旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

異色のロマンスカー 乗務員まるごと国鉄線へ乗り入れた「あさぎり」【2】

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《前回からのつづき》

 

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 大手私鉄、それも全線が電化されているので電車が主体の鉄道事業者としては、異例の気動車として製作されたキハ5000形は、1955年の直通運転を目前に控えた同年9月に東急車輛で落成し、小田急へ入線しました。

 キハ5000形は、当時の国鉄が非電化路線の無煙化を推進するために、ようやく実用化に漕ぎ着け量産していたキハ10系のうち、基幹形式となるキハ17形と、エンジンを2基搭載した強力型であるキハ50形をもとに開発されました。

 車体は全長20000mmとし、車幅は地方鉄道定規に収めるために2620mmというものでした。もととなったキハ10形は1エンジン車で全長が19,500mmなので、それよりも500mm長くなっていますが、2エンジン車はディーゼルエンジンと液体変速機を2セット搭載する都合上、どうしてもそのスペースを確保するため長く取らざるを得ず、全長22,000mmにも達するので、類似の機器構成としては2,000mmも短いものです。スペースに余裕があるということは、検修を担う現場からすれば作業がしやすくなりますが、その分だけ自重が重くなり、ただでさえエンジンが非力なので走行性能に影響を及ぼします。逆に、スペースが狭くなることで、検修作業はしづらくなるという弱点を抱えることになりますが、キハ5000形は国鉄の2エンジン車よりも2,000mm、すなわち2mも短くしたのでした。

 エンジンは国鉄制式のDMH17B形に改良を加えた、DMH17B1形を2基搭載しました。DMH17B形は直列8気筒、総排気量17リットルのディーゼルエンジンで、出力は160PSほどでした。これを改良したDMH17B1形は、シリンダー構成や排気量はそのままにし、ピストンの頭頂部の形状を変更するなどしたことにより、圧縮比は16から17へと変更、出力も180PSにまで引き上げることを実現しました。

 また、シリンダーの材質を変更し、これに合わせる形でピストンリングを変更、従来のDMH17B形が走行距離が約50,000kmに達するとシリンダーのメンテナンスを必要としたのを、キハ5000形に搭載したDMH17B1形は約200,000kmまで、約4倍にまで周期を伸ばすことを可能にしました。いわば、メンテナンスフリーに近づけたようなもので、メンテナンスコストを減らす私鉄の発想を、気動車用エンジンでも実現させた格好になったのです。

 台車は当時の国鉄気動車の標準品であるDT19形(動力台車)、TR49形(付随台車)ではなく、東急車輛が設計したTS-104形を装着しました。この台車は、9mm厚の鋼板をプレス加工した部品を溶接によって組み立てられたもので、枕ばねにはオイルダンパーを装着したコイルばねを使い、軸ばねはコイルばねを使ったウィングばね式を装備するもので、後に登場するDT21形に近いものでした。そのため、枕ばねに防振ゴムブロックを使ったがために、軌道の凹凸などを直に拾って硬く劣悪な乗り心地で不評だったDT18系とは異なり、電車並みの乗り心地を確保することができたと考えられます。

 

御殿場線山北駅から沼津方を望むと、場内を出た先には上り勾配があることがわかる。天下の険と呼ばれた箱根を迂回する形で、東海道本線として建設された現在の御殿場線は、丹那トンネルが開通するまでは多くの長距離優等列車がここを通った。往時の賑を伝えるかのように、今も長大なホームが現役で使われている。可能な限り山を超えないようなルートが選択されたものの、最大で25パーミルの勾配を抱えるこの路線は、山陽本線の瀬野八よりも険しいため、列車重量が制限されたり補機の連結が必要だった。(御殿場線山北駅 筆者撮影)

 

 これは、乗り入れに先立って、厳しい勾配が連続する条件の御殿場線で、気動車の走行試験が実施されました。この試験で、エンジン1基搭載のキハ15形では、D52形蒸気機関車が牽く旅客列車とほぼ同じかそれよりも低い走行性能しか出せず、エンジン2基搭載のキハ50形はこれを大幅に上回る性能を出すことができました。その一方で、キハ50形は全長22,000mmという長さのため、分岐器を通過するときにクリアランスと呼ばれる接触限界を超えるおそれがあるなど、保安上の懸念があったことから20,000mmに抑えたと考えられます。

 御殿場線は通票閉塞方式が使われていたため、タブレット交換をする必要がありました。そのため、防護柵を設置する必要から、全幅は2,620mmと狭くされました。当時、箱根特急に使われていた1700形の全幅が2863mmだったので、それと比べると203mmも細くされたことになります。他方、狭くて居住性が悪いと言われた国鉄のキハ10系は2738mmだったので、これよりも狭い車体は窮屈にも感じたといえます。地方鉄道定規に合わせつつ、タブレット交換に必要な装備を設置するため、やむを得ないこととはいえ、設計には相当の苦心が伺えます。

 全体的に丸みを帯びたデザインで、前面は前部標識灯として白熱灯を1個、幕板中央部に設置したスタイルは、国鉄気動車に共通するものでした。その一方で、通過標識灯は前面窓の上部左右に1個ずつというスタイルは、いわゆる「小田急顔」に通じるものでした。しかし、後部標識灯は国鉄への乗り入れの関係から、通過標識灯と併用はされず、窓下下部の左右1箇所ずつに設置し、当時は最後尾車を示す反転式の後部標識板も設けられていました。

 キハ5000形の車内は、当時のロマンスカーの主力であった1700形が転換クロスシートを備えていたのに対し、固定式クロスシートボックスシート)と見劣りが否めないものでした。これは、小田急線内は特急扱いとして運行するものも、国鉄線内は準急列車として運行するため、私鉄からの乗り入れとはいえ特急列車並みの設備を備えているのは望ましくないと考えられたためと推測できます。

 この座席は全部で24組設置し、排気管の部分を除くと定員94名となっていました。これだけの定員を確保するため、シートピッチは1320mmと非常に狭いものでした。この狭さは、国鉄のキハ10系で1430〜1450mm、同じ準急形気動車であるキハ55系で1470mmと比べてもその狭さは想像に難くないといえます。加えて、前述のように車体幅も制約を受けていたこともあり、その狭さは際立っていたといえるのです。

 小田急線内は特急扱いとして運行することから、乗降用扉は1700形などと同じデッキ付き片開き扉を1か所のみでした。

 このように、キハ5000形は国鉄へ乗り入れるため、数々の制約と必要な設備を装備し、しかも全線が電化されていたにも関わらず、乗り入れ先が非電化だったために気動車を運行するという、まさに異例づくしの車両であるとともに、小田急ロマンスカーの中でも際立って異色の存在となったのでした。

 

《次回へつづく》

 

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