旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

唯一無二 新機軸盛り込み過ぎて失敗作に終わったDD20【5】

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《前回のつづきから》

 DD53の後補機用として新製されたDD20 2号機は、長岡運転所に配置されました。DD53は東新潟機関区の配置だったので、同じ運用に就くのであればDD20も東新潟区に配置すれば効率的だと考えられますが、国鉄はなぜかDD20を長岡所に配置していたのでした。

 

DD20 2号機の形式図。1号機とは異なり、後に登場するDE10やDD16などと同じ、セミセンターキャブの構造となった。このことにより、全長も12,000mmと長くなり、機器配置にも余裕を持たせることが可能になった。台車はインサイドフレームのDT131を装着したが、この台車はDE10にも引き継がれることになる。2位側には煙突がないため、前面窓が広く取られた反面、ボンネットも搭載機器が少ないことから幅が小さく取られていた。(出典:国鉄ディーゼル機関車形式図 日本国有鉄道1970年)

 

 あくまでも推測ですが、長岡運転所に隣接して長岡操車場の存在があったと考えられます。長岡操車場は信越本線上越線の結節点である長岡駅に隣接した貨物操車場で、日本海縦貫線と首都圏を往来する貨物輸送の拠点でした。DD20は冬季はDD53の後補機として運用されますが、夏季にはそうした運用がないため入換運用に使用することを想定されていました。そのため、夏季にはその活躍が期待できるであろう長岡操に隣接した長岡所に配置したほうが好都合だったのかもしれません。

 とはいえ、DD20はDD13よりも軽軸重である13.5トンであることに起因する空転が頻発し、操車場での重入換運用に適さないことは1号機が田端機関区配置時代にわかっていたことなので、こうした運用をこなせることに疑問を差し挟む余地はあるでしょう。長岡操でのハンプ押上といった重入換運用ではなく、長岡操から隣接する貨物駅である南長岡駅への貨車入換など、DD20でもこなせる比較的負担の少ない運用に充てられていたのでしょう。

 とはいえ、同じ形式でありながら、細部の仕様が異なる1号機と2号機、しかもたった2両しかない少数機であることは、運用にも様々な制約があるとともに、検修面でも不利に働いていきました。

 ハンプ押上など重入換運用に使うことに難があるDD20を、わざわざ別運用で仕立てるよりは、重入換運用もこなすことができるDE10の方が、運用上の制約もなく共通運用も組めるので遥かに効率的です。すでにこの頃にはDE10の量産も軌道に乗っていたので、扱いづらいDD20を使い続ける理由も年々少なくなっていきました。

 新製から20年も経っていない1977年に、DD20はその役目を終えて運用を離脱、休車扱いとなって新津車両所(後のJR東日本新津車両製作所、現在の総合車両製作所新津事業所)に留置されることになります。その後、一度として休車解除となり運用に戻ることはなく、長年雨ざらしのままとなっていました。そして、国鉄分割民営化を控えた1986年に廃車手続きが取られ、DD20は廃形式となり20年強に渡る歴史に幕を閉じたのです。

 しかし、どういうわけか廃車後も新津に留置保管されたままでした。2号機は1988年になってようやく解体され、その姿を消していきました。国鉄ディーゼル機としてエンドキャブという特異な形状をもった1号機は、新津車両製作所の建設のために用地を必要とした1990年代に入るまで保管されていました。その理由は定かではありませんが、実運用に耐えられない失敗機ではあったものの、新機軸を投入して国鉄ディーゼル機の発展に寄与した功績を称えたのか、はたまたどこかで保存するつもりだったのか今となっては知る由もないことでしょう。それでも、1990年代に入るまで保存されていたことは、国鉄ディーゼル機開発の歴史の「証人」としての役目はあったのかもしれません。

 

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 国鉄分割民営化から間もなく35年、21世紀に入り四半世紀が経とうとしている今日、国鉄ディーゼル機は徐々に姿を消しつつあります。かつて鉄道マンとして、僅かながらでも検修に関わり、ボンネット内に収められているV形12気筒エンジンであるDML61ZBの巨大さに目を見張り、そのパワーからくる頼もしさに感嘆したのは既に30年以上も前のことですが、昨日のことのように思い起こされます。それだけ、若き日の筆者に大きなインパクトを与えたと言ってもいいでしょう。

 そんな頼もしいエンジンを搭載し、国鉄ディーゼル機の決定版ともいえるDE10の基礎をつくったのは、まぎれもなくDD20だったことは間違いありません。DML61系エンジンを1基搭載し、新たに開発された無心皿インサイドフレームの台車を装着、セルフラップ式のブレーキ制御装置など新機軸を投入した運転台機器は、DE10の開発に大きな影響を与え継承されました。

 ハンプ押上など、操車場での重入換運用に難があり、空転が頻発して使い物にならないと「失敗機」の烙印を押されたDD20ですが、その後、半世紀以上に渡って重用されたディーゼル機の基礎を作り上げた功績は非常に大きいものがあるといえます。そうした意味において、DD20は「失敗機」どころか、試験的な性格を帯びた「傑作機」といっても過言ではないといえるでしょう。

 

 今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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