旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

令和の春に静かに退いていった営団7000系【2】

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《前回のつづきから》

 

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 7000系は1974年の有楽町線開業により、計画通りに営業運転に使用開始されました。有楽町線のラインカラーはゴールドでしたが、7000系にはその近似色となる黄色の帯が巻かれていました。

 開業当初の有楽町線は池袋−銀座一丁目間で、5両編成で運用されていました。現在の8両または10両編成という姿からは想像できないほど短いもので、当時の需要のほどが窺われます。それでも、年々混雑していくことには変わらず、10年も経たない1983年には10両編成の運転が始められ、その年にはすべての列車が10両編成になりました。

 同じ1983年には池袋−営団成増間(現在の地下鉄成増)が延伸開業し、西武池袋線から伸びる西武池袋線も開業し、小竹向原からは西武線への乗り入れを果たしました。それまで地下鉄線内に封じ込められる形で運用されていた7000系も、相互乗り入れによって地上線でもその姿をみせるようになりました。

 さらに1987年には、営団成増から東武東上線に接続し、こちらとも相互乗り入れを始められることになり、7000系の活躍の場はさらに広がっていきます。どちらも東京都から埼玉県へ至る大手私鉄の路線ですが、両端の駅からではなく、同じ方向から異なる鉄道事業者の乗り入れという、珍しい形態の乗り入れとなったのです。

 1988年には銀座一丁目−新木場間を開業させ、有楽町線はこれをもって全線開業となり、7000系京葉地区から都心を抜けて城西地区を結ぶ路線の主役となっていったのでした。

 7000系は城西地区から埼玉県西武に至るまでの地域を走り、これらの沿線の人々にとって通勤通学など、重要な交通機関としての役割を果たすようになったのです。そのため、年々混雑は増加していき、既存の有楽町線だけでは増加した利用者をさばくことが難しくなったことから、1994年には小竹向原−池袋間に新線を開業させ、複々線化によって輸送力が増強されました。もはや7000系だけではその輸送量をさばくことが難しくなり、1993年には07系が、2006年には10000系が増備されましたが、これは7000系を置き換えるというよりは、輸送力増強のための増備が目的とされたといえるでしょう。

 こうして、開業から有楽町線と城西地区、埼玉県西部を走り続けた7000系に、大きな転機が訪れたのは2008年の副都心線の開業でした。

 副都心線小竹向原から池袋、新宿三丁目を経て渋谷に至る地下鉄線で、営団時代を通して東京地下鉄が最後に建設開業させました。小竹向原−池袋間は有楽町線の直下を走るため、有楽町線の車両と共通運用を組むことが可能でした。そのため、7000系有楽町線だけでなく、副都心線でも運用することになり、これに対応した改造工事が2008年から始められたのです。

 

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帝都高速度交通営団営団地下鉄)が千代田線用に開発した6000系は、その斬新なスタイルもさることながら、制御方式に電機子チョッパを本格的に採用した車両でもあった。従来の抵抗制御では、電圧制御をするために主抵抗器から発生する熱が地下鉄線のトンネル内温度を上昇させてしまうことや、電気エネルギーを熱エネルギーに変換して「捨てていた」ことなどから、非効率的であった。電機子チョッパサイリスタを活用することで、主抵抗器を廃し、発熱を抑えるとともに効率的な電圧制御を実現させた、当時としては最先端の電車だった。有楽町線用の7000系は、6000系をさらに発展させたもので、AVFチョッパ制御を実現させて、界磁抵抗器も不要にしてすべての電圧でのチョッパ制御となった。(営団6000系35番編成 よみうりランド前ー百合ヶ丘間 2003年8月 筆者撮影)

 

 副都心線は先に開業していた南北線と同様に、全線ATO(自動列車運転装置)によるワンマン運転が計画されていました。また、副都心線が全線開業した暁には、渋谷から東急東横線、さらにその先の横浜高速鉄道みなとみらい線まで乗り入れることが決まっていたため、これに対応した機器類の増設や交換など、大掛かりな工事が施されることになったのです。

 7000系は製造時からこの改造まで、運転台は縦軸横回しのツーハンドル式でした。昔からある左にマスコン(主幹制御器)と右にブレーキ弁というスタイルでした。それまで相互乗り入れをしていた西武と東武の車両は、ツーハンドル式を採用していたので特に問題にはなりませんでしたが、新たな乗り入れ先となる東急では、T字形ワンハンドルマスコンを採用していました。

