旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

さらばキハ28 DMH17系エンジンの終焉【6】

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《前回のつづきから》

 

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■最後のキハ58系 房総へ渡ったキハ28 2634(つづき)

 健康被害を及ぼすアスベストを多用したキハ58系は、車両の検修に携わる職員だけでなく、乗務員や乗客にも健康に悪影響を及ぼすとされ、可能な限り新系列気動車に置き換えて淘汰することになり、早期に国鉄形車両を淘汰して効率的な経営の実現を目指していたJR東海は2001年に定期運用を終了させます。これは、JR旅客6社の中で一番早いもので、以後はキハ40系とキハ11、さらに1993年から製造されたキハ75系が非電化路線の列車を担うことになりました。
 他方、旅客会社の中でもっとも多い300両以上のキハ58系を継承したJR東日本でも、2000年代に入ると急速にその数を減らしていきました。キハ100・110系の増備、さらに軽量ステンレス車体をもったキハE130系キハE120形の新製増備がされると、新津運輸区に配置されていた3両を最後に2009年に定期運用を終え、さらにジョイフルトレインに改造され「Kenji」として盛岡車両センターに配置されていた2両も、2018年に運用を終了させました。
 意外なことに、気動車王国ともいわれるJR四国は、2008年にキハ65とともに定期運用を終了させました。三島会社の中でもJR北海道に並ぶ厳しい経営環境にある中で、国鉄から継承した気動車を早期に引退させたことは特筆に値するといえます。効率のよい新型車両へ置き換えながら、輸送実態に合わせた適切な車両を運用することで、合理的な経営を追求している努力の表れだと筆者は考えています。
 同じ三島会社でも、JR九州は2018年までキハ58系を運用し続けました。もっとも、この最後まで残ったのはジョイフルトレインあそ1962」に改造されたキハ58 139+キハ28 2401の2両で、今日でいうところの観光列車としての性格を帯びた車両でした。そのため、「あそ1962」としては定期運用をもっていたので、普通列車ではないにせよ21世紀も20年近く経とうかという時期まで走り続けたのでした。
 もっとも、JR九州のキハ58系は、分割民営化後に多くの改造が施されました。急行用として運用される車両は座席をリクライニングシートへの交換と床板の張り替え、普通列車用としての車両にはデッキ付近の座席のロングシート化といった運用する列車に最適な設備への更新が行われましたが、どちらに共通しているのは屋根上のベンチレーターの撤去とその痕に残った開口部を塞ぐことでした。この開口部を塞ぐ工事により、雨水が車内に侵入することがなくなり、冷暖房効率を上げながらふるいによる車体の腐食を防止したのでした。このことが、比較的長い期間の運用を可能にしたと考えられます。もっとも、「あそ1962」以外の車両は2007年にすべて運用を終了させ、キハ200系やキハ125形といった新世代の気動車を増備し、運用する路線の輸送実態に合わせた車両に置き換えたためでした。

 

新製配置である米子機関区を振り出しに、主に西日本の日本海側で活躍してきたキハ28 2346は、民営化後はJR西日本に継承された。その直前に、山陰から北陸へと転じて北陸本線七尾線小浜線越美北線などで運用されたが、高岡鉄道部に配置になるとこのような「地域色」と呼ばれる塗装を身にまとっていた。前面の窓ガラスしたの車体には、雨水が滴り落ちた痕に錆が浮いているのが分かる。この時点で、車齢は既に40年以上も経っていたため、鉄道車両としては「老兵」「古豪」と呼んでもおかしくないものだった。(キハ28 2346 ©Mitsuki-2368, CC BY-SA 3.0, 出典:Wikimedia Commons)


 ところが、JR西日本はご存じのように、キハ58系を一般列車として最後まで運用していました。富山地域鉄道部に配置されていたキハ58+キハ28の2両編成2本、全部で4両が高山本線で2011年まで普通列車として走り続けていたのです。もちろん、後継となるキハ120形も配置はされていましたが、キハ120形は既にお話ししたように新潟鐵工所が三セク向けに開発した軽快気動車「NDC」シリーズで、車体長が16mと中型車両でした。そのため、ラッシュ時などの収容力に難があったのか、キハ120形では所要数が不足したのか、最後まで2両編成を組んだキハ58系が使われ続けたのでした。

 

JR西日本からいすみ鉄道へ譲渡されたキハ28 2346は、キハ58系の中でもっとも「幸運」を手にした車両だったといえる。1,800両以上もいた僚機はほとんどが廃車になり、この写真を撮影した2013年時点で、一般仕様の車両はこのキハ28 2346だけ。ジョイフルトレインに改造されたJR東日本の「Kenji」に改造された3両を含めると、たったの4両が現役として残った。集客を狙っていすみ鉄道が導入したキハ28 2346であったが、古い車両故に維持費、特に補修用部品は特別に製造しなければならないため、概して一般の車両に比べて高価になっていた。このことは、経営基盤が脆弱で、財政的にも厳しい三セク転換鉄道にとっては高コストな車両だったといえる。経営的に見れば、写真右に写る軽快気動車の方がはるかに低コストであるのは明らかで、趣味者として見ればキハ28 2346が保存・運用されたことは喜ばしいが、鉄路を維持し続けるという観点では、果たして「身の丈に合った」車両だったのかちう疑問を抱かざるを得なかった。(キハ28 2346【金トヤ】→いすみ鉄道 大多喜駅 2,013年6月30日 筆者撮影)


 そして、奇しくも東日本大震災が起きた2011年3月11日にをもって、最後まで走り続けた4両のキハ58系はすべての運用を終え、キハ28 2346を除いて廃車となりました。
 高山本線での運用を終えたキハ58系4両のうち、キハ28 2346だけは廃車手続がとられず、そのまま保留車として車籍が残されたまま保管されました。恐らくは、この頃から水面下でいすみ鉄道への譲渡が交渉されていたと考えるのが自然で、翌2012年8月にキハ58 2346はJR西日本からいすみ鉄道へ譲渡、同年10月に金沢総合車両所で整備の後、いすみ鉄道に搬入されました。
 この整備のときに、高岡色と呼ばれる地域カラーから、国鉄急行形気動車の標準色への塗り替えが施され、まさに国鉄時代に中長距離の急行列車として活躍していた頃の姿へと戻されたのです。
 当然、キハ28 2346は多くの人に注目される存在になりました。

 

《次回へつづく》

 

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