旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

日光・鬼怒川路を駆け抜けた6050系 『リユース』の先駆けとなった更新車【4】

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《前回の続きから》

 

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 2000年代に入っても、東武は吊り掛け駆動車である5000系を運用し続けていました。冷房装置もなく、走行するときのモーター音も大きく、そして振動も激しいこの古い車両を長年大切に使い続けてきましたが、さすがに時代の波に押されていくことになります。

 10000系や30000系を増備し、古い車両の淘汰が始まると、5000系は姿を消していきます。そして、50000系の新製が始まると、抵抗制御の8000系もまた5000系の後を追うように淘汰の対象となっていきました。

 こうなると、いよいよ6050系も安泰とは言えなくなっていきます。

 

登場以来、6050系は主に浅草と東武有数の観光地である日光・鬼怒川を結び、観光客輸送を主眼とした列車で運用されてきたが、2001年のダイヤ改正では、東武日光線などに残存した吊り掛け車を淘汰するため、ローカル運用にも進出した。南栗橋以北の区間運用も設定され、活躍の場は徐々に狭められていくようになった。(©MaedaAkihiko This photo was taken with Panasonic Lumix DC-FZ1000 II, CC BY-SA 4.0, 出典:ウィキメディア・コモンズ)

 

 2001年のダイヤ改正では、それまでもっぱら快速で運用されていたのが、旧式車である5000系の淘汰をするため、日光線宇都宮線の一部の列車に6050系が充てられるようになりました。この運用のため、それまで5000系が担っていた冬季の霜取りは、6050系の役割となり、霜取り用のパンタグラフが一部に増設されました。

 2006年の改正では、浅草と日光・鬼怒川方面の列車は快速だけだったのが、新たに設定された区間快速にも充てられるようになりました。区間快速は、昼以降に運転される列車で、伊勢崎線内は快速と変わることはありませんでしたが、日光線内は各駅に停車する種別となり、僅かに速達性が失われてしまいました。

 この間、観光地である日光と鬼怒川を結ぶ、料金のかからない手軽な移動手段として、多くの人々を運びました。また、2両単位で増結が可能という柔軟性から、多客時には増結し、閑散期には必要最小限の編成を組むなど、私鉄ならではの効率性を重視した設計が活かされたのです。

 しかし、1985年に登場してから20年以上、種車となった6000系として新製されてから50年以上が経ち、常に長距離高速運転を強いられる運用に就いていたため、老朽化・陳腐化も否めなくなってきました。また、鉄道技術も大きく進歩したため、より高性能で高効率な車両がひしめき合う中で、抵抗制御という旧来からの技術を用いていた6050系は、消費電力をはじめとする運用コストを可能な限り削減しなければならない現代の経営環境にあって、既に時代遅れであることも否めません。

 2017年のダイヤ改正で、6050系にとって引退へのカウントダウンに繋がるともいえた、大幅な運用の変更が行われます。浅草と日光・鬼怒川を結んでいた快速と区間快速、そして浅草−新栃木間の区間急行が廃止されます。これをもって、伊勢崎線での運用をすべて失い、それ以後は日光線南栗橋以北と鬼怒川線、そして乗り入れ先の野岩鉄道会津鉄道ローカル運用に限られるようになりました。

 一方で、この頃から6050系の廃車も始まります。さすがに6000系の新製から50年以上も走り続けてきたため、特に電気機器に老朽化が目立ちはじめ、限界に近づいていました。2017年に6158Fが館林荷扱所に廃車回送されたのを皮切りに、以後、運用を離脱した車両が廃車解体されていきます。

 

徐々に運用範囲を狭められていった6050系は、2017年のダイヤ改正以降は南栗橋以南の運用がなくなった。快速自体の廃止もあって、活躍の場は限定されたものになる。これ以後は、東武日光線鬼怒川線普通列車としての運用で余生を送るようになり、写真のように2両編成でローカル輸送に徹するようになった。(クハ62102・61102F 鬼怒川温泉駅 2019年12月28日 筆者撮影)

 

 2019年には日光線開通90周年を記念し、かつて浅草と日光を結んでいた6000系と同じツートンの塗装に塗り替えられて営業運転に就きましたが、これが恐らくは6050系の最後の花道になったといえるでしょう。

 2020年には新型コロナウイルスの感染拡大により、鉄道輸送、特に旅客輸送の輸送量が大幅に減少し、鉄道事業者は経験のない苦境に立たされます。通勤輸送ですら大幅な減少となって、減便や減車を余儀なくされた中で、観光地である日光線鬼怒川線の輸送量が激減したことは想像に難くないでしょう。6050系もまた、そのあおりをまともに受ける形になり、運用が大幅に減らされてしまいました。