 この機器の差は大きなもので、どちらか一方に合わせるのか、それとも乗務員を訓練することによって対応するのかを選択する必要がありました。しかし、副都心線は既にお話したように、ATOによるワンマン運転を計画していたため、ツーハンドル式よりはワンハンドル式のほうが都合がよく、しかも世の中の時勢はワンハンドル式になりつつあったでの、こちらが選択されました。

 こうしたことから、運転台機器はほぼ全てに渡って交換されることになり、マスコンブレーキ弁を撤去し、計器類もすべて交換されて、ワンハンドル式マスコンを備えた新たな運転台が設置されました。

 また、ATOによる運転のため、それに対応した保安装置も追設されるとともに、ホームを監視するためのモニターの搭載や、その映像を駅装置から受信するための受信機の装備など、数多くの機器が交換あるいは増設されました。

 鉄道の列車運転に欠かすことのできない保安装置も、副都心線の開業に備えて交換・追設がされました。副都心線で使われることになるATOはもちろんですが、従来から装備していた有楽町線内で使うCS-ATCと、東武ATS、西武ATSに加えて、東横線で使われているATC-Pが追設されました。また、列車無線や防護無線といった通信機器も、4社でそれぞれ異なるので、これに対応した機器に交換されました。4社の異なる保安装置に対応するためとはいえ、1つ車両にこれだけ多くの保安装置などを搭載することはあまり例がありませんが、従来に比べて機器の小型化が進んだこともあって実現できたと言えるでしょう。

 副都心線対応工事で最も目立ったのが、8両編成化ではないでしょうか。

 1974年の開業直後以外は、一貫して10両編成で運用されてきた7000系ですが、副都心線の全線開業によって新たに乗り入れることになる東急東横線は、最大でも8両編成で列車を運行していました。直通運転開始によって、一部は10両編成化されることが決まっていましたが、それは特急や急行といった速達列車に限ってのことで、各停では引き続き8両編成で運行されることになっていました。

 7000系も運用によっては各停で運行されることになりますが、10両編成のままでは東横線内での各停運用に就かせることができません。東横線内の駅ホームすべてを10両編成対応にする方法も考えられますが、この場合、すべての駅にホームを延伸させることができる余地があることが前提です。しかしながら、ホームの延伸が可能な駅は速達列車が停車する駅をはじめ、ごく一部にとどまり、そうした工事が不可能な駅も一定数ありました。また、無理に延伸させてもホーム自体の幅が狭くならざるを得ず、速達列車が高速で通過する時には、利用客の安全確保が難しくなります。

 そのため、ホームの延伸は諦められ、車両側で対応することにしました。こうしたことから、7000系の一部を10両編成から8両編成に短縮させることにし、中間車2両を編成から引き抜くとともに、残った車両の組成順を組み替えることにしたのです。

 10両編成から引き抜かれたのは6号車(7600)と7号車(7700)で、これら引き抜かれた車両は廃車となっていきました。また、小竹向原方の先頭車は制御電動車(CM2)でしたが、副都心線対応改造で電装解除されて制御車(CT2)化されました。この改造は10両編成も同じで、小竹向原方先頭車はすべて電装解除されて制御車に改造されました。

 この副都心線対応の改造を施工するとともに、電装品の更新工事も同時に行われました。

 7000系で最も特徴的ともいえる主制御器は、AVF式電機子チョッパ制御ですが、登場から既に20件以上が経っていたため、これらの機器は老朽化が進んでいました。サイリスタ半導体素子なので、見た目にはわかりませんが、電子機器である以上は一定の年数が経つと劣化していきます。そのため、いずれは車両故障を頻発させることが予想されていたことと、冷却装置にフロンガスが使われていたことから、これを早期に代替えする必要がありました。

 更新工事によって、フロン沸騰冷却装置を備えた電機子チョッパ制御器は、より効率の高いVVVFインバータ制御に換えられました。それとともに、主電動機も出力150kWの直通直巻電機子電動機から、出力160kWまたは165Kwのかご形三相誘導電動機に換装されました。この主電動機の交換によって出力が向上しただけでなく、直流電動機から交流電動機に変わったため、小型軽量なものとなりました。

 これらの工事を施工された7000系は、車体に巻いた帯の色も、有楽町線のラインカラーであるゴールド一色から、副都心線のブラウンとゴールド(黄色)の2色となり、その間には細い白いラインが配されるなどの変化がありました。

 こうして、登場から30年が経った7000系は、副都心線に対応した機器の載せ替えと増設、そして制御装置は時代に合わせてさらに効率的なものへと換装させるなど、装いを新たにしたのでした。

 

《次回へつづく》

 

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