旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

鉄道車両の冷房装置 出力の肥大化と大都市の気温上昇【4】

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《前回からのつづき》

 

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大手私鉄・通勤用車両の場合

 特急用車両が接客サービスの面で冷房装置を装備するのが一般的になっていった一方、通勤用車両については国鉄と同様に後回しにされました。特急用車両は特急料金を徴収している有料列車であることと、国鉄との競合で利用者を自社に誘導するためには、国鉄よりも質の高い設備をもつ車両を用意することが必須であったため、早い時期から冷房化されていました。

 通勤用車両は普通乗車券のみで乗ることができるので、国鉄、私鉄ともに冷房化が一般的になるのは1970年代まで待つことになります。

 それでも、夏季になると冷房化を求める声は徐々に大きくなり、大手私鉄もこれを無視するわけにはいきませんでした。

 私鉄で通勤用電車の冷房化を最も早く実施したのは京王帝都電鉄でした。当時、京王の通勤車の主力は5000系(初代)で、18m級の車体をもつ中型車でした。片側3ドアで、車内はロングシートという、多くの大手私鉄が採用していた構造は、ごく一般的なものでした。

 京王5000系で特筆されるのは、WN駆動方式のカルダン駆動とするグループと、2700系を電装解除した上で機器を流用したグループがあることでしょう。初期に製造された車両は、旧型車である2700系から機器を流用したため、それを踏襲して吊り掛け駆動でしたが、後にカルダン駆動となって増備が続けられ、文字通り京王の主力となりました。

 この、京王の主力となった5000系に冷房装置が搭載されたのは1968年のことでした。国鉄の主力通勤形電車の101系に冷房化工事が始められたのが1972年からであることを考えると、通勤用電車としてはかなり早い時期であったことが分かります。

 京王5000系に搭載された冷房装置は、分散式と集中式の2種類でしたが、初期の車両は分散式のRPU-1508で、冷房能力は4500kcal/hでした。この性能は国鉄AU12と同じもので、当時の技術では最大の能力でした。このRPU-1508を6基搭載し、車両全体の冷房能力は27,000kcal/hを確保したことで、利用者にとって真夏の通勤通学はかなり楽になったことと思います。

 京王5000系は既にお話したように、18m級の中型車だったので、この27,000kcal/hという冷房能力は、混雑した車内を冷やすのには十分だったと考えられます。また、旧式な吊り掛け駆動車もありながら、冷房化されたというのも特筆に値するものでしょう。

 一方、国鉄と熾烈な競争を繰り返していた京阪神の私鉄もまた、通勤用電車の冷房化を進めることで、国鉄との差別化を図ろうとしていました。

 大阪(梅田)ー神戸間で、国鉄と阪急の2者と競合していた阪神電鉄は、高加速高減速性能をもつ「ジェットカー」と愛称をつけた高性能電車を投入していました。いわゆる「青胴車」と呼ばれる各停用の電車と、「赤胴車」と呼ばれる急行用の電車があります。これら、阪神電鉄は1970年から冷房装置を新製時から搭載した電車を投入しました。

 

阪神電鉄の「青胴車」と呼ばれる5001形(二代目)が屋根上に装備する冷房装置は、国鉄のAU13と同型のMAU-13HAを採用している。既に実績がある機器を採用することで、製造コストを引き下げを狙うのはいかにも関西私鉄らしい。奇数車に7基、偶数車には6基載せ、19m級3扉車としては十分な冷房能力をもたせている。写真の5005Fは既に廃車になり、青胴車の姿が見られるのも、残念がらあと僅かになった。(5005F 尼崎駅 2018年4月 筆者撮影)

 

 阪神電鉄の冷房新製車は、国鉄のAU13とほぼ同一のMAU-13を搭載していました。MAU-13は冷房能力5,500kcal/hをもつ分散式冷房装置で、これを6基から7基を装備して、車両全体の冷房能力も33,000kcal/h〜38,500kcal/hとなるなど、当時としては比較的強力なものでした。国鉄のAU75が42,000kcal/hから比べると弱いものでしたが、19m級3扉の車体からすれば、車内を冷やすには十分以上の性能だったといえるでしょう。

 このように、私鉄各社も1960年代終わり頃から冷房化を進めましたが、当時の技術としての限界を考慮しても、国鉄の集中式であるAU75の42,000kcal/hが最大で、平均するとおよそ30,000kcal/h程度に収まっていたのでした。

 

《次回へつづく》