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それまでに経験のないことをするというのは、誰にとっても大きな負担をしなければなりません。それが金銭的なものであれ精神的なものであれ、成功すれば大きな自信につながったり、あるいは収益を上げたりすることができます。逆に失敗してしまうと、精神的に追い込まれることもあれば、経済的に破綻を来すこともあります。いずれにしても、大きな「賭け」になる場合もあるのです。
それは、鉄道車両も同じことがいえるかも知れません。例えば、日本のディーゼルエンジンの歴史は欧米に比べると遅れていました。特に鉄道用ディーゼルエンジンは、戦前にDMH17系の前身となるものが開発されたに止まり、第二次世界大戦に入ると燃料や潤滑油などといった油脂類が統制の対象になったことで入手が困難になり、さらには気動車そのものの新製が禁止されたこともあって、開発は途絶えてしまいました。
終戦後、国鉄は鉄道用ディーゼルエンジンの開発を再開しますが、戦前に手がけていたエンジンを発展させる形になり、苦労の末にDNH17系としてようやく完成し量産が始められました。もっとも、このエンジンの基本設計は戦前のままのもので、低回転で出力も低いという短所を抱えていました。それでも、国鉄にとっては自らが開発して成功したものであり、気動車用標準エンジンとして国鉄だけでなく私鉄が製造する気動車にも搭載されました。
国鉄はDMH17系の成功と量産によって気動車の製造を進めますが、その一方で残存する蒸機から他の動力へ置き換える「動力近代化計画」の推進には、これに代わる機関車を必要としていました。電化工事が完成した路線には電機を新たに投入して運用に充てればよかったのですが、問題は非電化路線でした。
非電化路線で運用されている蒸機を置き換えるには、電化工事を進めて電機に代える方法と、新たな内燃機関を搭載した車両に代える方法がありました。電化は既に多くの経験が蓄積されていたため、技術的にはハードルが低いものでした。しかし、工事にかかる費用が莫大であるため、輸送量が多く列車の運行頻度も高いところでなければ費用対効果の面から不利なのは明白でした。
非電化のままとするならば、やはり内燃機関を搭載した機関車が必要でした。しかし、既述のように日本の鉄道用ディーゼルエンジンは気動車用の、小型で性能も満足とはいえないDMH17系しかなく、よしんば搭載したとしても期待する性能を引き出すことは非常に難しかったといえます。実際に、DMH17系を2基搭載したDD11形は、機関車出力は僅か360PSしかなく、入換用としてもあまりにも非力すぎて実用的ではなかったといいます。
こうなると、大出力の機関車用ディーゼルエンジンが必要となりますが、これを開発するための技術は当時の日本にはなく、そのハードルは非常に高いものでした。もちろん、国鉄の技術陣はその威信に賭けて開発をしていたのですが、思うようにいかなかったのが現実でした。
その一方で、欧米におけるディーゼルエンジンの発展は目覚ましく、高回転・高出力のものが次々と開発されます。国鉄もこれに目をつけていればその後の発展は変わったと考えられますが、そこはよくも悪くも「親方日の丸」の組織であり、海外製のものを導入することを良しとしなかったのです。
第二次世界大戦後の国鉄ディーゼル機黎明期には、車両メーカーが海外のエンジンメーカーと提携して、様々な試作車がつくられ国鉄によって借り入れられた。これら「借入機」はディーゼルエンジンなど、鉄道車両としての技術が発展途上だったこともあるが、自前の技術にこだわる国鉄と、海外の先進的な技術を取り入れることに寛容だったメーカーとの温度差に起因していたと考えられる。メーカーはこうした先進的な技術を積極的に導入し、自前で試作車をつくり国鉄をはじめ国内外の鉄道事業者に売り込もうとし、量産が決まれば大きなビジネスチャンスでもあった。写真のDD41形→DD90形で、東芝が米国クーパ・バッセマー社製のFWL-6T形(直列6気筒・600PS)を搭載し、電気機器にゼネラル・エレクトロニクス社製を採用した電気式ディーゼル機関車だった。(パブリックドメイン 筆者にて鮮明化処理済)
そこに目をつけたのが国内の車両メーカーでした。民間企業である彼らは、国産のものに拘る必要もなく、たとえ国産にしたとしても当時はその技術がないことを自覚していたのでしょう。そうしたことから、早い段階で海外メーカと提携を結び、技術を学びつつ自社の売上に貢献しようとしました。
これら海外製のエンジンを導入し、国内の鉄道向けに自費開発したものを、実証試験も兼ねて国鉄へ貸し出し、あわよくば自社製のディーゼル機を売り込もうとしたのでした。いわゆる「借入機」と呼ばれるディーゼル機の一群で、日本のメーカーらしいものから、まるでアメリカのディーゼル機のような奇抜なものまであったのでした。
もちろん、国鉄にとっても渡りに船といえたでしょう。自ら開発しているディーゼル機が実用化の段階には程遠く、そうはいってもいつまでも時間をかけてはいられません。メーカーからの借入機を運用することによって、そのノウハウが手に入るのなら安いものです。
こうして、新三菱重工がスイスのズルツァー社のエンジンを搭載したDD40形を、東芝がアメリカのクーパー・ベッセマー社のものを搭載したDD41形を開発したのを皮切りに、次々と試作ディーゼル機が国鉄に借入られていき、全部で9形式が国鉄線上で試験運用に供され、国鉄ディーゼル機の礎となったのでした。
《次回へつづく》
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