旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

新年おめでとうございます

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 新年おめでとうございます。

 昨年も、当ブログをご愛読いただきまして、誠にありがとうございました。

 本年も引き続きよろしくお願い申し上げます。

 

 さて、2024年は交通機関にとって、波乱に満ちた1年だったといっても過言ではないでしょう。1月2日の夕方に東京国際空港羽田空港)で起きた日本航空エアバスA350と、海上保安庁のDHC-8が滑走路上で衝突しました。

 この事故で、JAL機に搭乗していた乗員乗客は全員脱出に成功し、軽傷者は出たものの犠牲者が一人として出なかったという、航空業界でも驚くほどの奇跡を生み出しました。その一方で、海上保安庁機に搭乗していた5人の海上保安官のうち、機長を除く4人が犠牲になる被害が出てしまいました。

 事故の原因については運輸安全委員会が調査しているのでここでは言及しませんが、能登半島地震の支援物資を輸送するための任務中に起きた事故であり、尊い命が失われたこと、そしてご家族の心痛を思うと言葉もありません。この種の事故が二度と起きないことを祈るばかりでした。

 

 他方、鉄道業界も大揺れに揺れた1年だったといえるでしょう。

 もっとも痛切なのは、7月に山陽本線で発生した貨物列車脱線事故を引き金に、安全輸送の根幹にかかわる車両整備(検修)についての重大な不備が発覚しました。車軸に車輪をはめるときの圧力が規定以上になっているにも関わらず、それを修正するどころか検査データを改竄していたという、あってはならないことをしていたというのです。それも、筆者の古巣であるJR貨物でおこなわれていたというのですから、非常に残念な思いとともに、一体何をやっていたんだという怒りを通り越して呆れた思いもしました。

 筆者が知る限り、鉄道の世界で検査数値を改ざんするなどという行為は、重大事故に直結するものとして厳に戒められていました。しかしながら、それがまかり通っていたというのは信じがたいものでしたが、運輸安全委員会の事故調査と、国土交通省の保安監査で明らかになったことで、その「まさか」が起きてしまったのでした。

 これを契機に、全国の鉄道事業者に調査を命じると、次から次へとこの車軸と車輪をはめる圧力を規定値範囲外であったにも関わらず、適正な値で行われていたと「改ざん」していたことが明るみに出ました。

 ここでは詳しいことをお話することを差し控えますが、その原因として検修に携わる職員の技術継承ができていなかったことが考えられます。また、近年の厳しい経営環境の中にあって、コスト削減を重視するあまり、検修業務の重要性を経営陣が理解せず、その業務を関連会社に外注化してそれに依存してしまったこと、それによる正しい技術を身につけた職員が減ったことも考えられます。

 いずれにしても、車両の検修は万全な状態でなければならず、それを怠れば重大事故につながるということを見せつける事故だったといえます。

 

1992年頃の新鶴見機関区西機待線で待機するEF65形をはじめとする、JR貨物の電機群。一番右に留置されているEF66形100番台以外は、すべて国鉄から継承した車両ばかりだった。検修の手間もコストもかかる国鉄形電機だったが、長年の経験をもとにした堅実な設計と電装品、そして常に最高のコンディションを保つために検修職員にも高い技術力が求められていた。そのため、良くも悪くも伝統的な厳しい師弟関係のようなものがあったが、師となる先輩職員は若手の成長を見極めながら、必要な技術や仕事を着実に伝え育成していた。しかし、2000年代に入る頃になると、経験豊富な職員が定年を迎えたこと、伝統的な上下関係が若手から忌避されるようになったこと、コンピュータの台頭による「コンピュータは絶対」という風潮などが、必要かつ確実な技術継承を難しくしてしまったといえるだろう。(EF65 1057〔新〕ほか 新鶴見機関区 1992年頃 筆者撮影)

 

 他にも挙げればきりがないといえるほど、2024年は鉄道の事故が多い年でした。

 路面電車の信号見落とし事故や、新幹線の保守用車オイル漏れによる輸送障害、保守容赦の整備不良を原因として衝突事故などなど、筆者からみると「初歩的な」ミスによる事故が多かったと感じるのです。

 安全で確実な輸送を実現するために、今一度基本に立ち返って、正しい技術の習得と、基本動作の徹底などを実施し、2025年はこうした事故を起こさないことを祈るばかりです。

 ちなみに、業界はまったく違いますが、筆者がいま生業とする教育界でも、同様の基本動作の不習得や、技術や知識の継承が途絶えたことによる事故やインシデントが多発しています。やはり、人材の育成がままなってない現実があるといえるでしょう。

 どちらの世界も、共通しているのは人の命や運命を左右しかねないということです。

 

 末筆になりましたが、みなさまにとってこの1年が幸せ多き年となることをお祈り申し上げます。