 

6050系にとって「最後の花道」となったのは、東武日光線全線開業90周年を記念して、種車となった6000系の塗装を再現したもので、多くの注目を集めた。初めは6162Fが塗装を変更されて運用についたが、後に新製車である6179Fも追加で塗装が変更された。外観の変更だけでなく、車内の座席のモケットも6000系時代の金茶色に変えるなど、当時を可能な限り再現させた。(©MaedaAkihiko, CC BY-SA 4.0  出典:ウィキメディア・コモンズ)

 

 2021年のダイヤ改正では急行列車の運用がなくなり、日比谷線直通車両として運用され、同線の20m化によって余剰となった20000系の改造車である20400形に代えられ、6050系はいよいよ普通列車の運用を残すのみとなってしまいます。翌2022年のダイヤ改正をもって、6050形はすべての運用から退き、東武鉄道保有する6050系はすべて廃車となってしまい、残るのは野岩鉄道保有する2両編成2本の4両と、スカイツリートレインとして改造された634型のみとなりました。

 都心に近い浅草と、観光地である日光・鬼怒川を結ぶ東武の列車群のなかで、特急列車を補完する存在であった快速列車として、観光輸送をするという役割を担い130km以上の長い距離を高速で走り抜けた6050系は、1985年の登場当時としては、非常に垢抜けた車両だったと筆者は考えています。

 しかも、特急や急行と違い乗車券のみで乗ることができるというのは、庶民にとってありがたい存在で、いつかはこれに乗って出かけてみたいと思うものの、なかなかその機会を得ることができませんでした。

 しかし、伊勢崎線での運用を失った翌年の2018年の終わりに、家族で鬼怒川を訪れた際に「SL大樹」に乗ったあとの復路で、上今市から乗ったのが最初で最後となってしまいました。鉄道誌で6050系が紹介されているのを見て、筆者にとってセンセーショナルな衝撃を受けてから30年以上が経ち、ようやく願いがかなったものの、筆者も齢を重ね立場も変わり、「じっくりと楽しむ」ことは叶わなかったことが残念でなりません。しかしながら、その最後の力走に立ち会うことができたこと、願いがかなったという意味では幸せだったと思います。

 6000系として1964年に新製され、約20年後に環境の変化などに対応するべく、車両更新という形で登場した6050系は、特急列車として運用されている100系500系のような華やかさこそないものの、東武の観光輸送を支え続けてきた立役者であるといえます。

 また、今日では多くの鉄道車両が置き換えられるときに、古い車両は廃車解体されて新製車両によって行われるのがあたりまえになっている現状を鑑みると、当時の東武の財政事情や経営方針などもあったでしょうが、「使えるものは再利用する」という方針のもとで、電気機器や台車などを「リユース」するという方法は、地球環境のことを考慮したとき、「エコロジー」な選択であり、廃棄物の3Rという概念の先駆けになったといえるでしょう。

 

1984年の登場以来、36年に渡って首都圏と国内有数の観光地である日光、そして温泉地である鬼怒川を結んで多くの観光客を運び続けた6050系も、寄る年波には勝てなくなり、老朽化などで引退していくようになった。かつては特急などの補完として地味な存在だったが、尾瀬夜行など多くの人々に親しまれていた。晩年はローカル運用に留まったが、それでも日光・鬼怒川地域の人々にとって、そして地域感を移動する観光客の貴重な足であることには変わりなかった。写真は鬼怒川温泉駅下今市に向かって走り去る61102F。すでにこの日はこの1編成だけが鬼怒川線での運用に就いており、輸送量の少なさが際立っていた。ただし、この61102Fは東武の所有ではなく、直通運転をする野岩鉄道保有する車両だが、東武車と共通運用が組まれていた関係で、東武線内のみの運用にも充てられていた。この61102Fは、東武車、会津車が全廃になった2022年以後も残った貴重な編成となった。(61102F 鬼怒川温泉駅 2019年12月28日 筆者撮影)

 

 今日、多くの鉄道車両がステンレス鋼やアルミ合金でつくられています。腐食もしない、強度も落ちないオールステンレス車が、古くなったからといって廃車解体される例は多くあり、そのようにされればただの廃棄物でしかありません。様々な事情があるにせよ、主要機器をリユースした6050系は、まさに今日的な課題としての手本となる存在だったといえるのかもしれません。

 

 今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。