旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

過酷な通勤輸送を支え続け40年の功労車・東急8500系【4】

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《前回からのつづき》

 

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 今日、田園都市線で運用される車両は長津田検車区に配置されていますが、この当時は田園都市線で運用される車両は、長津田検車区の完成による移転までは、鷺沼駅の渋谷方海側にあった鷺沼検車区の配置でした。

 8500系が登場するよりも前の田園都市線は、今日の運行形態とは異なり、大井町二子玉川園−すずかけ台で運転されていました。また、沿線はこれから開発される計画があったのみで、4両編成を組んでいました。後に二子玉川園で系統分離されて今日の運転形態に変化していきますが、当時の沿線はそれほど人が多く住んでいなかったので、こうした短い編成でも対応できたのでしょう。今日では10両編成があたりまえになっているので、この短い編成で運用についていたのは驚きです。もっとも、現在の大井町線がそうであるように、ホームの長さは短かったため20m級の大型車である8500系は、この短い4両編成が限界でした。それに、沿線はまだ開発が始まったばかりだったので、4両編成でも十分に対応できたのだと考えられます。

 1977年には廃止された軌道線の玉川線の代替として建設が進められていた新玉川線が開業します。新玉川線が開業した当初は二子玉川園(現在の二子玉川)で運転系統が分離していたので、渋谷−二子玉川間の折り返し運転とされ、田園都市線は引き続き大井町すずかけ台間の運転でした。

 4両編成を組んだ8500系は、既にお話したように1974年の第6次車である8601F〜8010Fの10編成はM2c-M1-T-M1cの3M1T を組んで登場しました。翌1975年に製造された第7次車の8611F〜8616Fの6編成ではT車は製造されず、代わりにM2車が新製されてM2c-M1-M2-M1cの4M、すなわち全電動車編成で登場します。加えて、8617Fも増備されましたがこちらはM2c-M1-M1cという3両編成でした。8500系の中で3両編成という短いものはこの8517Fだけと考えられ、鷺沼ではなく元住吉に配置されていました。これは、営業運転で使われるのではなく、乗務員訓練用としての配置でした。

 1976年に8500系はさらに32両増備されますが、これは編成単位ではなく車両単位での増備となりました。先頭車となるデハ8500とデハ8600だけでみると、それぞれ8両ずつが新製されているので8編成の増備に見えますが、実際には中間車のM1車が8両ですが、M2車とT車は5両ずつの増備に留まりました。このときから、基本設計を同一にする8000系との組み替えが頻繁に行われるようになり、柔軟な運用が可能な経済的な車両ということがわかるようになります。

 同じ年に田園都市線すずかけ台つきみ野間が延伸開業し、それまで4両編成で運行されていたのを、輸送力の増強を目的に一部が6両編成への組み替えも順次行われていきます。その6両編成化にあたっては、東横線から8000系27両を捻出して、8500系に組み込んで6両編成化が進められました。そのため、純正の8500系のみで組成されたのは8616Fのみで、8617F〜8626Fは東横線から捻出した8000系が組み込まれた混結編成で6両編成化されたもので、冷房準備車も混ざっていたため冷房装置は載っていても使うことができない編成もあったようでした。

 

大井町線で運用されていた最晩年の8500系・8639F。8500系の中で5両編成で製造された「分割編成」の最終増備グループは、田園都市線での運用の後、大井町線に転属して前面帯色を変えて運用されていた。この姿を知る人は多いと思うが、実際には8500系にとって二度目の大井町線運用で、8500系が登場した1975年頃は大井町二子玉川園-長津田田園都市線であったので、新製配置された頃はこの場所を走っていた。(8500系・8639F5両編成 北千束駅 2018年

 

 こうして毎年のように8500系は増備が続けられていきましたが、1977年には軌道線だった玉川線の代替として建設が進められていた新玉川線が開業します。新玉川線は全線地下路線での開通なので、A-A規準で設計された8500系の本領発揮と言いたいところですが、肝心の営団半蔵門線の開業は翌年まで待たなければなりませんでした。

 この新玉川線開業では、先に進められていた8500系6両編成が運用に充てられました。とはいえ、この時点では渋谷−二子玉川園間の折り返し運転で、田園都市線への直通はやはり翌年まで待たなければなりません。また、田園都市線は変わらず大井町つきみ野間は、ホーム有効長の関係から20m級大型車6連は入線できないので、8500系は4両編成が運用に充てられていました。

 この頃は8000系を組み込むなど変化の激しい時期でもありましたが、同時に東横線で運用されていた8000系を田園都市線に転属させ、その穴埋めに新製したばかりの8500系が配置されるなど変化に富んでいました。実際、筆者も何度か東横線8500系に乗車する機会がありましたが、それでも絶対数は8000系の方が多いので、正面に赤帯を巻いた8500系は目立つ存在でした。同時に、夏季には冷房装置がついていたので、8500系がやってきたときには「あたり」だとさえ思ったものです。