《前回からのつづき》
EF500形を開発した理由として考えられるのが、EF500形の失敗が顕在化していたことで、EF200形で一応の成功をみた日立は、その技術を使った交直流機を売り込むことにあったと考えられます。特に、重連運用が常態化しているED75形を置き換え、単機で運用可能な性能をもつ交流電機は、JR貨物にとっても魅力のあるものだったでしょう。多くの部品をEF200形と共通化しているという点でも、検修職員にとっても負担が少なく、保守用部品にかかるコストも軽減できます。何より単機運用が可能になれば線路使用料も減らすことができるので、多くの面でコスト軽減が期待できるのです。
こうした様々な理由と思惑から、JR貨物は日立からED500形を借り入れ、実際の線路上での試験運用を始めたのでした。
ED500形は機関車出力4000kWと、D級機としては破格の出力を備えていました。ED75形重連に相当する車両として期待されたものの、実際に運用をしてみると様々な問題が露呈しました。
その最たるものが動輪上重量というものでした。
一般に、機関車の粘着力を表す数値として軸重があります。軸重は動輪軸だけでなく従輪も含めたすべての輪軸にかかる垂直方向の重量です。軸重が重いほど粘着力は増すことになりますが、その分だけ軌道にかかる負担は大きくなり、高速で走行するためには軌道の構造が強固でなければなりません。
そのため、ローカル線など軌道構造が弱い線区では、軸重を軽くする必要があります。しかし、不用意に軽くしようとすると粘着力が弱くなり、動輪軸は空転を起こしやすくなってしまいます。
例えば、DD51形に搭載されたDML61系エンジンを1基だけ搭載したディーゼル機として開発されたDD20形の軸重は13.5トンとDD13形と比べて軽くなりました。しかし、この軸重では線路等級の低い丙線以下の路線では重すぎて入線できず、入換用としてはその軽さが仇になって空転を起こしやすく使い物になりませんでした。
この問題を解決するために設計されたのが、動輪軸5軸を備えたDE10形でした。エンジンは同じDML61系を搭載し、軸重はDD20形よりも軽い13トンにまで抑えられました。線路等級の低い線区にも入線できるようになった一方、入換用としても十分に使える車両でした。DD20形よりも軸重が軽いにもかかわらず、入換用として運用したときに空転を起こしにくくなった理由は、動輪軸が5軸に増やしたことで軸重が軽くても粘着力を増すことができたためでした。言い換えれば、軸重の重さだけでなく、レールに接する動輪軸の数が動輪上重量に影響を与えるといえるのです。
ED75形とED500形であれば、前者は1200トン級列車を牽くために重連で運用していたので、機関車重量は62.7トン✕2両=125.4トンになり、動輪軸は全部で8軸になります。機関車重量も多ければ、動輪軸も多くなるので動輪上重量も重くなり、その分だけ粘着力に余裕が出てきます。

ED500形が1200トン列車をパワー勝負で単機運用を目指したものの、動輪上重量という力学的な問題で敢えなく失敗した経験から、出力は直流で3400kW、交流で4000kWと少し控えめながらも動輪軸は8軸としたことで粘着力をED75形重連と同等にしたEH500形の開発へとつながった。H級機は国鉄時代のEH10形以来のもので、2車体で1両という構成も同じだったため、EH10形が「マンモス」と呼ばれたことから「平成のマンモス」とまで呼ばれた。公式には「ECO PWER 金太郎」という愛称がつけられ、車体側面にはマスコットイラストも描かれ、沿線の子どもたちからも親しまれている。ちなみに、筆者の娘も保育園時代に新鶴見信号場近くの公園にお散歩に行った経験から、EH500形を見ると「金太郎!」と言うほど、身近に感じているようだ。(EH500-2〔仙貨〕 新鶴見信号場 2021年6月15日 筆者撮影)
一方、ED500形は機関車重量は67.2トンでED75形単機と同じです。軸重も16.8トンと同じですが、単機での運用を前提としていたため、ED75形重連とは違ってどうりんじくは軸しかありません。そのため、レールに接する動輪軸はこの4軸にしか頼ることができず、重量も1両分だけなので動輪上重量もその数だけになってしまいます。1200トン級の重量列車を牽くためには、たった4軸の動輪軸で加速させなければならなくなり、粘着力不足に陥り空転を頻発させてしまったのでした。
空転の頻発は貨物用機関車としては致命的であるともいえるもので、客車列車と比べて常に重量列車となる貨物列車を牽くことはほとんど不可能といっても過言ではないのです。
結局、1992年に借入という形で車籍編入してから2年間にわたって、実用化を見据えた試験が行われましたが、EF500形と同様に問題の解決に至ることはできず、1994年にすべての試験を終えて日立に返却、除籍されました。2年間の試験も借入当初はそれなりに行われていましたが、空転の頻発という欠点がわかると、試験走行自体も減らされてしまい、あまり走ることなく新鶴見の庫線で留置されたままの日々を過ごすことになっていたのでした。
ED500形は機関車出力を4000kWとすることで、東北本線のED75形重連運用を単機でこなすことを目標にしていました。しかし、ED500形は機関車出力をこれと同等にすることで解決できるという、出力に依存した設計思想が仇になり、空転を頻発させて「失敗作」の烙印を押されてしまったのでした。重量級の貨物列車を牽くためには機関車出力も重要ですが、軸重や動輪上重量という粘着力を確保する力学的な要素も重要であり、この点ではED75形は単機ではED500形に出力は及ばないものの、重連運用することで同輪軸は全部で8軸となり、粘着力を確保していたのです。
日立がEF200形に続けて、交直流機も自社製の車両を売り込むことを目論んで送り出したED500形でしたが、設計思想の誤りから失敗作となってしまい、わずか2年という極めて短い期間でその役割を終えざるを得なかった悲運の機関車でした。しかし、機関車は出力だけではなく、軸重や動輪上重量といった力学的設計も重要であることを再認識するきっかけを与えたという点での功績は大きく、この経験が「平成のマンモス」とも呼ばれたEH500形の開発につながっていったのでした。
そして、ED500形を含めて自社製電機で貨物列車を牽く車両を独占しようと考えたかは定かではありませんが、大きなビジネスチャンスと捉えたことは想像に難くないでしょう。しかしその思惑は大きく外れてしまい、日立はED500形の試作を最後に電気機関車の製造から含めて撤退してしまいました。そして2025年現在、JR貨物向けの電機は川崎重工(現在は川崎車両)と三菱電機のコンビと、東芝が製造しているのみになりました。
ところでED500形は形状こそEF200形にそっくりでしたが、前述のように塗装はガンメタリックと日本の電機史上、類を見ない奇抜なものでした。実際、新鶴見区に保守業務などで出向いた際に、倉線などに留置されている姿を見たときには、まるで自動車のスポーツカーか何かのようにも見えたもので、ある意味では精悍にさえ感じたものです。もし量産されていれば、この塗装で営業列車の先頭に立つ可能性は低かったにしても、もう少しこの塗装のED500形を見てみたかったと思ったのは筆者だけでしょうか。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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