《前回からのつづき》
■183・189系無き後は国鉄形最後の特急形185系
167系の後継として集約臨輸送を担った183・189系も、時の流れとともに老朽化・陳腐化が著しくなっていきました。2003年から10年の間にわたって多くの小学生を輸送してきたものの、最後に製造された車両も1982年であることから、車齢は既に30年以上に達していました。
国鉄時代に製造された電車は、205系や211系など、最末期に製造された一部の車両を除いて、抵抗制御で鋼製車体をもつもので、運用コストは民営化後に製造された電車と比べて高くついていました。
神奈川県の小学生は修学旅行で日光を訪れるのが定番となっているが、その集約輸送臨時列車の運行経路は多岐にわたっている。これは、乗車する小学生の負担を軽減するためのもので、普段は走ることのない路線をこのように走行する。しかし、定期列車の合間で運行するため、場所によっては停車時間が限られるので、実際に引率する立場では非常に神経を張り詰めるものだった。(クハ183ー1018・マリ31編成【千マリ】 武蔵中原 2012年11月12日 筆者撮影)
JR東日本も老朽化が進む国鉄形は早期に置き換えていき、より効率がよく運用コストも安価に済む車両も波動輸送用に充てたいと考えていたものの、定期列車に充てない事がわかっている予備車のために、わざわざイニシャルコストをかけてまで新製するのは得策ではありません。できれば、第一線から退いた民営化後に製作された車両に替えたいところでしたが、2013年の時点ではそのような都合の良い車両は皆無でした。
しかし、183・189系の老朽化による置き換えはしなければなりません。
そこで、国鉄時代の最後に直流特急形電車として製造された185系を、波動輸送用の予備車とし、集約臨に充てることになりました。
183・189系の集約臨への充当を2013年度をもって終了し、大宮総合車両センター東大宮センター配置車両は翌2014年1月に廃車になると、その後継として同じ東大宮セ配置の185系のうち、7両編成の200番代からサロ車を抜き取った6両編成と、同じ7両編成からサロとモハ1ユニットを抜いた4両編成、そして余剰となったモハ1ユニットを7両編成に組み込み、同じくサロを抜き取った8両編成とした全車普通車とした編成を波動輸送用としました。
この波動輸送用になった185系は、一部を除いて200番代で組成されていました。これは、高崎線系統の特急列車である「あかぎ」「水上」「草津」が、185系200番代から651系1000番代に変更され、その玉突きで余剰となったことで183・189系の置換え用として確保したものでした。
2014年からは、この波動輸送用に編成を組み替えた185系が集約臨の運用に充てられました。
しかし、185系が集約臨に充てられた期間は、歴代の車両の中で最も短いものでした。
そもそもが国鉄時代に製作された車両であり、最後に製造されたものは1982年でした。これは183系の最終製造車と同じ年であり、車齢でいえば先に廃車になって退いていった183・189系と大して変わりのないものでした。また、抵抗制御で普通鋼製車体であることも、183・189系と変わりません。老朽化も同じくらい進んでいたと考えるのが妥当であり、183・189系の後継として185系は本命ではなく、いわば中継ぎであったといえるでしょう。
183・189系と185系の大きな違いは、全車が純然たる特急用車両としての構造であったのに対し、185系は特急用にも使える汎用性をもたせた構造であることでした。この点では、波動輸送用として183・189系より185系のほうが使いやすく、製造期間も1年ほどで終わったため車齢のばらつきがなく、運用管理も容易であったと考えられます。
185系は2020年から定期運用となる特急「踊り子」を、E257系に置き換えが始められました。中央東線の特急「あずさ」「かいじ」にE353系を新製投入し、同時に房総特急の大幅削減で余剰となったE257系を更新の上、「踊り子」の運行に充てられるようになりました。
183・189系なき後を継いだのは、やはり国鉄形特急電車の185系だった。183・189系が後継車両に定期特急列車の座を譲って、波動輸送用として残った車両で賄われていたのに対し、185系は「踊り子」など定期運用をもっていた一線級の車両だった。それでも、このような集約臨に充てられたのは、高崎線系統の特急運用がなくなって余剰となった車両から、サロを抜いたモノクラス編成が充てられた。民営化後の更新工事によって、座席は183・189系と同様にリクライニングシートを備えていて、快適な旅ができた。(クハ185ー15・オオA8編成【宮オオ】 戸塚−大船 2020年11月24日 筆者撮影)
185系は定期運用を次々と退いていき、波動輸送用の編成を除いて廃車となっていきました。また、波動輸送用として残された編成も6両編成2本12両と大幅に減り、集約臨での運行も2020年を最後に終了し、185系での運行はわずか6年と短いものとなりました。
筆者が最後に集約臨に乗車したのも185系時代であり、湘南色のブロックパターン塗装を施されていました。後に登場時の緑ストライプ塗装に替えられたようですが、車内は登場時の転換クロスシートではなく、リクライニングシートに交換されるなど民営化後に更新工事を施されたものでした。
しかし、乗降用扉は特急形としては異例の幅1,000mmという広さがあり、大きな荷物を抱え込んだ子どもたちにとって、乗降しやすいものでした。特に集約臨は神奈川県川の発着駅での停車時間は限られ、その時刻も通勤ラッシュ時間帯にかかることから、迅速に乗降しなければなりません。そのため実際に引率した立場からすると、集約臨に充てられた歴代の車両の中で、185系がもっとも適した車両であったといえるのです。
《次回へつづく》
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