《前回のつづきから》
DE11は、ローカル線など線路規格の低い線区でも運用でき、冬季の客車列車では必要不可欠の暖房用蒸気発生装置(SG)を搭載し、かつ大出力エンジンを1基搭載したDE10をベースに、操車場などでの重入換用に特化したディーゼル機として開発・運用されていました。
操車場構内での入換専用という位置づけだったので、暖房用の蒸気発生装置は不要となったため省略し、代わりに重量の重い貨車の入換で欠かすことのできない粘着力を確保するため、SGを搭載していた2位側ボンネット内にはコンクリートブロックの死重を載せ、自重を70トンに増やして軸重を重くすることで粘着力を確保しました。
外観こそDE10とほとんど変わりませんが、入換専用であるため重連総括制御装置もなく、客車に送る暖房用蒸気発生装置もないので、それらのジャンパ栓やホース管などはなく、前面のスカート周りはブレーキ管のみというスッキリした印象になりました。
DE11は計画通りに全国の操車場に隣接する機関区などに配置され、重量の重い貨車をハンプに押し上げるという過酷な運用に充てられました。DD13では成し得なかった操車場での重入換作業を、DE11は単機でこなすことができるパワーと性能を備えたのでした。
DE10を基本に、操車場における重入換作業に特化した性能をもって登場したDE11は、国鉄分割民営化後はJR貨物ではなく、旅客会社に継承された。その理由は様々なことが考えられるが、DML61ZBを装備した1000番代だけが継承されたことから推測すると、出力が低いDML61ZA装備機は継承させなかったことや、万能機であるDE10はほとんどがJR貨物に継承させたことによって、旅客会社に継承させるDE10が枯渇したため、代わりにDE11が充てられたと思われる。写真のDE11 1029は、1973年に大宮機関区に新製配置され、武蔵野線武蔵野操車場での入換作業に充てられた。国鉄分割民営化でJR東日本に継承され、田端運転所、宇都宮運転所と配置を換えてJR東日本の工臨や入換作業に用いられたが、2014年にJR貨物へ譲渡されると同時にA寒地仕様に改造されて、船体総合鉄道部に配置された。(DE11 1029[仙貨] ©Mutimaro, CC BY-SA 3.0, 出典:Wikimedia Commons)
その重入換用ディーゼル機であるDE11をベースに、まずは防音仕様の試作車である1900番代を開発しました。1900番代は1両だけ、1901号機のみがつくられましたが、エンジンからの排気系統に大型の消音器を追加することで、防音性能を高めることを狙いました。その消音器は運転席の床下に設置された関係で、通常なら1位側の煙突から排気するのを、2位側の煙突に変更しました。
また、エンジンを収めている1位側ボンネットにも、遮音材を追加するなど機関室の防音対策も施されました。
特筆すべきはディーゼル機としては初めて、運転室に空調装置を設置したことでしょう。ただでさえ、巨大なV型12気筒エンジンから出てくる排熱は熱く、夏季になれば日差しも強くなって運転室は蒸し風呂どころか、これ以上ないというほどの灼熱地獄になります。当然、乗務する機関士の執務環境はよいとは言えず、側面の窓は全開、さらに運転室への出入口扉も開けっ放しにしなければ耐えられるものではありません。小型とはいえ、空調装置がついたことは画期的なものでした。
しかし、1900番代は最小限の防音装備を追加した試作車だったので、一般的なDE11と比べると騒音は軽減させることができたものの、住宅専用地に立地する横浜羽沢駅で運用するにはさらに徹底した防音装備を施す必要がありましあ。
1900番代の成果をもとに、徹底した防音構造に設計を改めたのがDE11 2000番代だったのです。
DE11 2000番代は、1979年に4両製造されました。
基本的な機器構成はDE11と同じで、出力1,350PSを出すことができるDML61ZBを1基搭載していました。ただし、徹底的な防音構造とするために、エンジンが設置された機関室のある1位側ボンネットはすべて密閉構造となり、一般的なDE11のように吸気用スリットが1つもありません。また、機関室を密閉構造とした上、エンジンは防音材に包まれるような形になっているため、0番代や1000番代と比べて、ボンネットそのものが長くなりました。
僅かな隙間すら開けないという密閉構造は、エンジンに必要不可欠な冷却系の構造をも大きく変えました。
