旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

18両の小世帯で東海道・山陽路で奮闘した旅客用電機 EF61形【4】

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《前回からのつづき》

 

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 EF61形は冬季における客車の暖房用熱源として、蒸気発生装置を装備していました。旧型客車のうち、本州で運用される車両のほとんどは電気暖房を備えていましたが、これを使うためには直流電機では電動発電機(EG)を装備していることが必要でした。一方、交流電機は電動発電機ではなく、主変圧器の二次巻線から暖房用電源を取り出す構造になっていたたことが標準だったため、暖房用の蒸気発生装置も電動発電機も必要なかったのでした。

 しかし、直流電機で電動発電機を装備していたのは、EF58形やEF64形といった一部の形式しかありませんでした。そして、電気暖房が使えない場合は旧来からの蒸気暖房を使うことになりますが、これも機関車にその装置を設置していなければならなかったのです。

 EF61形は電動発電機ではなく、蒸気発生装置を装備して、冬季はこれを作動させて客車に高圧蒸気を送り込んで、客車の暖房用熱源として使うことになっていました。蒸気発生装置を作動させると、屋根から余分な蒸気を吐き出していたのですが、後にこの構造がEF61形に災いをもたらす元凶になっていたのです。

 EF61形が屋根から余分な蒸気を吐き出し続けてきたことで、この排出部を中心に屋根は常に湿気にさらされ、この部分に腐食をもたらすことにつながってしまっていました。また、EF61形の車体外板はEF58形などに比べると厚さが薄く、車体全体の腐食に悩まされることになりました。

  この車体の腐食による老朽化はEF61形の運命を決定づけたともいえ、国鉄が進める合理化による客車列車から電車への移行、さらには宅配便の台頭による荷物輸送が激減したことによる列車の削減などで、1983年に7号機が廃車されたことを皮切りに、常態不良の車両から廃車が進められました。

 

地味な運用に終止したEF61形だったが、荷物や郵便物を輸送する荷物列車の先頭に立ったことは、日本の物流を支え続けた立役者といっても過言ではない。特に冬は、ただでさえ過酷な執務環境に置かれた鉄道郵便局員が乗務する郵便車や、荷扱専務車掌が乗る荷物車に暖房を供給できる装備をもっていたことは、彼らにとって心強い存在だったかもしれない。黎明期の新性能電機に共通する白熱灯1個の前部標識灯をもった前面スタイルはこのEF61形で途絶えてしまうが、側面のスタイルはこの後登場する電機に受け継がれていった。(©永尾信幸, CC BY-SA 3.0, 出典:Wikimedia Commons)

 

 そして、1984年2月に実施されたいわゆる「ゴー・キュウ・ニ改正」では、郵政省が行っていた鉄道郵便輸送のうち、鉄道郵便局員が郵便車に乗務する取扱便を全廃させたことで郵便輸送が大幅に削減され、冬期の客車の暖房を蒸気暖房から電気暖房へ転換したことで、もはや客車列車を牽くのに蒸気発生装置は不要となり、最後まで残っていた9両も翌1985年までに廃車の運命をたどり、形式消滅していきました。

 旅客用機として名高いEF58形を補完するべく、国鉄新性能直流電機としては高速性能をもち、蒸気発生装置を搭載したEF61形は、もった性能と装備とは裏腹に終始地味な運用に甘んじなければならず、一時は貨物列車の運用に充てられるなど、けっして幸運とは縁遠い電機だったともいえるでしょう。

 しかし、地味な役割だからこそ、荷物列車や貨物列車といった当時の日本の物流を支えたことは間違いなく、EF60形とあわせて直流電機の性能を決定づける礎になったと考えられます。そうした意味で、EF61形が果たした役割は大きかったといえるのではないかと考えられます。

 ところで、同じ形式を名乗りながら、まったく性能や用途を異にする車両もありました。瀬野八の補機用として、EF60形のクイル式駆動方式を採用した初期車から改造された200番台です。前面に貫通扉と、東京方にはデッキまで設置されて種派の面影も薄くなった、特殊仕様機でした。

 その瀬野八用補機として、EF61形も改造して100番台となる計画があったといいます。しかし、200番台で露呈した重連で押上中に、本務機が急制動をかけると押上力が強すぎて車両が座屈してしまう事がわかり、200番台は単機運用に限定され、重連運用はEF59形が引き続き充てられることになったため、EF61形の基本番台の改造計画は立ち消えになったそうです。

 歴史に「もし」は禁物ですが、もしもこの座屈現象がなかったならば、基本番台は100番台に改造を受けていて、もう少し生きながらえていたかもしれません。実際、200番台は広島機関区配置のまま、分割民営化後はJR貨物に継承されたのですから。

 

 今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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