旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

貨物機なのにブルトレ牽引に抜擢された悲運の電機 EF60形500番台【4】

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《前回からの続き》

 

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 寝台特急列車の最高運転速度を100km/hから110km/hに引き上げ、それとともに20系客車には電磁指令ブレーキが装備されることになり、牽引する機関車にもこのブレーキに対応した装備が必要となったことから、その装備をもたないEF60形500番台は、これ以後、寝台特急列車の先頭に立つことはなくなったのです。

 その後、寝台特急列車が増発される時や、EF65形500番台が不足したときには、再度EF58形が充てられるようになり、まがりなりにも寝台特急列車の先頭に立った経歴を持つEF60形500番台が再登板することはありませんでした。

 寝台特急列車の運用から外されたEF60形500番台は、その後は0番台と共通の運用が組まれるようになり、特急色を身にまとったまま貨物列車を牽く任に就きました。いわば、分割民営化後に貨物会社に所属したEF65形500番台のように、かつての栄光をまとったままその役割を担ったのでした。

 

一度は栄光の仕業を手にしたEF60形500番代は、性能に見合わない高速運転を強いられたため、寝台特急の運用に就くとフラッシュオーバーに悩まされた。結局、短期で寝台特急の運用から外され、その任をEF65形500番台に譲ると本来の貨物列車に充てられ、二度と鮮やかなブルーの列車を牽くことはなかった。塗装は20系客車に合わせて、青15号の地色にクリーム色の帯を巻く特急色に塗られ、白熱灯1個の前部標識灯と非貫通形の前面デザインは以外にも似合っていたと思う。510号機は501号機とともに保存された数少ない車両だったが、2016年に残念ながら解体されてしまい現存しない。(©Hyper Maniac Man, CC BY-SA 4.0, 出典:Wikimedia Commons)

 

 そのかつての栄光を象徴した塗装も、1975年頃から0番台と同様の直流機一般色に塗り替えられ、同時にカニ22形など20系客車を牽くために設置されていたジャンパ連結器が撤去されてしまい、もはや0番台との区別がつきにくい体裁になってしまいました。

 以後、黙々と貨物列車を牽く日々でしたが、1986年に再び客車を牽く機会が訪れました。紀勢本線で運転されていた12系客車を牽く運用に充てられることになりました。これは、それまでEF58形が運用に就いていましたが、老朽化が進んだことなどの理由で置き換えることになり、その後任としてかつて20系客車を牽いたことにある500番台が充てられることになったのです。

 この運用に就くために、12系客車を牽くのに必要な元空気ダメ管の引き通しをする改造を施されました。いわゆる「P形」改造と呼ばれるメニューで、寝台特急列車の運用に充てられていた時代や、その後もこうした改造を受けることがなかったのが、ことここに至ってのP形化改造でした。

 その理由として、12系客車は自前で圧縮空気を編成内に送るコンプレッサーを装備していましたが、全車が空気ばね台車と自動ドアを装備していたため、客車自体のコンプレッサーでは賄いきれず、機関車から圧縮空気を送ってもらう必要があったのです。

 しかし、この運用に充てられることになった1986年は、翌年に国鉄が分割民営化されることが決まっていた、いわば国鉄の末期です。12系客車を牽くために元空気ダメ管引き通しを装備するEF65形500番台や1000番台PF形を回す余裕もなかったため、低速の貨物用機であり、過去にはフラッシュオーバーの頻発という苦い過去をもっていることを承知の上で、貨物列車の削減などによって運用に余裕のある、あるいは既に余剰化したEF60形500番台を応急的に投入したと考えられるでしょう。

 

深夜の大阪駅に佇むEF65形500番代P形が牽く、寝台特急「みずほ」。後ろに連なるのは20系客車で、14系14形客車に置き換える前の姿で、筆者が幼き頃にカードなどで見たのは、このような姿だった。寝台特急という国鉄にとって花形の「商品」であるため、その牽引機は常にきれいな状態を保つように整備と清掃がされていた。車体はホームの照明を浴びて反射し、屋根上の避雷器も輝いている。EF60型と比べて高速性能を高め、客車列車と貨物列車の両方で運用可能な汎用機として設計されたので、長距離を連続して高速運転をしても耐えることができ、EF65形1000番台PF形へその任を譲るまで、この写真のように常にスポットライトを浴び続けた。(©Gohachiyasu1214, CC BY-SA 4.0, 出典:ウィキメディア・コモンズ)

 

 とはいえ、まがりなりにも一般色であったとはいえ、再び客車の、それも寝台特急列車と同じ塗装をまとった12系客車の先頭に立つというのは、久しぶりに人目につく運用だったといえます。

 このようなかつての栄光を彷彿させる運用も、僅か半年で終わりを迎えました。国鉄最後のダイヤ改正となった1986年11月、12系客車による客車列車そのものが、紀勢本線から廃止されたことによって、EF60形500番台は完全にその役割を失ったのでした。

 そして、1987年の国鉄分割民営化では、EF60形は保存目的の19号機を除いて、全車が新会社へ継承されることなく余剰車両として廃車、国鉄清算事業団の管理下に置かれ、機能停止した旧操車場などへ回送・留置された後、解体の日をただじっと静かに待つ運命となったのでした。

 2024年現在、かつて寝台特急列車を牽いた栄光を伝えるのは、群馬県にある信越本膳横川駅に隣接した碓氷峠鉄道文化むらに保存されている501号機のみです。そもそも、貨物用機という地味な役割だったこともあってか、EF60形自体の保存が非常に少なく、あとは栃木県の両毛線足利駅前に保存されている123号機の2両のみです。(カットボディとしての保存は4両あります)

 前部標識灯1個、いわゆる「一つ目」の電機であるEF60形の姿を残しているのは、この501号機とカットボディの47号機だけで、動態保存としてJR東日本に継承された19号機と、静態保存機として大宮総合車両センターに保存された510号機は、既に解体されてしまいました。

 僅か1年という短さで、檜舞台を降ろされたEF60形500番台ですが、低速機を高速列車に充てた場合の問題点を炙り出し、客貨両用として運用が可能なEF64形やEF65形の登場へとつなぐとともに、日本の寝台特急列車の歴史に、燦然とその名を刻んだことは間違いないといえるでしょう。

 

 今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

〈了〉

 

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