほど人口も多くなく、のんびりとした時代であれば、これだけ広大な土地を必要とする貨物駅の建設は今日ほどの難しさはなかったと推察できます。しかし、人口の増加とそれに比例する旅客輸送量の増加、さらにはそれらの人々を支える貨物輸送量の増加は、貨物列車にとって様々な課題を突きつけられるのでした。

 首都圏をはじめとした大都市圏では、人口の増加とともに旅客列車の運転本数が増加し、複雑な入換作業を必要とする貨物列車が入る余地がなくなっていました。多くの利用客をさばくために、列車の編成は長くなり、運転本数も増加して過密ダイヤになってしまいました。そのため、都心の駅では貨物取扱はもはや邪魔でしかないものの、そうはいっても貨物輸送自体はなくならないので、国鉄にとっても悩みのタネだったといえます。

 そこで、大都市の中心部の駅での貨物取扱を廃止し、代わりに大都市近郊に新たな貨物駅を設けて、都心部の貨物を新たな駅に集約することにしたのです。

 新たな貨物駅を設けるといっても、言葉でいうほど簡単なものではありませんでした。お話したように、貨物駅は広大な土地が必要になります。その土地を確保するためには、相当な金額の資金が必要です。貨物駅建設予定になった土地を、地主から買収することになるのですが、都心部へ近いほど土地の買収価格も高値になり、財政的にほとんど破綻同然だった国鉄にとっては、その資金を以下に捻出するかが大きな課題でした。

 特に、そう簡単に土地を売り渡さない地主などへは、粘り強い交渉と地主が納得できる金額を支払わなければなりません。また、都心部に近ければ近いほど、土地の評価価格は高価になるので、可能であれば安価に抑えることにこしたことはありません。とはいえ、本線上に設置するのは当然としても、貨物駅から送り先に貨物を運ぶのは通運事業車のトラックが担うので、道路の利便性も考慮しなければならないので、どこでも構わずというわけにはいかなかったのです。

 そうした様々な課題や条件をクリアしてから、ようやく貨物駅の設置が具体化しますが、過密になった東京都心部の貨物輸送の拠点を郊外に移すとはいっても、場合によっては住宅地の中につくらなければならないケースもありました。

 

《次回へつづく》

 

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