《前回からのつづき》
■500形
西鉄の軌道線を走った500形は、福岡市内線用の車両と北九州線用の車両の2つがありました。そして厄介なことに、同じ500形を名乗りながら、両者はまったく異なる仕様と性能をもったものでした。
ここでは、北九州線用の500形についてお話したいと思います。
北九州線用の500形(以下、単に「500形」とします)は、第二次世界大戦が終わった混乱期に、逼迫する需要に対して輸送力を増強するため、統一された規格に基づいて設計製造さらた車両を割り当てられたことで登場しました。これは、鉄道でいうところの運輸省規格形車両と同じ発想によるもので、極端な資材不足などの中で、鉄道事業者は自由に車両を製作することが許されませんでした。
しかし、急増して逼迫する需要に対して、戦時中に多くの車両が被災したり、満足な整備を受けることができないまま酷使されたために老朽化が激しくなっていたりし、輸送力を確保することも難しい状態でした。
そこで、統一した規格の車両であれば新製することが可能になり、西鉄は12両の規格形電車の割り当てを受け、500形として登場したのでした。
この500形は、他の軌道線用電車とは異なる設計でした。というのも、戦後の混乱期において、輸送力の増強を最大の目的としていたため、1両あたりの定員は80名とされ、車体も従来にない大型となり、従来車が全長11m級であったのにたいし、500形は13m級と2mも長いものでした。そのため、急カーブで500形同士が接触事故を起こすなど、運用上でも苦労が伴いました。
そのため、車体の改修工事が施工されることになり、先頭部の幅を絞り込むことで、接触事故を回避しました。
また、西鉄の軌道線電車は、乗降用扉が前後1か所に設けられていたのに対し、500形は前後に加えて車体中央部にも扉が設けられていましたが、結局使われることなく前述の改造時に埋め込まれてしまいました。
このような北九州線では「異端」の車両で持て余され、ワンマン化工事も受けることなく1976年から1977年にかけて廃車となってしまいました。その一部は広島電鉄に譲渡されて600形と形式名を変えて活躍し、2024年現在も602号(元502号)が在籍しています。
2024年現在もその姿を残している広島電鉄600形602号車は、西鉄北九州線の500形502号車が譲渡されたものであり。全長13600mmという路面電車の単行車としては長く、朝夕のラッシュ時にはその収容力を発揮したが、曲線通過時に接触事故を起こすなど扱いづらい面もあった。そのため、車端部の幅が僅かに絞り込まれ、運転士の後方視界に難をきたすなどの問題もあった。広島電鉄移籍後は、方向幕の大型化、台車の交換、冷房装置の搭載などの改造を受けた。(©103100000左右, CC0, via Wikimedia Commons
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北九州線の第二次廃止までに活躍した500形は、福岡市内線用に製造された500形(以下、501系列とします)でした。
501系列は、戦後に導入された北九州線用の500形とは異なり、第二次世界大戦直後の1949年に導入されました。これは、1942年に福岡市内線の前身となる福博電車や、北九州線の前身となった九州電気軌道などを戦時統合して成立した西日本鉄道(西鉄)が、逼迫する輸送需要に対して、福岡市内線で運用されていた車両が全て二軸車という小型の車両だっため、これに対応するために大型車体を持つ二軸ボギー車として設計・製造したのでした。
車体は11,000mmの大型のものとなり、定員も80名(座席は40名分)と収容力が大きくなり、輸送力の大幅な改善に貢献するものでした。そして、1951年までに501形、551形、561形合わせて78両が製造される大所帯となり、西鉄福岡市内線の主役として活躍しました。
後年に、他の軌道線用電車と同じく、窓枠の交換や車内の照明の蛍光灯化などの近代化改装を受けたり、ワンマン運転の対応工事を施工されたりしましたが、福岡市内線が廃止されることに伴って、多くが廃車の運命を辿っていきました。
しかし、車齢が比較的新しい561形のうち33両は、北九州線のワンマン化を促進することと、旧型車両の置き換え用として1976年に転属し、第二の活躍の場を得て走り続けることになりました。
この北九州線に移った33両の561形は、北九州線仕様の改造を受けることになりますが、大きなものでは主電動機の交換でした、福岡市内線時代は33.7kWであったのに対し、北九州線は45kWと高出力のものへと換装しました。これは、北九州線には門司(大里)と小倉の間にある手向山トンネル付近や、門司港から門司(大里)の間に勾配があるなど福岡市内線と比べて起伏が激しいことから、強力な主電動機を欠かすことができなかったと考えられます。
1980年代に入ると、他の車両と同様に更新工事を受けることになり、600形と同様に前照灯をシールドビーム灯2個に変わり、その間には西鉄の社紋が設置されて、表情を一新しました。もっとも、屋根は製造時のまま一般的な構造だったため、張り上げ屋根の600形や66形などとは異なり、いかにも「更新車」といった印象でしたが、北九州線では貴重な戦力として走り続けました。
1985年の第一次廃止時に24両が、1992年の第二次廃止時に残った4両が廃車されたことで、501系列は形式消滅しました。
《次回へつづく》
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