ディーゼルエンジンなど内燃機関には、空冷エンジンを除けば冷却機構は欠かすことができません。エンジンを冷却する方法として、冷却水を利用した水冷式と、エンジンのピストンを潤滑させるエンジンオイルそのものを冷却剤とする油冷式がありますが、一般的には水冷式が用いられます。国鉄のディーゼルエンジンはすべて水冷式なので、冷却のためにエンジン外郭に送られて熱せられた冷却水は、ラジエターで冷却されなければなりません。一般的な国鉄ディーゼル機は、機関室と同じボンネット内にラジエターを設置し、さらに冷却効果を高めるための送風ファンがボンネット上部に設置されています。
しかし、その徹底した防音構造のため、ラジエターを機関室と同じボンネットの中に収めてしまうことは困難でした。ラジエターを設置するということは、ボンネットに冷却用の開口部を設けなければなりません。そうなると、せっかく密閉構造にして防音を徹底した意味がなくなり、そのラジエター部からエンジン音が漏れてしまいます。
そこで、DE11 2000番代は冷却系を2位側ボンネットに設置し、ラジエターの冷却用送風ファンは通常の軸流ファンではなく、静音形のシロッコファンを採用して、ここでも騒音を可能な限り抑えようとしました。そのため、冷却水の配管は運転室の床下を通る構造となったため、通常のディーゼル機と比べると非常に長い配管になりました。
2位側ボンネット内にラジエターなどの冷却機器を設置したため、0番代や1000番代と比べて非常に長くなりました。1位側、2位側ともにボンネットが長くなったため、2000番代は全長自体が2m以上も伸びたため、同じDE11とは思えないほど長い車体をもつ機関車になったのです。
新鶴見機関区で脚を休めるDE11 2001。一見すると一般形のDE11と同じような形態だが、1位側、2位側ともにボンネットが長くなっている。特に1位側には主エンジンが搭載されているにもかかわらず、冷却に必要な通気孔のスリットがない。代わりに2位側にラジエタールーバーが設けられている。(DE11 2001[新] 2012年 新鶴見機関区 筆者撮影)
2000番代の防音対策は、これだけでは終わりませんでした。
車輪がレールの継ぎ目を通過するときに発するジョイント音もまた、防音対策の対象となりました。機関車は電機、ディーゼル機を問わず重量が重いので、ジョイント音は重量に比例して大きくなってしまいます。そこで、国鉄が量産した機関車としては異例の、下回りには全周に渡って防音スカートが設置されました。
この防音スカートのおかげで、動輪から発生する音も遮ることができ、一定の効果を挙げることができましたが、検修陣にとっては少々厄介な存在だったでしょう。例えば仕業検査などで台車や車輪といった足回りを点検するときには、いちいちスカートを跳ね上げる必要がありました。徹底した防音対策は、検修陣にとってはひと手間も二手間もかかる厄介なもので、当時の国鉄の内部事情を考えると、よくも受け入れたものだとかえって感心してしまいます。
実際、筆者は横浜羽沢駅構内で入換運用に就くDE11 2000番代をよく見ましたが、福岡貨物ターミナル駅で添乗したDE10と比べると、驚くほど静かでした。普通なら、加速するときにはディーゼルエンジンが醸し出す咆哮が響き渡り、過給器の甲高い金属音も混じって「ガラガラギューン」という迫力のある音が聞こえますが、2000番代はそのような音はせず、「ブゥオーン」といういかにも抑えられた音がするだけでした。また、走行音も一般のディーゼル機とは異なり、ジョイント音もまったく聞こえないわけではありませんでしたが、やはり比較的小さめでスカートの効果は絶大でした。
この徹底した防音構造の効果は絶大で、2000番代が入換作業で構内を走っているときには、駅の外ではDE10のような賑やかな音はほとんど聞こえず、住宅専用地域での運用に最適化された完成度の高い車両という印象でした。
さらに、ディーゼル機は待機中、その殆どはアイドリング状態のままにされます。巨大なエンジンは一度カットしてしまうと、始動してからエンジン自体があたたまるまで時間がかかり、エンジンが冷えた状態で加速をすれば走れなくはないものの、エンジンを痛めてしまうので、次の走行に備えてアイドリングしたままにするのです。そして、横浜羽沢駅の構内本部前に留置されているDE11 2000番代もまた、次の走行に備えて留置されているときにはアイドリング状態になりますが、DE10のように「カラカラカラカラ」という、国鉄制式のディーゼルエンジン独特のアイドリング音はほとんど聞こえず、遠くから見ればエンジンが回っているかもわからないほど静かだったことに驚かされたのでした。
横浜羽沢駅の開業に合わせて1979年に製造された4両の2000番代は、新鶴見機関区に新製配置されて、計画通りに運用に就くことになりますが、全機が常に横浜羽沢駅に常駐するのではなく、交代で運用に就いていました。
《次回へつづく》
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