いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。
すっかりご無沙汰になってしまいました。
4月で年度が変わり、職場も仕事も変わらなくとも、埋めるべきポジションが変わったことで、本業が多忙になってしまいました。なんとか記事は書き続けることはしていましたが、ブログに投稿するまでには至らず、7月も半ばになってしまいました。
時間に余裕をもつことができるのは、当分、いやかなり先、もしかするとずっとこないかも!しれませんが、ちょっとずつ更新できたらと思っております。これまでと変わらずご愛読いただければ幸いです。
その昔、夜の帳の中を鮮やかなブルーの車体を、月明かりに照らされながら多くの夜行列車が走っていました。特に、特急列車は「ブルートレイン」と呼ばれ、一時は多くの人が利用し、子どもたちをはじめ人気を集めた列車も、すでに過去のものになってしまいました。
その末裔とも言える「サンライズ出雲」と「サンライズ瀬戸」は、JR東海とJR西日本によって運行されている寝台特急ですが、運用の効率化とコスト軽減をねらって、285系電車が充てられているので、ブルートレインではありません。それでも、残り少なくなった定期運用の寝台特急であることには変わらないので、切符を取るのが難しい列車でもあるのです。
その寝台特急は、機関車が牽く客車列車が基本でした。24系や14系、更に遡ると20系といった寝台車を擁する客車が使われ、中には個室寝台や食堂車を連結した列車が運転されていました。
その先頭に立つ機関車は、やはりファンだけでなく、多くの人から注目された存在だったことでしょう。前面には列車の愛称を示すヘッドマークを誇らしげに掲げ、薄暮から夜の帳が訪れようとしている時間帯の大都市を発車し、闇夜に向かって走り出していくその姿は力強くても優雅であり、筆者もいつかはあの列車の、あの機関車のハンドルを握りたいという思いを抱いたものです。
もっとも、後年、貨物会社に入って実際にその機関車の運転台に座ると、とにかく大きな機器に占領されているために足元は狭く、お世辞にも快適とは言い難い空間に絶句させられたものでした。そして、なんといっても冷房といった空調設備はなく、夏はどうするんだ?いや、それよりもトイレはどうするんだ?といった疑問が頭の中でぐるぐると回ったことを思い起こします。
さて、その寝台特急、特に20系客車が登場したときに、その先頭に立つという誉れ高い役割を与えられたのは、誰もが知る旧型電機の代表ともいえるEF58形でした。
EF58形は戦前につくられた旅客用電機が、戦争によって疲弊していたことや、戦後になって旅客需要が急激に高くなったため、輸送力を増強するために戦後になって製造された旅客用電機でした。
歯車比は高速で走る列車を牽くために特化した高速よりの設定とし、冬期に旧型客車を牽くためには欠かすことのできない、暖房用の蒸気発生装置を装備したEF58形は、戦後ん客車列車を牽く電機のエースともいえる存在でした。
そのため、数多くの優等列車を牽く任を与えられ、急行列車はもちろんのこと、特急列車を数多く牽いたという、高い実績を誇る電機でもあったのです。
1958年に従来の客車とは一線を画する豪華で近代的な設備をもった20系客車が登場すると、その牽引機としてEF58形が選ばれました。優等列車を数多く牽いたという実績と、当時、戦後製の旅客用大型電機はEF58形が唯一であったことが理由でした。もちろん、EF58形は高速性能に優れた電機だったので、この抜擢は当然のことといえるでしょう。
第二次世界大戦が終結した直後の1946年から製造が始められたEF58形は、戦前製の省形旅客用電機の流れを汲む高速性能を誇った。定格速度87.0km/hは、EF58形以後につくられたどの電機も凌ぐことはできなかった。その性能が買われ、寝台特急=ブルートレインを牽くという花形運用を手にし、後継となる電機が登場した後も、夜行急行列車や増発した寝台特急列車の運用も担った。東京と大阪を結んだ急行「銀河」も、20系客車時代はEF58形が牽いていた。(©Gohachiyasu1214, CC BY-SA 4.0, 出典:ウィキメディア・コモンズ)
しかし、高速性能に優れたEF58形は、平坦線区ではその性能を遺憾なく発揮し、長距離を高速で走行するには申し分なかったものの、山陽本線に存在する難所でもある瀬野八だけは歯が立ちませんでした。約10kmにも渡って続く22.6‰の連続した急勾配では、速度は低くなるもののトルクを要求されるため、高速側に歯車比を設定したEF58形にとって手強いどころかできれば避けて通りたい場所でした。
そのため、瀬野八を越えるために補助機関車であるEF59形の手を借りなければならず、補機を連結開放するために瀬野駅と八本松駅での運転停車を強いられ、列車の表定速度を押し下げ、ひいては速達性を落とすことにつながっていたのでした。
国鉄としては、この運転停車による表定速度の低下と到達時間が伸びることをなんとかしたいと考えていました。1960年に20系客車にカニ22形が搭乗することになり、これに対応した機器を装備する必要もあったことから、当時、最新鋭の新性能直流電機であるEF60形に白羽の矢が立てられたのでした。
《次回へつづく》
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