旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

東海道新幹線60周年に寄せて【5】

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《前回からのつづき》

 

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 最後に、直近で東海道新幹線を利用したのは、昨年(2023年)に大阪で開催された研究大会へ出席するためでした。早朝に新横浜駅に出向き、そこから「のぞみ」に乗車すると、2時間と少しで新大阪に到着。大会の開会時刻である9時過ぎに間に合うのは、かつて3時間ほどかかった時代から考えると、本当に便利になったものだと実感させられました。

 2024年現在、東海道新幹線の主役はN700A系からN700S系へと移り変わっている時期ですが、N700A系、その前身となるN700系もまた、従来の新幹線車両にはない新機軸を装備することで、さらなるスピードアップを実現させています。

 到達時間が短くなることは利便性が高く、飛行機との競争では十分に渡り合えるといえます。ですが、その一方で「おや」と感じることがありました。

 それは、車内でゆったりとする時間が少なくなったことです。

 このときは、早朝の列車に乗ったので、朝食も車内で食べることにしました。新横浜駅で定番(?)のシウマイ弁当を買い求め、座席にすわるやいなや、すぐに弁当を広げて食べたのです。

 ところが、食べているうちにすぐに小田原駅を通過、半分と少し食べたところで熱海駅を通過して新丹那トンネルに突入、食べ終わった頃には既に静岡県内を走っているという、国鉄時代と比べると、まあなんともいえぬ早さに内心驚きました。

 

0系に始まり、100系300系500系、そして700系と受け継がれ進化してきた東海道新幹線の車両は、N700系とその改良型であるN700A系に代わったことで、高速かつ高頻度運行を実現させ、東京ー新大阪間を焼く2時間30分で結ぶことを可能にした、いわば「最終形態」と過言ではないものにした。(N700A系X78編成 小田原駅 2018年7月18日 筆者撮影)

 

 食べ終わってから、少しうたた寝でもしようかと思っていると、あっという間に浜松駅を通り過ぎ、長い橋梁で浜名湖を渡っていました。よもやここまで早くなると、「ごゆっくりお寛ぎください」などという言葉とは無縁だなとさえ思えてしまいます。

 新幹線は、東海道に限らず常に航空機との激しい競争にさらされてきました。それだけに、スピードアップとそれによる到達速度の短縮は至上命題ともいえるものでした。国鉄時代はお家事情もあって、0系が開業当時から長年に渡って量産され続け、1985年から投入された100系は、接客設備の面では大幅なグレードアップが図られたものの、最高運転速度は220km/hと0系と変わらないものでした。その後、国鉄が分割民営化されたあとに山陽新幹線を継承したJR西日本100系の改良を進め、1987年に製造された100系V編成では230k/hにまで引き上げられたものの、根本的に航空機に対抗できる時間短縮は実現できませんでした。

 JR東海が開発した300系以降、東海道新幹線は劇的にスピードアップが図られます。「のぞみ型ダイヤ」と呼ばれる現行のダイヤ編成に移行すると、0系はもちろん100系も引退していき、さらには700系が量産に移されると、速度向上の立役者だった300系も退いていきます。そして、700系が主体になると最高運転速度は東海道で270lm/h、山陽では285km/hにまで引き上げられ、N700系の導入で2015年には東京―新大阪間を最速の列車で2時間22分で運転されるなど、航空機に対して互角の競争力を得るようになりました。そして、今日の東海道新幹線では、仕事や観光などで多くの人を輸送する鉄道として、重要な役割を担い続けているのです。

 冒頭にご紹介した、吉高由里子さんが出演する東海道新幹線60周年のTVCMでは、「新幹線は60年間、どんな『思い』を運んできたのだろう」と、今は静かに佇む0系に向かって語りかけています。

 多くの人が今も昔も利用する東海道新幹線。筆者もその一人であり、その時を思い返すと、そこには「思い」がありました。初めて新幹線に乗ったときの「ワクワク感」と長い旅に出る「期待感」。鉄道職員時代は、はるか1200km西にある異郷の地に出向く不安感や、鉄道に携わることができるという誇り。そして、当時付き合っていた人に新横浜駅まで見送ってもらったときは、JR東海がTVCMで流していた「シンデレラ・エクスプレス」を地でやっていたという経験もしました。貨物会社の職員が、東海会社のCMそのままのことやっていて、友人には笑われたものです。

 時は流れ、昨年は10年前に一緒の職場で働き、仕事を教えた後輩が神戸で教鞭をとり続け、久しぶりに一緒に仕事をするということから、どんな成長をしているのだろうかと思いを馳せたものです。

 新幹線は長い距離を短い時間で結ぶ鉄道ですが、その距離の分だけ、そしてその時間だけ、きっと多くの人の、それぞれの「旅」があったといえます。その「旅」の数だけ、乗った人たちの「思い」がある。それは、いまこの時も走る新幹線に乗る人々も同じではないでしょうか。

 この記事を執筆している時点で、2週間後には広島に新幹線で出向きます。やはり仕事なのですが、そこで一体どんなことを見聞きし、どんな人にであるのか楽しみでもあります。新幹線は、そんな在来線にはない「魅力」を備えているのかも知れないと、筆者は思うのです。

1964年の開業以来、60年に渡って走り続けてきた東海道新幹線は、多くの人々を乗せてきた。家族や友人、恋人同士の楽しい旅行や、仕事での旅行などその旅の目的は様々だったといえる。楽しいばかりでなく、時には悲しい思いを抱えた乗客もいたことであろう。しかし、そうした多くの人々の思いを運んできたのが、この60年という歴史の中に詰まっているといえる。同時に、世界に類を見ない、営業列車における責任事故0という記録は、列車の安全運行を支える多くの鉄道職員の努力によって為しえたことであり、このことは特筆に値することであろう。(N700A系X33編成 小田原駅 2018年7月18日 筆者撮影)

 

 今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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